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いなフリで仲良くなった岡山の兄ちゃんの実家に行った話

いま、電車の中です。スマホで打ってます。倉敷から山陰のとある駅を目指しています。

きのう、いなフリで仲良くなった兄ちゃんの実家にお邪魔していました。岡山の田舎にある、行き止まりの道の手前にある古民家。トイレも水洗じゃないような古くて大きい古民家。

たった1ヶ月前に初めて会って、2週間くらい前からよく話すようになった、兄ちゃん。

たったそれだけの仲の人の実家に行くなんて、端から見たら非常識かもしれない。あまりにも軽率な行動かもしれない。でも、私は心地よかったから、その心地よさに身を任せてこの土地までやってきた。

よく知らない人の日常。観光とはまた違う旅。他人の日常に突然入り込んでしまう非日常。岡山の兄ちゃんの部屋は物がたくさんあって、高校時代の写真とかが貼ってあって、人間にはそれぞれ歴史があるのだと思わされた。それは大層な歴史ではないかもしれない。なんの変哲もない、日常の積み重ね。だけど部屋に入らなければ、岡山の兄ちゃんの昔の写真なんて見ることがないのだから、なんだか過去を覗き見て楽しかった。

いなフリは、リテラシー高めでTwitterをばんばんやってる都会の若者、大学生が参加するものだと思ってた。でも、岡山の兄ちゃんは、そういう人種ではない。田舎で暮らし、高卒で就職し、都会に住んだことのない人。フリーランスの言葉も有名な人も知らなくて、「インフルエンサーって何。風邪か?」とか言うような人。日本地図を書かせても、東京の隣に愛知を書くような人。

そんな人、そんな田舎に住む高卒の兄ちゃんがいなフリに参加して、私と同じくらいライティングで稼いだということに、改めてびっくりした。国立大に通う私より明らかにリテラシーは低いし、勉強もしてこなかった人。そんな人がよくここまで勇気を出していなフリに参加し、誰よりも効率悪く頑張ったこと、すごいなーって思った。

岡山の兄ちゃんは、優しい。ものすごく歳の離れた兄弟がいるせいか。とにかく優しい。いい人。絶対に不機嫌にならない。頭痛でもニコニコ。お腹すいてもニコニコ。無理してるわけじゃなく、自然にそうなっている人。私が「千葉大に通ってる」って言っても、よくわからんって言う人。なんの眼鏡もなしに私と関わり、ただただ無償の優しさをくれる。今までにない人種。そもそも30歳手前の人にタメ口で話すことなんて無かった。

見知らぬ土地の、名前も知らないスーパー。そこでお惣菜を買い、ティッシュを買い、兄ちゃんの車で実家に帰る。「誰かの日常」という非日常に溶け込む自分が誰なのか分からなくなって、謎の懐かしささえ感じて、初めての場所なのに、もう何度も来たような錯覚に陥った。

人間の出会い、出会う場所があまりにも面白い。千葉大学に通う秋田出身の大人しめな女が、岡山から出たことがなかった高卒の兄ちゃんの実家に行く。彼氏でもない。意味が分からない。旅行じゃない、観光じゃない、これは旅だ。これが旅だと思った。

こんな風に定期的に「よく分からないけど温かくて優しい出会い」を積み重ねて、透明人間になって、他人の優しさによって自分が作られてゆくなら、まだ生きててもいいかな、と思えた。

旅をして、死んで生まれて、死んで生まれて、生まれ変わって、人に優しくされ、なんとなく生きていくのも悪くない。

こんな話を聞いて、「なんてチャラチャラしてるのだろう」と嫌悪感を抱く人もいるだろう。でも、いいのだ。心地よいもの、気楽なもの、温かいものに人は流れていく。自然が一番。

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