他人のために頑張る方が好き

最近の虚無感の要因が分かった。

対人援助的な要素が足りなかった。

私は「困ってる人」「生きづらい人」をサポートするのが好きだった。

なのに最近は「自分のためにしか頑張れない」と勘違いして、自分のことだけを考えていた。

私は自分のために頑張れる人間ではない。誰かの、特に「困っている人」の役に立つことで生きがいを感じる人間だった。

幼稚園の頃は、発達の遅い友達のサポート係をしていた。着替えやお遊戯会の練習を手伝っていた。

小学生の頃は、人前で絶対に声を発しない子に話しかけていた。野ブタをプロデュースの「野ブタ」みたいな子。下校時で周りに人がいないせいか、少しずつ話してくれるようになり、一緒に帰ることも増えた。「ジャニーズが好き」という共通点で話が盛り上がった。

親同士の会話の中で、その子にとって私が唯一の友達だ、と話があがったこともあった。いつも一人で過ごし、変なヤツ認定されているその子に「友達」だと思われたことがとても嬉しかった。

中学にあがってからは、そこまで仲良くない同級生からパニック障害を打ち明けられた。目に見えたサポートはできなかったけど、メールを必死に返して励ました。

その後は家庭環境が複雑でメンタルがゆらゆらした男の子と付き合うことが多かった。おかげで苦労したり不登校になったりもしたけれど、やりがいがあった。「こういう人を助けたい、だから保健室の先生になりたい」と夢もできた。

大学に入ってからも、相変わらず難しい男の子と関係性を築くことが多かった。時には情に流されつつも、やりがい(?)を感じながら生きた。すでに親の亡くなっている男の子に料理を作って、少しでも安心感を感じて欲しかった。

相手のバイトが3時に終わる時も、起きて待っていたり…。

児童福祉のバイトもした。今話題の「児童相談所」の保護施設。教育実習先の子どもとは全く違う、大変な環境で育った子どもが多かった。難しかった。だけど少しずつでも信用してもらい、一緒に遊んで、勉強を教えた。顔を見ては「伊藤さ〜ん」って近づいてきてくれることが嬉しかった。

思い返せば私はいつも、誰かのために頑張ろうとしていた。「それなりに生きやすい誰か」のためじゃなく、「かなり生きづらい人」を少しでも楽にさせたい、って気持ちで生きてた。

突き詰めれば「役に立ちたい」という自分の欲求を満たすためのエゴなんだけど、表立った欲求は「この人のために何かしたい」。

そうだった。私はいつも「誰かのため」に何かをするのが好きなんだった。

今年はそれを忘れてて、自分のために生きようとした。だけどそれじゃ頑張れない。あんまりやる気がわかない。モチベーションがわかない。

自分がやりたいことなんて、別にない。だからモチベーションなんてわかない。なんとなく作った目標だって、すぐに達成されることばかり。

結婚した。相手は自立したTHE優しい人。家事も料理もしてくれる。だから私の「お世話」は必要ない。

4歳くらいから「誰かのお世話」をしてきたのに、24歳でいきなり「お世話」がなくなった。

だから虚しさを感じたのかもしれない。

私は困ってる人のためなら頑張れる。特に子ども。

理想論だけど、子どもは生まれに関係なく幸せになるべきだ。どこに生まれても、血の繋がりのない親と暮らしても、幸せになるべきだしなることができる。そう信じてる。

児童相談所で働いてる時、子どもと仲良くなると色々なことを言われた。「伊藤さん、楽しい施設作って」「伊藤さん、●●のお母さんになって〜」「一緒に映画見に行きたい!」「次来るまでにミサンガ作っておくね」「一緒にご飯食べたいから隣きて」

子どもにとって私が特別なのではなく、ただ優しくて、外の世界と繋がってる大人に甘えたかっただけだと思う。それでも私はそれを叶えたいと思ったし、何かしなきゃと感じていた。

今は児童福祉から離れてるので何もできていないけど、いずれまた関わるんじゃないかと思う。

それに「児童福祉のためのお金なら、稼ぐ気になるかも」と思う。私はお金を稼ぐこと自体に興味がないし、欲しいものもない。

だけど児童福祉に関するお金なら稼ぎたいって思える。福祉ってお金を生まない分野だから、私が別のところで稼いだお金を福祉に投入することには意味があると思う。

上限がない分野。いくら投入してもお金じゃ解決しないし、足りないし、理想が達成されることは無いような分野。

上限が無いからどこまでも頑張れるかもしれない。やっぱり、児童福祉の役に立ちたい。今は少し遠いところから、児童福祉を眺めて勉強してお金を作ろうか。

ゆっくりでいいから、児童福祉の役に立つ活動をしていきたい。福祉全般でも、なんでも。

まずはいなフリで目の前の人のことを全力で考えたり、隣のおばあちゃんの生活を手助けしたり、そんなことから始めよう。

隣のおばあちゃん、救急車で運ばれてから持病+インフルエンザを発症して、入院しているらしい。あのとき救急車を呼んだのは私だ。もう少し早く異常に気付けたら苦しい時間が短かったよなぁとか、大通りで救急隊を待ち構えていればもう少し早く処置してもらえたかなぁとか思ってしまう。あの場には私しかいなかったのだから。

だけど、夜中2時半に隣のおばあちゃんの声に気づいて外に出て、落ち着かせながら救急車を呼んだのは十分な対応だたよな、とも思う。いや、でも持病を知った時点で少しくらい応急処置の方法を学んでおけばよかったかな。

とにかく周りを見渡して、自分にできそうなことがあったら少しでも介入しよう。ありがた迷惑だったらそれでいい。ありがた迷惑を恐れて人が死ぬよりずっといい。おばあちゃん早く戻ってこい〜。


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