短歌における批評用語について

よく、歌会などで「類型的、既視感がある」「即き過ぎ」「説明している」「手垢のついた言葉」などと指摘されます。私も短歌を始めた頃、これらの言葉がどういう意味なのかわかりませんでした。しかし、決して褒められてはいない言葉であることは当初からうっすらと感じていました。現在も完璧に分かっているわけではないのですが、私の知りうる又は理解している範囲内で、これらの言葉について書いてみたいと思います。もしも、違っていたら、その際は(DM等で)ご指摘ください。

○類型、既視感
厳密には類型と既視感は違いますが、ほぼ同じような意味につかわれています。
「類型」とは、既存の「型」にはまっていて特徴、個性のない、ありふれている、ということです。 既視感とは、過去にどこかで見た、少し言葉遣いは違っているけど殆どが一致している、というような時に使います。

一例として
○瀬を早(はや)み 岩にせかるる 滝川(たきがは)のわれても末(すゑ)に 逢はむとぞ思ふ/崇徳院(百人一首)という歌があります。
意味は、「川の瀬の流れが速く、岩にせき止められた急流が2つに分かれる。しかしまた1つになるように、愛しいあの人と今は分かれても、いつかはまた再会しようと思う、というような意味です。

そこから、川の流れを
①恋の行く末、②あなたとの恋の成就、③失恋、などに例えて歌うことがよくあり、それを「類型」といいます。この場合、「川の流れ」が既存の「型」と言えます。

また、ネットで調べたら
○北へ行く雁ぞ鳴くなる連れて来し数は足らでぞ帰るべらなる/古今和歌集
きたへゆく かりぞなくなる つれてこし かずはたらでぞ かえるべらなる
歌の意味は、「春が来て北国に飛び帰る雁の鳴き声が聞こえてくる。あのかなしそうな鳴き声は、日本に来る時には一緒に来たものが、数が足りなくなって帰るからなのだろうか」というような意味です。
(この歌の由来は、ある人が夫婦ともどもよその土地に行った時、男の方が到着してすぐに死んでしまったので、女の人が一人で帰ることになり、その帰路で雁の鳴き声を聞いて詠んだものだと書かれています。)
雁は群れで春に飛来し、秋に再び群れで北の国(シベリアなど)に帰ってゆく渡り鳥です。古くから仲間どうしの絆、固い友情、夫婦の絆などに例えて短歌の言葉として使われてわれてきました。
したがって、「雁」を使って、仲間どうしの絆、固い友情、夫婦の絆などを」連想させる歌は「類型」であるとされています。

では、最近の歌ではどうでしょうか。
例えば、昔から男の子は「汽車・電車」、女の子は「花(薔薇や百合など)」に例えられます。また「ひまわり」は「夏」をイメージさせる言葉であり、これらは広い意味での「類型」だと言えます。
○この味がいいねと君が言ったから7月6日はサラダ記念日/俵万智
サラダ記念日が刊行された後、「記念日」という言葉がたくさん短歌に使われました。最近では、「千の風」(秋川雅史)がヒットした直後、短歌で「千の風」という言葉がたくさん使われました。これもある意味の類型といえます。
また、既視感ということで、こんな歌があります。
○したあとの女のようにからっぽのボトル鉄橋から投げ落とす/Aさん
この歌、「したあとの朝日はだるい 自転車に撤去予告の赤紙は揺れ/岡崎裕美子」が連想され、既視感のある歌だといえます。

○手垢のついた言葉
「手垢のついた言葉」ということを、時々歌会で言われることがあります。これは、すでに多くの人に使われて陳腐化していることを意味する言葉のことです。
言い換えると、陳腐な ・ 新鮮味に欠ける ・ 目新しさのない ・ ありふれた ・ ありふれている ・ ありきたりな ・ 何かと似たような ・ いまさら感のある ・ ありがちな ・ 一般的な ・ オーソドックスな ・ 確立された ・ ベタな ・ テンプレな(決まり文句的な) ・ 普通の ・ 普通な ・ 面白みに欠ける ・ 面白みのない ・ やり尽くされた ・ 有り触れる ・ ざらにある ・ どこにでもある というような言葉とほぼ同義語と考えられます。
慣用句にはそういった言葉が多いように思います。
例えば、「開いた口がふさがなない」「同じ釜の飯を食う」「蜘蛛の子を散らす」などです。ネットで調べればたくさん出てきます。
また、70年代~80年代中期のニューミュージック全盛のころ、ユーミンとか佐野元春なんかが流行っていて、ユーミンの歌詞の中の「悲しいほどお天気」とか「昨晩お会いしましょう」とかいった言葉のセンスが眩しかったけど、それをみんなが使うようになると陳腐化してしまいます。
いずれにしれも、自分自身で発した言葉でなく、既に発表された言葉や引用された言葉、大衆の中に深く浸透していて多くの人に使われている言葉は「類型」であり、かつ既視感があるということになります。詩歌において大切なのは(何度も他人が使い古した表現ではなくて、自分で考えて自分の言葉で表現する)ということです。

余談ですが、最近、穂村さんのエッセイの中で、「人が感動する要素ってシンパシー(共感)とワンダー(驚異)の二つがある」と書かれています。共感はその時の自分の価値観を肯定してくれる快感であるが、ワンダーは逆でその時の自分を破壊して世界を更新するベクトルがあり、世界を覆すのはワンダーである」と述べています。短歌をふくめた詩歌の中では、共感も大切ですが、驚異を感じさせるためには従来使われていた言葉では限界があります

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