見出し画像

Twitterのフォロワーが1000人を超えて変わったこと

1000人超えたあたりから、雰囲気の変化を感じる。1000人超えた時期といなフリで10万稼いだのが同時期だったので、どっちの影響が大きいのか分からないけど。

まず、仕事の依頼がくるようになった。「仕事募集してます」って言い始めたからかもしれないけど、普通にDMから依頼がくるもんだな〜、と思った。Twitterから仕事がくるのって、冷静に考えて面白すぎる。だって、高校生の頃はひたすら愚痴と「死にたい」、学校の嫌さ、彼氏とのモヤモヤを書いてただけの、鍵つき、本名なし、アイコン卵だったからね。フォローもフォロワーも一桁で、本当に愚痴用捨てアカみたいに使ってたからね。

大学に入っても、「お腹すいた」「バイトだるい」レベルのことしか書いていないような鍵アカ。

そんなTwitterで仕事がくるなんて、とんでもないことだなぁと思う。


次に、アンチっぽい人(本人的には「意見」「疑問」「正論」かもしれないね)が増えた。大した活動はしてないのに、アンチは一丁前にいる。おかしな話だ。どんだけ人の癪に触る人間なのだろう。ごめんね?でも、見なきゃよくね?と思う。不快なものを見続けたらストレスたまらないのかな、と、少し心配になる。

でもまぁアンチっぽい人は素直なので、意見を聞くと「確かに」「そうだよね」って思う。ファンっぽい人は褒めてくれるけど、褒めてくれる分、自分に対して盲目になってしまう。アンチっぽい人の中には支離滅裂な人、「ブス!」とか言ってくる人もいるだろう。そういう人はフルシカトでいい。

だけど、日本語がまともな人の意見は聞いて見たいと思う。ファンっぽい人は、「おかしくね?」と思っても、黙ってる。それが優しさなのだろう。でも、アンチっぽい人は「おかしくね?」と思ったらすぐに教えてくれる。それは自分では気づかないことだったり、私も「あれ、私おかしくね?」と思いながらもとりあえずスルーしてきたことだったりするので、「だよね、やっぱりおかしいよね」って言いたくなる。

アンチっぽい人の意見は素直だからありがたい。そして匿名だから、こちらにあまり気を遣ってないから、やっぱり、より素直な意見なのだ。

一人そう思ってる人がいるということは、他にもそう思ってる人がいるはずだ。だから、アンチっぽい人の意見は数人の意見なのだ。多分。

自分の意見に賛同してくれる人とばかり関わると、どんどん考えが偏ってしまう。それで粗めに、大きな歩幅で進むのもまぁいいのかもしれない。だけど私はあくまでも色んな意見を聞いてみたい。

私は「フリーランスこそ最高」系の人間でもない。会社員や公務員になれなさそうな、社会不適合感を感じたから、逃げて逃げてフリーランスの世界にたどり着いた。フリーランスと言っても幅広いけど。

そもそも生きたい気持ちがあんまりない。割としょっちゅう死にたいと思う。でも、死のうとすると結構な確率で止められる。だから、死のギリギリの場所で生きている。死のギリギリの場所で生きているので、どうにでもなれ感が強い。

何が言いたいのか分からなくなってきた。とりあえず、アンチっぽい人の意見もスルーしたくないし、ありがたい意見だなぁと思う。ということ。メンタルが雑魚いので、気分が沈んでる時はアンチっぽい人の意見はスルーしたりミュートするけど。元気な時は、見ていたいと思う。


あとは、女性の応援してくれる人が増えた気がする。最初はほとんど男性だったのだけど、プロフィールに「ななさんが好き」と書いてくれる人まで現れた。なんてことだ。女性はずっと仲良くできる感じがするし、認められた感じがして嬉しい。同性に応援されるのって、嬉しいね。


1000人くらいになると、まさかの出会いやまさかの仕事の話、知らない人からの認識など面白いことが増えてくる。

でも、その分ノイズも増える。

フォロワーが全てじゃないけれど、ツイッター大好き人間的には、フォロワー数による雰囲気の変化を楽しみたいと思う。

サポートはお菓子代になる予定です