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いなフリで1番強く思ったこと

いなフリが終わって一日経ちました。ななです。どんどん人が帰っていくのが予想以上に寂しかった。今日は10時半頃起きて、ゆっくりお風呂に入り、フェリーの旅をして、再び金谷に戻ってゆるゆる過ごしていた。

いなフリを通して強く感じたこと、学んだこと、思ったこと、考えたことは、とっても意外なことでした。学んだというよりは、今後の課題というか、無力さというか、そんな類のものです。それは、「どうしたら人を幸せにできるのか?」ということ。

人と言っても、あらゆる人を幸せにしたい、って感じではありません。昔から「目の前の人の幸せを10㎝底上げするんじゃなくて、全人類の幸せを1ミリ底上げしたい」とか言ってましたが、今回のいなフリではピンポイントで「この人を幸せにしたい」と感じました。

特に、きみと、きみと、きみのことを幸せにしたいと思いました。

1人目のきみは、とっても自分に自信の無い人です。笑顔が多いから、きっと楽しい人生を歩んでいたのだろう、なんて勝手に思っていたけれど、そうではないようでした。昔の辛い経験がそうさせてるのか、元々の性質なのか知らない。「なんでそんなにネガティブなの?」って思うくらい自信がない人です。でも、話しかけるといつもニコニコお話してくれて、小学生みたいな純粋な目をしていて、可愛かった。

新卒フリーランスとして生きていくみたいだけれど、頑張ってほしいけれど、なんだか勝手にお母さんの気分になって、心配です。「むりでしょ」って思ってるわけじゃない。なのに、なんか心配なんだ。頑張ればできると思う。でもなんか、心配なんだ。突然いなくなってしまいそうで。

2人目のきみは、落ち着いてて優しい人です。単純に仲良しです。私のメンタルを支えてくれていたお兄さんポジションです。たぶん、私とハイスペック男に次いでお金を稼いだ人だと思う。私とハイスペック男は、そもそも賢くて要領のいいひとなので、目標を達成したけれど、たぶん限界ではなかった。でも、たぶん、あまり要領のよくない君は、限界まで頑張っていたと思う。誰よりも作業していた。1週目からずっと。私は知っている。

心穏やかで、今はお金に余裕があって、普通に地元で生きていくんだと思う。フリーランスでも、どうにかこうにかやってけるのかもしれない。だけど、なんか、どう考えてもフリーランス的な生き方が適職だとは思えない。もっとその人柄の良さを生かして、活躍できるはずなんだ、でもそれはきっと余計なお世話で、「ものすごく頑張ること」「BESTな適職を見つけること」を望んでいるわけじゃない。だから、君がそれでいいならそれでいい。でも「もったいない」とか余計なことを思ってしまう。

何を望んでいるのだろう、何も望んでいないのかもしれない。ゆっくり、まったり、楽に生きられればそれでいいと思ってるのかもしれない。でも、なんだかもったいないと思ってしまう。特に生産性のある趣味がなくて、強みがあるわけじゃなくて、でもすっごくいいひとっていう人種はもっと幸せにきらめいてほしい、とか思ってしまう。まぁ、君に関しては自己肯定感が低いわけでもなく、迷ってるわけでもないから、私が心配したり助ける必要はないのかもしれないね、余計なお世話だね。

3人目の君は、一番気持ちが強いよ。本当にいい子で、周りによく気付く子で、アンテナを張り巡らしている繊細な子。やりたいことがよく分からないし、やりたくないことを頑張れちゃうわけでもないと思うから、辛そうだった。ずっと辛そうだった。でも、誰よりも笑顔が多かった。君のこと、どうやったら幸せにできるのか、救えるのか、考えてた。

恋人になったら、命がけで幸せにする努力ができるのかもしれない。でも、恋人になることをお互い望んでいないし、むしろ傷つけてしまいそうで、それは違うと思った。

私がお金を稼いで雇用したら救われるだろうか?と思った。でも君の自己肯定感の低さは変わらないだろうし、負い目を感じるだろう。

結局私には何が出来るのか?

今の私には何もできない。

こういう人たちを救う?幸せにする?方法はなんだろう。

手っ取り早いのが恋人。でも、それじゃあ一人しか救えないし不安定。

次に、お金を配ること。でも、それじゃいつかお金が尽きるし持続性がない。

次に、雇用すること。でも、私一人を中心とした雇用なんて、マネージャーや秘書、カメラマン、会計・・・たかがしれている。数人しか救えない。

やっぱり、仕組みを作ることが多くの人を救えるし、持続可能なのだ。いけちゃんさんがやっているようなことなのだろう。自分がいない所でも雇用が生まれて、仕事が回っていく感じ。あの循環の感じが、人にお金も与えられて自己肯定感も与えられる形なのだろう。

だから、最終的には仕組みを作る人になりたいな。まずは、自分一人でお金を稼ぐ。次に、自分の周辺に雇用・仕事を作る。そして、自分がいなくても雇用・仕事を作る。自分なしでも回っていく形。

だけどね、究極の話をすると、全員がお金を稼ぐ必要はないのだ。大昔はその家で何人かが働いて、後の人は家の仕事をしたり、畑で食料調達をしていたはずだ。そんな風に、「全員が稼ぐ」ことはしなくていいから、全員で生活を回していければよいのだ。それが専業主婦のいる家族だと言えば、そうなのかもしれない。

コミュニティで、稼ぐ人、稼がない人、役割分担をすればいいだけなのだ。コミュニティは、家族である必要はない。なんらかのゆるい繋がりでいい。

わたしが「幸せにしたい」と考えた3人は、全員、それぞれの形でコミュニティに癒しを与えてくれる人だ。何か秀でた特殊能力、数値化される能力はたぶんないのだけど、圧倒的にコミュニケーションが上手で、人の心の支えになれる人。対人が苦痛じゃない人。周りに不快感を与えない人。

そういう人たちは「稼ぐ」でも「勉強する」でもない役割があるのだ。コミュニケーション能力は高いのに、なんだか社会から外れがちな人。コミュ力が無い人よりも、なぜか生きづらい人。稼ぐ隙間がない人。そういう人はもう稼がなくていいんだと思う。でも、現実問題一人一人が稼がなきゃ、生きていけない、役割分担がうまくいっていない世の中。

どうしたら、役割分担がうまくいくのだろうか。

こういう話って、学問で言えばどんな分野になるのだろう?学びたい。人を幸せにしたいと強く思ったいなフリでした。独りよがりな自分が、「この人やこの人みたいな人のために何かしたい」と思えた、貴重な時間でした。ありがとう。人のことを幸せにする仕組みを作る人になります。稼ぐことに興味のない人は稼がないで生きられる世の中にしたいです。します。

Twitterはこちら@777nanadayo777


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