アラサーの「結婚する気がない」って話を聞いて、勝手に妄想して切なくなった

このnoteは、アラサーの「結婚する気がない」っていうセリフを聞いた私が勝手に将来を妄想して切なくなっただけの話です。登場する人物や場所は架空であり、フィクションです。フィクションです。絶対にフィクションです!心が暗くなったり傷ついたりしても責任は負えません。それでもいい人だけ読んでください。


結婚する気がないのは別にいい。その人の自由だ。でも、悲しい方向に想像し始めると、切なさが止まらない。

一人が好きで西日本の田舎に住んでいる、ゲームが趣味の男。会社員を辞め、フリーランスを志す男。「結婚する気がない」「子供もいらない」。それは自由なのだけど、20年後を想像したら、どうしても切なくなってしまう。

家に帰っても誰もいない。食事はスーパーの値引きされたお惣菜。そんな生活をもう20年も続けている。物に囲まれた部屋でテレビを見ながらご飯を食べる。別にそれが普通だから寂しくないけれど、寂しくないこと自体がきっと寂しいことなんだろう。

定職にはついていない。20年前にフリーランスを目指して講座に参加し、最初のうちはライティングでぼちぼち稼いでいた。だけど、科学的根拠のない記事への規制が厳しくなり、クラウドソーシングサイトは相次いで閉鎖。専門知識なしでライターをするのは難しくなってしまった。

継続案件をしていたサイトも例外なく規制を受けた。ああ、なんとなくこんな感じで生きていくつもりだったけど、そう上手くはいかないみたいだ。別にいい、気にしない。また何か仕事を探そう。特にやりたいことはないけれど。

昔働いていた地元の工場に「雇ってくれないか?」と、電話した。「多分無理だけど、一応会社に来てみるか?」と言われた。車検の切れそうな中古の車で向かう。工場。思っていたより時代の変化は凄まじかった。僕が20代の頃にしていたような仕事はもう全てロボットが行なっているらしい。現場に人間はいない。機械を動かす社員数人だけが会社に残り、元々現場で働いていた人たちは解雇してしまったらしい。専門知識もコネもない自分には、存在価値がないみたいだ。仕方ない。全てのことは仕方ない。2020年代、変化の時代に対して努力もしなかった人間の末路だ。仕方がないのだ。さて、家に帰ろう。

車の窓に映る自分の姿が醜い。昔はかっこいいと言われた時代もあった。モテた時代もあった。だけど今は太って、髪も薄くなり、魂の抜けた顔をしている。なんだか汚い。いけてないおじさんだ。ただのおじさん。こんなおじさんを、誰が相手してくれるのだろうか。スーパーのレジも全てセルフになってしまった今、レジ打ちのおばちゃんの「ありがとうございました」さえ聞くことはできない。

テレビの天気予報では、今日も「46都道府県(秋田県を除く)」と表示されている。5年前に某国からミサイルが飛ばされて、秋田県の沿岸に落下し、もう秋田県には住めなくなってしまったのだ。47都道府県という揺るぎない事実さえ変わってしまった。

そういえば、フリーランスの講座で出会って仲良くなった女の子は秋田県出身だったな。元気なんだろうか?そういえば、金山はいまどんな感じなのだろうか?どうせ仕事もない。会う人もいない。少しの貯金があるから、浜金山駅に行ってみようか。

千葉駅は綺麗だった気がするけれど、随分古くなってしまった。内房線君津行き。内房線君津行き。内房線君津行き。どこを見ても、君津より先にいく電車が見当たらない。

もう20年も関東に来ていなかったから、電車の探し方もわからなくなってしまったのか。いくら高卒だからって、いくら勉強して来なかったからって、生活の知恵まで無くなってしまったのか?これが老いならもういっそ死までワープさせてくれ。

「すみません、浜金山駅に行きたいんですけど、どれに乗ればいいですか?」「浜金山駅はもうありませんよ。」

「え、ないんですか?」「はい…、13年前の南海トラフ関東沖大震災の影響で、あの辺の沿岸は全て更地になったんです。あまりに範囲が広くて復興が追いつかなくて。君津より先は電車では行けません。申し訳ありません。」

懐かしい駅は、もう、ない、らしい。だけどここまで来て戻ってもどうしようもないし、もう死んでもどうでもいい人間なのだから、あの懐かしいコワーキングスペースのあった場所まで行ってみたい。

自動運転のタクシーを手配し、乗り込む。タクシーの運転手をしていた人たちは、一体どこでどんな仕事をしているのだろう?「人口知能が発達したら仕事が奪われる」「いや、やりたくない仕事が減るだけで共存できる」なんて話がされていたけど、ここ数年で行方不明になった人間がたくさんいるのは、この世の中のロボットと人間のバランスがおかしくなった証拠だろう。

あのコワーキングスペースのあった土地は、本当に何もなくなっていた。というか、何もなくて、ここがあそこだったのか、それさえ分からない。GPSがここを指すので間違いないはずなのだけど。どうせ僕の記憶より、機械の方が正しいのだ。受け入れなければいけない。

ネットで調べてわかったけれど、この辺に住んでいた人の多くは震災の犠牲になったそうだ。お世話になった人のほとんどはもう別の地域に移住していたみたいだけど、それでもお世話になったあの人、あの人、あの人は星になってしまった。だから最近星が綺麗なのだろうか。楽しかったはずの時間が本当に幻だったのだ、と思う。

あの頃仲良くしていた秋田出身の女の子も、15年前に亡くなっていたらしい。事故だったらしい。「私って短命な気がする〜」「そうだね、○○ちゃんは短命だろうな〜」「なんかそんな感じするよね。なんとなく」「だね〜」なんて冗談で話していたのに、そんなに早く亡くならなくてもいいじゃないか。フリーランス1年目からたくさん稼いで輝いていたきみの輝きは、死が見えていたからこその輝きだったのだろうか?

この前夢に出て来たきみは、幸せそうだったのに。僕じゃない誰かと幸せそうな家庭を築いてる夢。夢から覚めた時、「ああ、きっと幸せに暮らしてるのだろう」なんて考えていたのだけど。「僕を選ばなくて正解だったよ」なんて、心を納得させたのだけど。もう15年前に亡くなっていたんだね。気づかなきゃ、僕の中ではずっと生きてたはずなのに。

もしもあの時引き止めて、「好き」って伝えてたら、事故になんてあわず、今も生きていたかもしれない。僕も、こんな古い家に一人きりで冷たいお惣菜を食べずに済んだかもしれない。きみは料理が上手だったから。一緒に、幸せそうな、幸せのような家庭を築いていたかもしれない。あれ、結局、結婚したかった?

人生は何度やり直してもこのルートしか選べないんだって、そう思ってる。でも、この部屋で、ふとあの頃を思い出すと、「こうしてれば」「ああしてれば」って、来なかった未来を想像しては心が締め付けられるよ。

平成の次の元号。それも終わってしまった。

平成元年生まれの僕の居場所はないのだろう。もういっそ、自分で死んでしまおう。

はい。

さようなら。

もう何もありません。

誰もいません。

孤独は人を殺します、さようなら。

これは自殺じゃない。

僕は孤独に殺された。

さようなら。


のはずなのに。

さようなら。のはずだったのに。

僕の命が消えかけたことを感知した自宅のロボットが病院へ連絡し、僕の命は生かされてしまったらしい。「孤独死を防ぐため、45歳以上の一人暮らしの家にはロボットを配布します」なんて、残酷な話だ。

自殺もできない時代。

死ぬことさえ選択できない時代。

医者もロボット。命を繋ぐことにそんなに意味はないよって、言いたい。だけど医療用ロボットに、心はない。

死ねない。死ぬことさえできない。こんな気持ちになることを分かっていても、20年前の僕は、「結婚したくない」と言うだろうか。あの子とお別れするだろうか?

この世界には一度だけ、過去に戻れる仕組みがある。ただし、戻った瞬間、記憶がリセットされる。つまり、29歳の頃に戻れば、29歳から今日までの記憶がリセットされるのだ。今使わなくてどうする?今のための仕組みだろ。こんな人生絶対に嫌だ。あの頃に戻って、人生やり直してくる。会いたい人に会いに行く。頑張りたいことを頑張りたい。あの子に好きって伝えたい。29歳から49歳までの僕、さようなら。僕は幸せになります。

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