自分への文句

本当に自分がつまらない。なんていうか、「うまくやること」を覚えたというか、「大人になった」というか。強弱のつけ方や他人への気遣いの仕方を身に付けて、くそつまらない状態になった感じがする。

特に大きいのはお金だ。

お金のない頃は、まだギリギリ見る価値があった。数字が全てじゃないけど、Twitterのフォロワーも1ヶ月に200〜300人伸びてた。

でも、お金と男が安定したらくそつまらない人間になった感じがする。ちょうどフォロワーも増えなくなった。

安定が私をダメにした。

安定すると、自分を肯定する。味方がいる。幸せな雰囲気が漂う。変化がない。そりゃくそつまらないに決まってるよね。

不安定な時は、自分を否定する。味方がいない。不幸な雰囲気で、自分より不幸な雰囲気だから応援しやすい。変化がある。それ自体が面白くなくても、変化してるから面白いよね。見世物として面白いよね。

んで、面白い自分になるにはどうしたらいいのか?分からない。安定した今、あえて破壊的な状態を再現したところでそれは「模倣」であり「時代遅れ」であり「今じゃない」。よかった頃の真似をしたところで、物事が上手くいくわけじゃない。

自分で自分のことを面白いと感じていた時は、感情が忙しかった。端的にいうと、辛かった。辛い気持ちが多すぎて、書かずにはいられなかった。自然と書く内容があったし、書くことしか味方でいてくれなかった。だから泣きながら書いた。

でも今は、書かなくても生きていられる。安定した私は、書かずにも生きていられるんだねって知った。8歳から書き続けていた日記も、たまにしか書かなくなった。

安定とは何か正確には言えないけれど、少なくとも私をよくするものではない気がする。一般的には良いのかもしれないけれど、安定してる人間はやり方や内容が似通っていて、面白くない。せっかく生まれた唯一無二の命を、誰かの模倣として使っていいのか。だったら生きてる意味なくない?死んでいいと思う。二酸化炭素を排出するくらいなら死んだほうがいいと思う。

そういえば、死にたい気持ちもなくなった。死にたい気持ちがない=いいことじゃないと思う。私的には、死にたい気持ちがない=生きることを怠けている感じがする。生きることを怠けてるから、死にたくもならないんだと思う。

自分のことばかり考えてるから辛くなるのは分かるけど、他人のことばかり考えるような器の人間じゃないと思う。私は中心でいたい。目立ちたい。真ん中でいたい。誰かのサポートをするために生まれたわけじゃない。誰かを支えるために生まれたわけじゃない。自分にしかできないことがあったから、私という塊が生まれてきた。もっともっと、自分のことばかり考えよう。

何を履き違えて「安定的に稼ぐフリーランス」を目指すようになったの?意味がわからない。人の真似をして安定して、相手の意図を汲み取って作業して、それがやりたかったことなのか?どう考えても違うだろ。違うのに、数字を追うことや誰かに褒められて結果が出ることで本来の感覚が麻痺して「楽しい」なんて思っちゃってアホらしい。自分を見失ってるの極みだと思う。

ああ、こうやって大人って大人になるんだろうね。中庸の意見を探し始めたり、バランスが何より大事だと心から思ってみたり、先輩の意見はとりあえず取り入れたり。

こうやって気づかないうちに「安定」という麻酔を打ち続けて、何も気づかないうちに「一般」「大人」になって、「一応人とは違う自分」っていうありふれた分類に落ち着いて、大したことないガラクタを両手いっぱいに抱えて、ああアホらしい。

月20万円のお金が欲しかったのか?やれば誰でも手に入れられる、どんな方法でも手に入れられるような「月20万」を大事に大事に両手に抱えて、他のものを何も持てなくなってる自分になりたかったのだろうか?んなわけない。

最初は「やりたいこと」があったね。でも今は「やりたいこと」は無いね。「やりたく無いこと」は分かるね。だから「やりたく無いこと」を避ける生活になったよね。

楽だよね、その生活。

楽しく無いね、その生活。

楽が悪いわけでもないし、常に楽しいのも無理。

だけど、くだらない安定に似たガラクタを両手いっぱい抱えてる自分が滑稽で仕方ない。

それが、本当に大事なの?両手いっぱいにくだらないガラクタを抱えて、それでいいの?

自分の意思はどこいった。

便利な人間として使い古されていく、その一部として生きるのが上手になったね。きっと昔の自分が今の自分を見たら、「随分つまらなくなったね」っていうよ。いなフリの同期にも言われるかもね。

安定と不安定は繰り返すんだろうし、またどうせ不安定が来るだろうし、たまにある安定期を楽しめって感じなんだけど。それでもとにかく自分自身が面白いと感じられないのは、半分死んでるのと同じ。延命中に過ぎない。

別にやりたいこともないしこだわりもないから、この生活を続けるのかな。嫌になるね。くだらないガラクタを抱えたら、フットワークが重くなっちゃったよ。いろんな人間やいろんな生き方、場所への興味もなくなっちゃったよ。

何かを切り捨てたら、自動的に新しいものが流入するんだろうね。わかってる。でも、何かを切り捨てる勇気がない。なぜなら「安定」「安心」「最低限のお金」っていう麻酔を大量に打たれたから。打ったのは自分。自己注射、エピペンだね。

つまらない自分を打破して、辛いなりに面白い自分に出会えたらいいんだけど、出会うだけの気合もない。なぜなら不幸じゃないから。不幸ってすごいエネルギーなんだよ。幸福な人間はナニクソ精神がないからね、平和のまま生きるんだと思う。もともと幸福気味な人間はそれでいいかもしれないけど、私みたいな不幸まみれ出身の人間は、幸福だとつまらないんだよ。

両手いっぱいのガラクタをなんとかしたいね。でも「なんとかしたい」って言うことで満足しようとしてる自分がいる。別に、何かを変えようとしてないよね、自分。そういう凝り固まった感じ、両手いっぱいのガラクタを抱えて動けなくなってる感じ、まじで面白くないと思うので早急になんとかしてください、見るに耐えられません。

最近はどんな文章を書くにも「伝わりやすさ」を重視して構成を組んだり、ちゃんと推敲したり。だから読みやすいんだろうけど、自分は薄いよね。(ちなみにこの文章は伝わりやすさや構成を一切考えていない。)

伝わりやすさを一切度外視して、構成なんて組まずに書いていた、「書きたいことありきの文章」の方が面白かったよね。

何になりたいのか、戻りたいのか、憧れてるのか。どうしたらいいんでしょうね。とか聞いてる時点で、外に答えを求めてる時点で、もうクソつまらない。

自分の状態を「クソつまらない」で片付けてる自分が何よりもだめだ。

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ななの哲学

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