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夜中にこっそりコンビニケーキを食べながら、「映え」について考えた

びっっっくりするくらい書くことがみあたなくて、この時間(夜11時)にローソンのいちごショートCUPKE食べてます。
ものすごい背徳感。。。

紅茶が好きで、という話とか、習慣は、とか書きたいと思ってるんですよ。
でも、お茶入れて、お菓子を用意して、ほっこり一人時間♪
みたいな、インスタ映えしそうなことはなかなか実現しません。
全ての電気が消え、寝静まったベッドからこっそり起きてきて、
「ごめんなさい」と念じながら隣の部屋の電気をつける。
そーっと冷蔵庫から持ってきた甘い誘惑を静かにどか食いする。。。
なんの妖怪これ・・・。自分でも怖いです。

でも本当はみんなそういうときあるよね・・?キラキラした写真のような生活が24時間続くわけじゃないよね・・・?
写真撮った後ろは洗濯物でぐちゃぐちゃだったり、今日はもう洗い物なんてしない!みたいな日あるよね・・?あってください。。。

なんで何も書くことがなかったかって、1日中仕事(主に作業)だったんだもの。
テキパキこなして、ぴったりお迎えの時間までに全ての仕事を終えたし、お風呂掃除も夕飯も後片付けだって、まるでロボットのようにうまくいったんだもの。
そういう日ってゾーンに入った感じで、自分はすっごく気持ちが良くて達成感たっぷりだけど、誰かに見せられる「映え」はないし、その上他の情報が何も入ってこないんだもの。
そりゃ書くことないわ。

言葉や写真にしてしまうと、どうにも飾りが多くなって困ります。
「ズボラさんのための」という言葉すら綺麗な言葉に見えてしまいます。
これは書いていて気が付いたことだけど、ダメなところをなんとかユーモアに変えようと必死になっちゃうんだよね。。
そりゃあ自己顕示欲はたかまるし、自己肯定感が下がるものばかり目についても仕方ない。。。


SNSは意図して切り取られた都合のいい生活である

と、おしゃれでユーモアとセンスの塊でなおかつ人に優しい、悪いところないんじゃないかという友人にいただいた格言でございます。
自分で考えたのかな。そうだとしたらやっぱ天才だなあんた・・・。

この言葉きっかけで、私は自分の都合のいい生活も少しだけ軽く見せられるようになったし、相手の生活も意図して切り取られたと割り切れるようになりました、、、、少しだけ。

別の友人は、あまりに心が疲れているときはインスタのアプリを削除するそうです。そしてまた気分が良くなったら戻す。
私の周りの人たちは自分のメンタルヘルス対策がうますぎ。

技術の進歩に対して、人間の感情はなかなか追いつかないものだなぁとよく思います。しかも進歩が早すぎるから、感情について何も進歩しないまま、技術だけが先へ行ってしまいます。
「こんなこといいな、できたらいいな」という思いに向かうことは、同じ目標を持てるという点においては簡単なのかもしれません。
それをどう活かすのか、どう向き合うのか、自分なりの正解はそれぞれ違うから、誰も答えを出せません。
受け入れろったって受け入れらんない時もあるし、褒めたい日もあれば悪態つきたい日もある。それが感情だもんね。

0→1の作り上げることへのパンチに魅力を感じてきたけど、もしかして1→10とか、100にすることはすごく繊細で、曖昧で、神経を使うことなのかもしれなくて、どちらかといえば私は正解のないものの方が好みだったかもしれないな、と、
深夜のカップケーキを食べながら思いついて、書き記してみちゃったりするわけです。

ゾーンに入ったから、ゼロイチとか言ったけど、ほんとなんの話だこりゃ。
答えのないことをずーっと考えては吐き出していたいなぁ。

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