二年前の自分へ

いま、いなフリ参加中だよね。お疲れ様。

2020年2月のななは、山梨県に住んでるよ。もうすぐ3回目のいなフリ講師をやるよ。一年以上前に結婚したよ。もうあいつとは連絡とってないよ。フリーランスで二年間生き延びてるよ。

ななが望んでいたことはけっこう達成できたよ。月20万円稼ぐことを「大きな夢」みたいに思ってたけど、今は普通だよ。むしろ20万円切ったら普通に「やべ」ってなるよ。

ななが望んでいたことはあっさり叶ってる。

望んでたと思い込んでたけど、勘違いだったかも、ってことも沢山あるよ。あいつと結婚して専業主婦になろうとか、いつかは養護教諭になりたいとか、詩人として大成したいとか、旅しながら生きたいとか、農業を生業にしたいとか、その辺は勘違いだったと思うよ。

病んでたり、現実逃避したりのせいで、偽の欲望がたくさんあったんだろうね。

病んでるときの欲望って、本当に信用ならない。病んでるときに好きになる人も、本当に信用ならない。病んでるときに好きになる人なんて、だいたい同じく病んでるか、病んでることにつけこんでくるやつだからね。

病んでるときの「これがしたい」って、偽の気持ちだからね。元気になったらどうでもよくなる。

病んでるときに「これがしたい」って思ったものをずっと大事にし続けてもいいけど、それは病んでる自分に憧れるようなものだから、今後の長い人生を考えたら止めた方がいいと思う。

欲望や希望や夢は変わってしまうね。私の場合それは、病み期が終わったから。

ようやく病み期が終わって、プラマイ0の場所にいるんだと思う。だから前にやりたかったことがどうでもよくなったって、気にしなくていい。

まだ始まってないので、やることを探しては見つからず、「やりたいことなんてないわ」って萎えなくていい。まだ始まってない。

小一ぶりくらいにマシな精神で生活してるよ。ましになりかけの時は、病んでない自分が退屈で死にそうだったね。あえて幸せや安定を破壊したくなってたね。病んでることに慣れてたから、ましな状況を受け入れるのが無理だったよね。

ましな精神を一年くらい続けたら、ましな状況を受け入れるのも大丈夫になったよ。よかったね。

いまの自分は、前の自分とはけっこう好みが真逆になったかもしれない。

金なんていらない→お金はほしいし、お金の話が好き

詩人として生きたい→書きたいときに趣味で書けばいい。仕事は、時代に合ったコスパのよい面白いことをやればいい。

病んでる人に惹かれる→メンヘラとは距離を置きたい

など。病んでるからこその気持ちってたくさんあったんだね。病んでなければ好きにならなかった男の人もたくさんいると思うよ。病んでたから悲しいもの同士、好きだなって勘違いしてたんだろうね。ただ悲しいって気持ちを、誰かを通して感じていたんだろうね。

最近は情緒的なものが好きじゃないね。疲れるし、元々感情重視の人間じゃなかったんだろうね。病んでたから感情寄りというか、エモっぼまいものに惹かれてただけ。一時的なもの。

過去の経験から何かを志すのってあんまり良くない気がする。それが病んでいるときの経験ならなおさら。元気な自分はそれをしたくないよ、たぶん。病んでるとき基準にするのは危険だよ。

別に何が言いたい訳じゃないんだけど。

二年前に望んでたことはさらっと達成できてる。
強烈にやりたいことはないけど、それは現状、元気になった証拠だと思う。
今後どうすべきなのかは知らないけど、とりあえずたった2年でもいい方向に進めたから、今後ももっとマシになれるんじゃないだろうか。

なんか見つかったらいいね。でもまだ25歳、お前はまだまだ若すぎるよって死ぬまで思ってたいね。

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