見出し画像

社会から逃れる生き方

社会とは何か分からないけれど

私は社会から逃れて生きている、気がする。


一言で言うと、責任の放棄。

そこに住み続けなければいけない、わけじゃない。

今の仕事をし続けなければいけない、わけじゃない。

苦手な人と関わらなきゃいけない、わけじゃない。

朝眠いのに起きなきゃいけない、わけじゃない。


基本的に、多くの人間と対面で関わりながら生きる場合は、多くの約束が発生する。ルールも発生する。

これが嫌だ。

だけど、この日本で・世界で生きていくには人間と関わらなきゃ死んでしまう。


その折衷案が「ネットで生きる」と「旅しながら(定住せずに)生きる」だ。


ネットで生きる場合、同期的なコミュニケーションが少ない。メールやチャットはすぐに返信する必要がなくて、考えてから返すことができる。だから、相手は人間だけど半分バーチャル。

旅は、責任の放棄だと思う。固定の人間関係や土地への責任があまり無い。実際に旅しながら生活するのは疲れるので、数ヶ月のスパンで住む場所を変えるのがベストかと思う。


とはいえ、どれだけ嫌なものを排除しても、ある程度のノイズは発生する。ノイズは自分の中のモヤモヤになって、書くエネルギーになる。だけど不快。

嫌なものを排除して、逃げて、仕方ないからまた逃げて、ようやく辿り着くのは一人の人間の心の中だと思う。

性格のいい人みたいな発言でさむいけど、居場所は人間の心の中にしか無いと思ってる。

どこにいたって「居心地悪いな」と感じるんだったら、自分の今いる場所を「居場所」と思うか、誰かの心のある場所を「居場所」と思うしかない。

だからね、ネットで稼げるようになって、結婚することも決めた今、結構楽だなと思う。結婚は、家の入手だね。だから売却もあり。

サポートはお菓子代になる予定です