居場所作りがしたいけれど

一年以上前から言っている、居場所作りがしたいと。子供の居場所作り。既存のもので表現するならば、児童養護施設みたいな場所と子ども食堂みたいな場所を作りたい。それらのフランクバージョン。行政を介さないバージョン。

だけどそもそも福祉の分野はお金を得ることとの親和性が低くて、個人で立ち上げるようなものじゃない。公的な支援(お金的、人的)が物を言う。

大人の福祉に近いもの、大人のキャリア教育に近いもの、行き場のない若者の居場所は私の知ってる範囲にもたくさんある。リバ邸やNPOひとまきの活動、もう少し年齢層が下がるとD×Pなど。どれもそれぞれ素晴らしくて、わたしもお世話になったりもした。

だけどそれらはどうしても、ある程度自分で選択できるようになった大人の居場所。最悪、自分の手でどうにでも未来を変えられる大人が集まってくる。福祉に近いけれど、それでもまだ情報が届く&自分で選択できる「マシな位置」にいる大人が集まる。救いようがある。

わたしが何とかしたいのは、もっと年齢層の低い子どもたち。家にも学校にも居場所がないどころか生命の危険があるような子ども。

最近、児童相談所についてニュースでもよく見る。わたしは大学時代、児童相談所の一時保護施設で働いていた。

一時といっても、一年いる子どももいれば、ほんとに1日2日で出ていく子どももいる。

来る理由の多くは親からの虐待。心理的な軽いものよりは、身体的なガチの虐待や性的虐待などの重めの子どもが多い。

あとは片親育ちだけど親が入院してどうしようもないとか、軽めの非行だったりとか、そういう子どもが入ってくる。

大変な環境で育った子には、「どうしてそんな意地悪するの?」と泣きそうになるくらいねじまがった子もいた。それは、その子だけのせいではないのだけれど、それでも「なんで?」と問い詰めたくなることもある。

何度も入ってくる子や長期の子、特に中2~3の子は、かなり対等に会話することもあった。

わたしは本名や所属大学、出身などの個人情報を伝えることは禁止されていたので、プロフィール無しで子どもと関わっていた。(大学生ってことはだいたいばれてたけど。)

子どもたちは、プロフィールのない私と色々な会話をした。どうでもいい話から、重い話もした。子どもたちは大人を選べないので、私のことを好きかどうか、信頼できるかどうかに関係なく、私と話すしかないこともあっただろう。

それでも私なりに、子どもと信頼関係は築けていたと思う。

特に仲良い子もいた。年齢は八個くらい下だったけど、普通に友達みたいな感覚だった。家では暮らせない子。聡明で、美人で、面倒見のいい優しい子だった。

環境に恵まれていたら、間違いなく優等生でスポーツでも活躍できて、圧倒的に優秀なレッテルをはられるだろうなって子。

あんなに仲良かったのに、立場が立場なので、何もできなかった。ただ遊んだり、話を聞いたり、勉強を教えたり。

「田舎で畑をしながらのんびり暮らすんだ」「しばらく旅してた」なんて話をしたら、目をキラキラさせて「いいなぁ、わたしもしたい…」と言っていた。

その子は私とどこかいきたいわけじゃなく、ただ自由な世界で暮らしたかっただけだと思う。

それでも、連れていきたかった。

家で暮らせない子どもが気軽に遊びに来て、寝泊まりして、ちょっと旅行に行かせてあげられるようなそんな場所が作れたらいいのにって思う。

そんなユートピアみたいな場所を作るのはすごく難しいだろう。子どもを楽しませようと、楽にさせようと個人で勝手にやったら罰せられてしまう。

法律にのっとった様々なルールをくぐりぬけなければ、子どもを支えたい気持ちさえ許されない。

わたしはあの子に自由や場所、お金、可能性を提供したかった。そのためにはどんな手段があっただろう。

ただの公的な職員じゃ、遊んで話すことしかできなかった。養子縁組でも組めば色々できるのか。異性の場合、結婚すれば自由にしてあげられたのか。(それじゃ一人しか救えないけど。)

子どもは親を選べない。生まれる場所はガチャガチャみたいなものだ。

おまけにお腹に戻れない。死ぬこともダメだと言われるし、人間は殺処分も存在しない。生きるしかないのだ、残酷なことに。

とってもエゴだけれど、あの子みたいな子を、なんとか幸せに近づけたい。他人という大人だけど、そう思う。

どの子どもにも、子どものうちから平等に機会を与えたい。エゴだけど。わたしに何ができるだろう、既存の福祉に当てはまりたくはない。何ができるだろう

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