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格好悪くちゃダメですか?

ここ数年「格好悪く死にたい」と思うようになった。厳密に言うと「格好悪い死に方でも良い」と思うようになった。
 
こんなことを言うと、多くの人に「何言ってんの?」「バカじゃないの?」と突っ込まれそうである。

もちろん、私も数年前までは、周りの人に迷惑をかけず、「痛い」だの「死にたくない」だのと騒ぐことなく、静かに逝くことを良しとしていた。
 
死に際してどのように見られるかを、全く気にしないと言えば嘘になるが、さほど気にならなくなった。

少なくとも「生きているときに悪いことばかりしていたら、ろくな死に方をしない」という呪いからは解放されている。苦しんで死んだ人が生前悪い人ばかりではないことは自明の事実だからだ。

では、なぜ格好悪く死にたいと思うようになったのか。それは、残された人(主に子ども)が死に際して、少しでもハードルを下げられれば良い、と思うようになったからである。

立派な死ばかり見せられたら、「そうあらねばならない」という無言のプレッシャーがかかる。ならば、「私はダメな方の見本を残しておこう」と、そう考えた。

金銭的な負担等は極力かけないつもりだが、たとえ施設に入居しても、ある程度の負担は家族にかかる。認知症のことも癌等の病気のことも、考えるとキリがない。 

負担をかけるならば、相手に最大限の信頼と感謝を伝え、少し甘えようと思う。そうすることで、残された人が無力感を抱くこともないのではないだろうか。そのためには、周囲の人と私の、これまでの関係だけでなく、これからの関係も重要になってくる。

「安楽死」について考える

このようなことを書きたくなったのは、他でもない『だから、もう眠らせてほしいー安楽死と緩和ケアを巡る、私たちの物語』を読んだからだ。

 私はこれまで安楽死といえば『高瀬舟』と『ブラックジャック』のドクターキリコを想起していた。

しかし、この本を通して日本における「安楽死」には「医師による自殺幇助」と「積極的安楽死」があり、「尊厳死」は「治療の差し控えと中止」と「消極的安楽死」と言われることを知った。

また、緩和ケアで行われる「持続的な深い鎮静」との微妙な違いを知った。スイスで行われる安楽死は想像とは別のものだった。

正直に言うと消化不良を起こしそうである。それでも正面から向き合わなければならないことだ。今後、避けて通れない、避けてはならないテーマだと思うからだ。

社会の問題

「安楽死」について考えるということは、社会のあり方や人と人との関わり方について考えることだと思う。

「安楽死」を望む吉田ユカさんや癌患者である写真家の幡野広志さんは、同調圧力によって患者が自分で望む死を選べないことに異議を唱えている。

一方で『安楽死を遂げた日本人』を上梓した宮下洋一さんは、日本で安楽死が制度化されると、同調圧力によって安楽死をさせられる人が出ることを憂慮していた。

どちらも日本の社会が抱える問題を指摘している。本人の意志が周囲の人の圧によって抑えつけられる、というものだ。「日本には安心して死ねる場所がない」と言わしめる所以でもある。

だからこそ、「安心して死にたいと言える社会が必要」だと言う精神科医の松本俊彦先生の言葉が刺さるのではないだろうか。自殺を考える人が、最期の時まで人との繋がりを求めているということにもショックを覚えた。

安心して「死にたい」も「死にたくない」も言える、すなわち「安心して弱音を吐ける社会」であれば、安楽死に賛成とか反対とか言わなくても良くなるのではないだろうか。

人と人が緩く繋がり「孤立」を防ぐこと、お互いに関心は持つけれど干渉はしない、そんな関わり方が重要になってくるのではないか。

「社会的処方」がひとつのきっかけとなっていくとよい、そう思わずにはいられなかった。

冒頭で「格好悪く死にたい」と述べたが、それは、作中のもう一人の重要人物であるYくんの最期(安楽死を選択肢に挙げていたにも関わらず、全てを委ねるような形での最期)を知ることでその思いが強くなった。

「委ねること」は周囲への信頼があってこそ、できる。「甘え」と明確に線を引くことも難しい。それでも、あるがままの自分を受け入れたい。

だからといって、安楽死を選択肢として持ちたい、と考える人に異を唱えるつもりはない。それぞれの立場が違い、これまでの生き方も違うのだから…。

幡野さんがお子さんに苦しむ姿を見せたくない、と思うのは納得できる。残される子どもの年齢によって、親の考えることも違うのではないだろうか。

私は幸い子どもが大きいので、子どものさらなる成長をただ見守る。信じて見守る。思いは言葉にして伝えながら…。

おまけ

小川糸さんの『ライオンのおやつ』に出てくる「ライオンの家」のようなホスピスがあればいいのに!

自己紹介

夫、子ども2人、義母、老犬と暮らす

フルタイム勤務

「おはようございます」と言おうとして「いただきます」と元気よく言ったことが2回ある

寸暇を惜しんで怠けるぐうたら

#もう眠感想

 

 


 

  

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