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歩み寄って、こんぷろみす。ドイツ生活のぼやき - 18

「こんぷろみす」
ドイツ語で書くと「Kompromiss」。

「妥協」とか「歩み寄り」とかそういう意味です。
日本語でも英語からの外来語として、時々使いますよね。「コンプロマイズ」かな。

歩み寄りの難しさを感じたので、今日はそのことについて書きます。


咀嚼音が大の苦手

まず、わたしは咀嚼音がとても苦手です。日本でもドイツでもイタリアでも、口を閉じて食べるのがマナーとされていますし、くちゃくちゃしてはいけないと教わりますよね。西洋の方が、そのしつけは厳しくされるようですが、日本ではわりと「くちゃくちゃ食べ」をする人に出くわします。

出くわすなんていったら失礼だと思うのですが、わたしはたぶん、「苦手」のレベルが人よりも高くて、咀嚼音を聞くと虫唾が走るような感じになって、ぞわああっとして、苦しくて、めまいがして、目の前が真っ白だか真っ暗だかになって、死んでしまいたくなるようなつらさに襲われます。

(そしてそれは咀嚼音だけでないし、さらに視覚的や触覚的にも苦手なものが多いので、もっとやっかいなのですが……)

だいたいくちゃくちゃするのは高齢の男性に多いのですが(わたし調べ、後述)、ドイツの同じ街に住む日本人の男の子も、まだ20代ですが音を立てて物を噛むし、スープも大きく「ズルズルッ」と音を立ててすするのです。なぜ!

でも人を変えることはできませんよね。歩み寄って、妥協点「こんぷろみす」を見つけなくてはいけません。

クチャラーな友だちのための「こんぷろみす」

上記の男の子と楽しく過ごすためにわたしが見つけた「こんぷろみす」は、家には招かないこと、食事をともにするときは少し賑やかなレストランなどを選ぶこと、などです。

彼に「その食べ方をやめて」といったことはありません。やっぱり言いにくいことですし、食べ方を指図するのもなあと思ったからです。

でも、彼は前々から「パートナーが欲しい」と言っており、この食べ方のせいで対象外にされてしまうのではないかなと思うわたしと別の女友達は、言うべきかどうか悩んでいるところです。

でも彼は所詮は他人です。一緒に暮らすわけでもないし、いやなら一緒に食べないという選択もできるので、あまり深刻に悩んでいるわけではありません。

父と祖父

問題は、そう。わたしの父と祖父です。念のため、父方の祖父はすでに他界しており、ここで登場する祖父は、母方の祖父です。

わたしの父は、物を噛むときにやたらと顎を動かすし、ちょっと口を開けて食べるので、くちゃくちゃというか、ぺちゃぺちゃと音が聞こえます。やたらと歯をガチガチするせいで、わたしにとっては視覚的にも厳しいです。

歯を磨いたら、シィ~ッ!!という変な音を出すし、飴を食べればチュパチュアと音を鳴らします。そのうえ、久しぶりに帰省(一時帰国)しても、大音量でテレビばかり見て、うるさいのです。

……後半は咀嚼音から少し離れてしまいましたが、まあ、とにかくわたしの父はクチャラーなのです。お酒のつまみにスルメなんて食べた日には……はぁ……。

祖父はというと、おそらく入れ歯のせいでしょうか?
「ぐっしょぐっちゃくっちゃんべっちゃん」と、ものすごい音を立てて食べます。

いいや、あれは入れ歯のせいではないでしょう。
祖母も入れ歯ですが、静かに食べていましたもの。

祖父のことはあまり問題ではありません。彼はわたしと食事することにこだわりはないので、いやなら部屋を離れていけばいいし、同居していたわけでもないので、つらい時間も少なかったのです。

でも、父も祖父もこうなのだから、「わたし調べ」で高齢の男性にクチャラーが多いという風に書いたのでした。

父に対する「こんぷろみす」

さて、今度わたしは一時帰国するのですが、問題は父との食事です。

わたしの実家には、母と父と愛犬が住んでいます。うさぎも住んでいましたが、少し前に亡くなりました。食事となると、人間は「母」「父」「わたし」だけなので、基本的に一緒に食卓を囲むことになります。でも、先に書いた通り、父は素晴らしいほどのクチャラーです。

前回帰国した際には、まず「そもそも一緒に食べない」ことを実行しました。すると、どうでしょう。一緒に食べたって、彼の視線はわたしを通り越して、テレビに向けられます。くっちゃくっちゃしながら、黙ってテレビを見て、運ばれてくる料理を食べるだけなのです。それなのに、一緒に食べないと今度は不機嫌になるのです!!

いやあ、納得いきません。母に「お父さん、寂しそうだけど。ま、お父さんがああなんだから、好きにしていいんだよ」と言われ、困り果てた結果、飛行機用に持っていた耳栓をはめてみることにしました。

母に確認してもらうと、正面からははめていることもわからないそう。はめてみた感じは、声は聞こえるけれど雑音が遮断される、といったところ。

いざ食卓についてみると、父は嬉しそうです。テレビを見る時間も多いけれど、会話もありました。なるほど、たしかに寂しかったのでしょう。

でもわたしにはそれでも厳しいんです。だって、目に入るのはくちゃくちゃしている口。ときどき物もこぼす口。聞いたことがある音だから、見た目から音まで自動的に連想してしまって、気持ちよくはありません。

対話で解決はできるのか

できません。

なぜって、もう10歳ころから悩んでいて、何度も試みました。

「口を閉じて」
「くちゃくちゃしないで」

機嫌が良いときは、ふざけて(面白くないですが)わざとくちゃくちゃしてきます。麺を食べているときなんかは、異常なほど大きな音を出して、ヘラヘラして見せてきます。「これが日本の伝統的な食べ方だ!」と。麺は確かに啜りますけど、限度というか、加減というものがありますよね。彼はそれを知りません。

機嫌が悪いときは、もっと悲惨です。ものすごく怖い顔をしてため息をついたり、「良い加減にしろ」と言ったりするのです。そして「食べるときくらい気持ちよく食べさせてくれ」「飯がまずくなる!」などと吐き捨てます。

わたしの言い分としては、「わたしにも気持ちよく食べさせてくれ」「美味いごはんを美味いまま食べさせてくれ」といったところなのですが。それが無理なら、別で食べますよと言っているのに、そうすればまた機嫌を損ねて、わたしの実家での居心地が最悪になるのです。

どうしたらいいですか?耳栓をしてつらい思いをこらえて一緒に食べるのが親孝行なのでしょうけれど。

不機嫌になったり、娘に捨て台詞を残したり、なんて子どもっぽいのだろうと思います。祖母も「おとーさん(祖父)はくっちゃくっちゃ食べるんだ、何度言ってもダメ、育ちがそうだから!」と文句を言っていたのを思い出します。祖母も指摘する度に機嫌を損ねる祖父にあきれて、もう何も言わなくなったようでした。

対話でなんとかなったこと

一応、対話を通してなんとかなった経験もあります。

前回の一時帰国時に、マニュアル運転の腕を磨いておきたいと思って、父と軽トラで夜のドライブに出かけたときのこと。助手席に座る父の口には、飴玉が入っているらしく、かなりの頻度でチュッパチュッパと嫌な音が聞こえます。運転中はもちろん耳栓なんかできないし、距離もかなり近いので、不快感もすごいです。

ただ「イヤ」というだけでなく、ほぼパニックになってしまうほどの不快感なので、どうしようもなくて、勇気を出して言いました。

「ねえ!それ、音出すのやめて」

すると、むっとした表情で「あぁ?」とひとこと。わたしはすかさず、

「病気なの!無理なの!集中できなくなっちゃう!危ないから」

と伝えました。父はため息をついて、窓からブッと飴玉とつばを吐き捨てました。(この人、なんでも吐き捨てるんですね……)

「はいはい、はやくやれ」

そういって落ち着いた風に(?)、運転講習が始まって、ある程度楽しく会話をしながらドライブを楽しんだのです。

これは父からの歩み寄り「こんぷろみす」だったのだと思いますが、わたしにとっては帰国すらためらうレベルで怖い経験のひとつです。

おかしいのは自分かも

ここまで極端に特定の音などを嫌って怖がるのは、もはや病気なのかもしれません。「音嫌悪症(misophonia/ミソフォニア)」という症状を数年前に夫が発見しましたが、それなのかなと思っています。

当時まだ同棲中の彼氏だった夫に対しても、咀嚼音ではない特定の音や動作が苦手で、嫌な態度をとってしまったことがあり、そのとき説明しました。わたしが彼を嫌っていないことは明らかだったので、極端さを心配した彼が調べてくれたのです。

わたしは日本では音大の出身なのですが、やはり音に敏感な人も多いのか、同じころに似た症状で悩む友だちを見つけました。大学内の精神科医の先生も、この大学には発達障害と呼ばれる特徴をもつ学生も多いと言っていました。わたしもその傾向がありそうとのこと。

だから、わたしがおかしいのだろうとも思うのです。普通は、くちゃくちゃは嫌なものだけれど我慢できる程度のものらしいのに、わたしにはそれができないのです。それを説明しようとしても、わたしの父は聞こうとしないので、無理なのです。でも説明を聞いて納得してくれというのも、強引なのかな。

母も実は長い間、話を聞こうとはせず「あなたがおかしい」という態度だったのですが、何度も説明を試みて、母は分かってくれるようになりました。母の動作や音に反応して、パニックになったりチックのような動きをしてしまったりすると、ため息をつかれるのは変わりませんが、逃げることと耳栓をすることはある程度は許してくれます。

今回の話は単に悩みの吐露になってしまいました。わたしは、父にいろいろと強要しすぎなのか、それとも父が「妥協点」を見つける歩み寄りを一切してくれていないのか、わたしが異常なのか、いまいち客観視できていません。

夫が動作に気を遣ってくれたり、ビデオから嫌な音が流れそうなときには奇声をあげて聞こえないようにしてくれたり(笑)、うるさい街を歩くときのためにノイズキャンセリングイヤフォンを買ってくれたり、わたしが耳栓やイヤフォンで耳をふさぐことを咎めなかったりと、多く歩み寄ってくれているので、その分、実家での生活に対する不安が大きいんです。

今度の一時帰国で1か月ちかく実家に滞在するので、今からソワソワしています。母と愛犬と、施設にいる祖母にできるだけ多く会いたいという思いが強いので、帰るんですけどね。ああ、やだなあ。

10歳から悩んでもう20年近くですよ。ああ~やだ~!

似たような悩みがある方や、アドバイスがある方、コメントお願いします。

おまけ

ところで、運転に行く前に父が唾とともに吐き捨てた飴玉は、自宅の車庫内に落ちました。安心してください。

街に出かけるときはイヤフォンや耳栓が欠かせないんですけど、もしものときに音が聞こえづらいとこわいですよね。東京でも基本は常に耳栓をしています。東京は大好きなのに、音がなあ。

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