桃歌ちゃん

 気が付いたら桃ちゃん、と呼んでいたので、それが一般に言うところの「叔母」であるということは、随分と後になってから知った。母は「桃歌」と呼ぶ。「桃歌はああいう子だから」が口癖だった。桃ちゃんは母の妹で、なんだか変な人だった。でもわたしは幼いころから遊んでもらっていたから、何かおかしいみたいなことはあまり意識したことがなかった。「お姉ちゃんはあたしのことを馬鹿にしてるのよ」が桃ちゃんの口癖だった。確かに少しばかり、わたしの母は桃ちゃんのことを馬鹿にしているというか、下に見ているような風はあったと思う。だけどそれもわたしにとってはいつも自然なことで、自然じゃないことは大人になってから、外野から知らされたようなものだ。わたしはあまりにも、自然にこの姉妹の中に住んでいたからだ。桃ちゃんに教えてもらった遊びは数知れない。ここは大都会の真ん中で、ワイングラスを回す役を桃ちゃんがやって、わたしは彼女のお世話係だった。そういうことを母はとても嫌がった。なぜ子供であるわたしがお世話係役になるのか、とても嫌悪感を抱いていた。わたしはたいていそのお世話係が気に入っていて、なぜかというと、「ミーシャ、(なぜかわたしは外国人という設定だった)一番大きい冷蔵庫に(これまた冷蔵庫がたくさんあるという設定で、「一番大きい冷蔵庫」は実家の本物の冷蔵庫に該当する。他の「冷蔵庫」は、わたしの勉強机や、母の鏡台だった。)フランスの30年物のワインが入っているから、取ってきて頂戴。」などと桃ちゃんがわたしに具体的な指示を与えると、わたしはそれに匹敵する何かを持って桃ちゃんのもとに行くのだ。それは子供のわたしにとって、如何に良いものを持っていくか、品定めの目を試されているようで、楽しいけれど真剣そのものだった。桃ちゃんはわたしがもってきた、例えば父の万年筆、(これは確かに良さそうなものだけど、ワインという感じじゃないわね、と桃ちゃんは言った、)祖母から送られてきた高いりんごジュース、(桃ちゃんは、ふむ、という顔をする、)をわたしと同じ真剣さでもって、品定めした。そして気に入ると、「ありがとうミーシャ、いただくわ。」と、それが何であろうと、飲む真似をするのだ。

桃歌ちゃんは労働を嫌った。母は労働が好きだった。労働により得たお金で、私たちを養うことが好きだった。桃歌ちゃんは一日を朝の4時に始める。仕事もないのに東京まで行く。東京に行くすがら、人生について延々とツイートしている。(桃歌ちゃんはラインはしない。ツイッターのアカウントはある。フォロワーはたいてい、何も呟いていない正体不明のアカウントか、ギャルっぽいプリクラをアイコン画像にしている、やっぱり正体不明のアカウント、ごくたまに政治的なアカウントもある。)わたしは鍵アカでこっそり桃ちゃんをフォローしていた。彼女のツイートは「朝の4時。これからわたしのための、わたしによる一日が始まる。」とか、「東京へ行く道はこんなにあるのに、こんなにひとつの道が混んでいる。わたしの道はわたしだけのためのものなのに。」とかいった感じのものだった。母はツイッターとかそういったものは嫌いだったが、連絡手段のひとつとしてラインは持っていた。わたしが桃ちゃんをフォローしていることを知っているので、「ももはどうしてる?」「またふらふらどっかいってない?」「炎上してない?」といった心配のラインが送られてくる。そういうわけで、わたしはいつも夜のうちにスマホの充電をフルにしておく。次の日の朝から始まる、彼女たちのコミュニケーションの仲介者としての役割を全うするためだ。

桃歌ちゃんはまずうちに住んでるから家のお金の心配はいらないけど、やはり仕事をしていないので限られたお金しか持っていない。かつて若いころ、ちょっとだけやっていたメイド喫茶、あるいは水商売、で得たお金の余りだ。水商売を、本当にお水の商売だと思っていた桃ちゃんの話は何度も聞いたことがある。「水道水ってほんとにまずい、だから本物のお水を売ることが出来る、わたしにとって天職だと思った」と言っていた。でもわたしが赤ちゃんだったころ、どうしても忙しくて母が桃ちゃんに作らせたミルクは、水道水で作ったらしい、と母が言っていた。「桃歌は言ってることがほんとかうそなのか、よく分からない。」母は桃ちゃんを愛しているから、言ってることがほんとかうそか分からないことが、ほんとうに困っていることだった。

ほんのわずかの、桃ちゃんと母の共通点を挙げるとしたら、生まれつき茶色がかった髪の毛と、薄い唇だけど、わたしが真っ先に挙げるのは、「ももいろのきりん」を読み聞かせしてくれたことだった。ふたりとも、この絵本を読み聞かせしてくれた。内容は忘れた、ただ、桃歌ちゃんは大仰に、まるで女優のように演技して読んでくれた。母は、ボランティアで読み聞かせをしていたこともあって、(読んでいる人間ではなく、物語に子供たちが集中できるようにすることに、彼女は心血を注いでいた。)割と静かに、淡々と読んでくれた。どちらのきりんもももいろだった。どんな読み方をされても、わたしはももいろのきりんを作りたくなったし、クレヨンはピンク色からなくなった。

最後に彼女たちに、ちいさなももいろのきりんを作ってあげたのは、いつだったのだろう。わたしは、娘の百花にちいさなももいろのきりんを作らせた。そして、ふたりしてふくよかなまま、幸せそうに棺に眠る彼女たちの手の上に置かせた。



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