自由の末路

時間が自由で
金の使い道も自由で
嫌いな人はまわりにいなく
特別な悩みもない人。

うらやましかった。
生きやすそうで、困ってなさそうで、うらやましかった。

思ってたより早く、それになれた。

家でもコワーキングスペースでも実家でも仕事できる。
夜中の布団でも仕事できる。
旅行先のホテルでも作業できる。
だるくなったら休める。
眠いときは眠れる。
だから幸せか?
満足か?
楽しいか?
充実してるか?
と言われたら、「いいえ」と答える。

なんなら
お金がなくて
発達障害感やばくて
苦手な人がたくさんいて
進路も定まってない頃の方が楽しかった。

手持ちの物の数なら今の方が上かもしれない。
だけど、幸せの感度は幸せじゃないときのほうが敏感だから
幸せじゃないときのほうが、幸せを知っていた。

足るを知るというのは難しいことだ。
なにもしなくても足るを知ることができる人は、おそらく極めて育ちのいい人だろう。
どちらかと言えば育ちが良くなくて、成り上がり系になろうとしてる私は、特に足るを知るのが下手くそな人種だと思う。

 

足りているのがだめとは思わないけど
ワタシには合わないのかもしれない。
不満だらけの環境に身をおこうか。
恵まれすぎた環境にいると、幸せの感度がバグを起こして、何も幸せじゃないように感じる。

最近嬉しかったことはなんだろう?
クライアントさんが前払いしてくれたことかもしれない。つまんな。
嬉しかったこと…なんだろう。
前だったら嬉しかっただろうなってことが起きても、全然嬉しくない。感情が鈍ってる?そうかもしれない。

勉強と恋愛しかしてこなかった。なのにその両方が無くなった。勉強はある程度仕事や資格の勉強で補ってるかもしれないけど、恋愛は死んだ。結婚したから。

別に後悔してるわけでも浮気願望があるわけでもない。ただ、今まで機能していた大きな臓器が死んだ。そんな気分。まだ立ち直ってない。

かなりくすぶっているのを感じる。と同時に、周りから見たら別に問題なさそうな状態なのも知っている。

どうしようもないです。

自由な人が増えたら、自殺率は上がると思います。根拠はないけれど。精神的にそんな感じ。幸せの感度のバグる人が増えて、あっちもこっちも「幸せとは」検討するようになるんだろう。不幸な世界。

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