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いつだって隣にある死を想え

実家で飼っているもうすぐ15歳になる犬が死にそうだ。餌も食べない、水ももうほとんど飲まなくて、ほぼ寝ている状態でまれに移動するときも脚がもつれている。

犬の死が近い。私も家族もそのことを理解している。今まで大病にかからなかったことを飼い主孝行だったと感謝しているくらいだ。

もともとこの犬、モコは私の鬱病が長期に渡り改善せず、少しでも癒しになればという両親の思いから飼ったものだ。当時の私は特段動物好きではなかったし、「アニマルセラピー」的な考えの飼育にも反対していた。

実際はどうか。モコを迎え入れてから私の抑鬱状態は目に見えて改善した。当時、脳の中の言語を司る分野が著しく低下していたが、彼の下の世話をしたり、散歩の途中で見知らぬ人と挨拶を交わしていくうちに、少しずつコミュケーション能力を取り戻して行ったのは紛れも無い事実だ。

犬はもっとも情緒的な動物のひとつでもある。ある日、私の情緒が大きく崩れ部屋で大声で泣いていたら隣の部屋からモコが飛んできて泣き止むまで私に体を密着させてくれたことがあった。あのやわらかくて、温かく、そしてちょっと臭いモコの体臭が今も忘れられない。

姉にこどもが生まれると、モコは赤子の彼女らに興味津々で、姪の隣で一緒に寝たがった。また、姪もモコの隣で寝たがるのだった。

小さな姪がつかまり歩きをする頃、いちばん心配そうに見守っていたのは、姉でも義理の兄でも私でもなくモコだった。彼はハラハラした表情をして、そしてよく小さな姪に脚を踏まれてギャン!と鳴き、「あんたも近寄ってないでちゃんと避けなさいよ」と注意されたのもモコだった。

死を想え。

先日おじの死を経験し、命あるものは必ず尽きる日が来ることを再認識した。

死を想え。

モコのいのちはもうほんとうに幾ばくもないだろう。この記事を書いている間に息を引き取ってしまうかもしれない。もしかしたらもう少し持つかもしれないけれど、1年先も生きられるとは思えない。

餌を食べなくなったと連絡を受け、会社帰りにスーパーでドッグフードを買って持って行ったら、重たい腰を上げて半分くらい食べてくれた。それ以降、今日も餌を食べようとしない。

ただの勘違いかもしれないけど、食欲もないのに無理をして食べたのは、彼の義理ゆえのものなのかもしれない。そう考えると胸が痛くなる。

彼が亡くなったら、きっとたくさん泣くだろう。おそらく死ぬほど泣くけど、そこから抑鬱状態にはなりたくない。絶対に鬱病に返り咲いたりなんてしてやらない。

重い抑鬱状態の私を支えて、仕事に就けるくらいに心身を回復させてくれた彼への最後の恩返しとして、彼の死後も、気丈な私でありたいと思う。

死を想え。

私は天国も地獄も前世も来世も信じない。信じないけど、もしそういったものがあるとしたら、彼はきっと天国にいける。天国以外ありえない。

死ぬ前から死後の話をして、馬鹿の極みだ。

いつまでも、わたしの弟モコが、やすやらな最期を迎えられますように、祈らずにはいられない。

わたしたちのもとに来てくれて、家族になってくれてどうもありがとう。

あなたがくれた大切な時間を、わたしは生涯忘れることはありません。



追記、本日5/22 午前3時にモコが永眠致しました。スキをくださった皆様、ありがとうございます。




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