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平成最後/令和最初の東北紀行 2/4日目


5月1日、朝は5時起床。
ここから3日かけてトーホクくんの運転で東京を目指す旅へ。
まず手始めに、令和最初の朝食を調達しに館鼻岸壁朝市に繰り出すことに。

館鼻岸壁朝市は、八戸漁港で毎週日曜に開催されている朝市で、全国最大規模の朝市とのこと。
通常は日曜日の開催だが、この日はゴールデンウィークの特別開催で、臨時の朝市が開かれていた。

この日は試しにGoProを動画モードにして撮影。
はじめてのことでマウントもおぼつかず、微妙に傾いたりしてるものの、朝市独特の魅力をそのままに、なかなか趣のある画が撮れた。

動画内でラジオ体操がかかっているが、よく聞くと津軽弁バージョン。
八戸と津軽(弘前)は歴史的経緯もあって一括りに見られることに抵抗があるようだけど、さすがに南部弁バージョンのCDはなかった模様。

余談ではあるが、このラジオ体操はYoutubeのコピーライトマッチツールに拾われているが、動画公開には制限のない楽曲のようだったので、朝市の雑踏の音も含めてそのまま公開しています。

各屋台では八戸らしい海産物はもちろん、種々雑多な飲食系の屋台に、雑貨等も扱われており、なかなかカオスで楽しいひと時だった。
なかでも『赤いテントのコーヒー店』というところが出しているようちゅうグミ(カブトムシ等の幼虫をリアルに象ったグミ)が人気ということだったが、ゴールデンウィークということもあってか、5時40分時点ですでに売り切れていた。

朝市でしっかり朝食をとってエネルギー補給したら、本格的に移動を開始。
八戸自動車道から東北自動車道をくだって第二のチェックポイント、奥州藤原氏の牙城、平泉へ。
平泉は「炎立つ」のイメージなので、ここにスカイライダーと藤枝梅安のミイラがあるってことだ。

まずは平泉文化遺産センターの駐車場に車を止め、予習も兼ねて軽く展示を見学してから徒歩で散策開始。
なお、平泉でもGoProで道中を撮影していたが、プライベートな会話が入り過ぎていて編集が面倒だったので、このあたりはシコクくん提供の写真でご紹介する形とさせていただきます。

デッドマンスタンディング

道すがら義経ゆかりの史跡など眺めつつ、まずは2日目のメイン目的地である中尊寺へ。
中尊寺は山の中にお堂が点在するような構造になっており、この日はただでさえ急な坂道が、前日の雨でぬかるんでなかなか大変なコンディションになっていた。

道のコンディションは悪かったが、ゴールデンウィークの人出に陰りはみえず、山の中腹あたりから参拝客が列をなしている状態。
この日は令和最初の日ということで、著名な寺社には御朱印マニアが詰めかける事態が起きていたそうで、その影響もあったみたい。
なお、前日の4月30日も、平成最後の御朱印列がすごかったとか。

長蛇の列
中尊寺本堂

宝物殿として、金色堂に納められていた仏具、仏像などが展示されている讃衡蔵と、覆堂の中で保護されている金色堂は有料チケットを購入して拝観。
金色堂はさすがに絢爛で見応えがあったが、ゴールデンウィークの人波に流されながら見る感じだったので、もう少しゆっくり見られればよかった。
残念ながらスカイライダーと藤枝梅安のミイラは公開されていなかった。

讃衡蔵
金色堂、覆堂の中は撮影禁止

現在、金色堂を保護する形で建てられている覆堂は1962年に建造された鉄筋コンクリート造のもので、木造の旧覆堂は場所を移して別途開放されている。

旧覆堂

なお、旧覆堂の手前に映り込んでいる通り、松尾芭蕉の史跡もあちこちに見られた。
奥州藤原氏、源義経、松尾芭蕉がコンテンツの3本柱になっている模様。
本堂、金色堂、讃衡蔵以外にも経堂をはじめ諸々の史跡が山中に点在しており、滅多にない機会ということで一通りを巡った。

中尊寺離脱後は、柳之御所遺跡、無量光院跡、観自在王院跡等の史跡を散策。距離的に近いところに密集しているので欲張ってしまったが、毛越寺以外は遺構らしきものはなく、縄張りやら立て札があるばかり。
これがホントのつわものどもが夢の跡ってわけ。

無量光院があった池、島
柳之御所跡地

毛越寺の庭園はなかなか立派で、回るのにけっこう時間を使ってしまった。
本当は金鶏山にも登る予定があったが、体力と時間の問題で断念。

毛越寺

昼食はわんこそばでもと考えていたが、時間が厳しくなったので道の駅平泉で適当に済ませ、宿泊地鳴子温泉に向かって移動。
この旅は移動、観光のバランスがわりとシビアで、振り返るとだいたい昼食が犠牲になっていた。

この日の宿は、姥乃湯。
義経の逃亡中、北の方がこの地で出産して産湯を使い、子が鳴き声をあげたことにちなんだ地名が鳴子であり、その時の産湯がこの姥乃湯なんだとか。ホンマかい。

こけしの町ということで、ところどころにこけしのモチーフが見られるが、全体的に鄙びた感じ。

宿も鄙びている

家族経営だな、という感じの宿で、夕食の茶碗蒸し(熱)をお手伝いの小学生が伸ばした袖で包んで配膳してるのをみんなで見守ったりしながら令和最初の夜は更けていったのであった。


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