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突然ひとり渡韓をした話⓪

ある日、新たな推しに出会う。

たしか、3月、いや4月あたりだったと思う。
私は突然、BTSのジミンちゃん沼に落ちた。
ソロ活動の準備で練習室にいるジミンちゃんのYouTube動画をたまたま見かけた。
床に座って、自分自身に「할 수 있어.」と声をかけているその瞬間を見ただけで落ちてしまった。
自分で自分をひっそりと鼓舞する姿に
胸を打たれ、こんな人になりたいと思った。
そこからジミンちゃんを応援しはじめたのだが、
その話はまた後で詳しくしたいと思う。

そうして韓国の推し活に初めて踏み入れた私。
生粋のジャニオタとして育ってきたので、
何を取っても新しい世界だった。
この後、さらに自分の世界が広がる事になるとは。

Stray Kidsってなんだ

ジミンちゃんを追いかけるうちに
色々なKPOPアイドルを知った。
前から母が気になると話していたStrayKidsも。
母の日のプレゼントを考えていたので、
丁度始まるツアーの福岡公演チケットを取った。
曲と掛け声を勉強して私も一緒に行ってみた。
勉強する間に色々なコンテンツも見た。
もちろん全員のことを大好きになったが、
中でもフィリックスとリノに惹かれた。
この時、既に私は間違いなくSTAYだった。
実際のコンサートは期待以上で、メンバーが日本語を話す姿を見て、準備のことも考えるとファン想いでとても嬉しかったし、とても楽しかった。

でも私には少しだけ違和感もあった。
コンサートには翻訳の方がいて、
メンバーも日本語を一生懸命話してくれる。
「でもこれは用意したもの、整頓されたもの。
とっさに推しが話す言葉そのものは分からない…」

オタクとしてそんなことがあっていいのか。
推しの話していることが分からないなんて。
メンバーたちは健気に日本語を話してくれる。
少ない隙間時間で勉強して、
出来るだけファンに伝わるように頑張って。
私は日本語しか分からず推しの努力に頼るだけ…

自分にショックだった。
自分が今のまま変わらないという安心よりも
言葉を勉強して変えなければと思った。
推しの気持ちが100%分かるわけではないけど、
推しの言葉を分かるようになりたかった。
「할 수 있어.」
仕事があっても、予定があっても、
私なら出来る。ジミンちゃんから学んだ。

そうして韓国語の勉強を始めた。
ハングルの母音、子音からひとつずつ。
寝る前にDuolingoで1項目でも学習を進めた。

25歳、色々あって自分を見つめ直した。
変化が大嫌いで現状維持が何より好きな私。
25歳まで長いものに巻かれ続けてきた私だが
韓国語の勉強は「推し活」のひとつとはいえ、
私なら出来ると、何かに挑戦する勇気をくれた。
折角なら今しか出来ないことを色々やりたい。
そこで今年は何か初めての事に挑戦すると決めた。

挑戦すると決めたのは8月だった。
6月にBTS FESTAを初めて経験した私は、
本国の熱量、イベントに憧れを持った。
「ジミンちゃんの誕生日に渡韓してみたい」と
ずっと考えるようになった。
そして、初めての1人海外旅行に挑戦することを決めた。

10/13を含む4日間の日程を計画し、
ホテルを取り、航空券を初めて探した。
色々行きたい場所やしたいことに目星をつけた。
INFPすぎるので、計画は苦手だった。
苦手だったので計画を考えている間も、
私はスキズのコンテンツを見続けていた。
今度は弟を連れて大阪公演にも行った。
少しずつ、少しずつ、スキズの好きが増した。

ある日、スキズのソウルコン続報が発表された。
それは日程変更の知らせだった。
私が渡韓するつもりだった次の週に。
「行くしかない」
そう思った瞬間、有給をずらし、
ホテルを変更し、計画も全部変えた。
彼らの本拠地で会ってみたいと強く思った。
チケッティングは全く初めてだったが、
自宅から3時間粘って一般で取れた。
我ながらかなり急旋回をしたのだが
こうして、10/21を含む4日間の渡韓になった。

これが渡韓までの一部始終である。
自分自身のメモ代わりなので乱文だが、
自分にとって変化の強い期間だったので
心に留めておきたいと思う。

次のnoteは実際の渡韓の思い出を。

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