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届かなそうでも届いてほしい。 #NGT48単独コンサート

2020.01.21.Sat.
NGT48選抜メンバーコンサート 〜TDC選抜、合宿にて決定。初めての経験〜
@ TOKYO DOME CITY HALL
〈出演メンバー〉
安藤千伽奈/荻野由佳/小熊倫実/小越春花/角ゆりあ/川越紗彩/小見山沙空/清司麗菜/富永夢有/中井りか/奈良未遥/西潟茉莉奈/西村菜那子/藤崎未夢/古舘葵/本間日陽

去年の後半、何度もNGT48劇場に入って感じた「いまこの劇場にしっかり立っている子たちの姿を誰かに届けなければいけない」という、どこからか来る謎の使命感。

新潟にはなかなか行けないだろうけれど、東京でやれば観に行こうと思う人はいる。この日のチケットは落選もあり、場内のグッズ売り場も久しぶりの発売を待ち望んでいた人で溢れていた。

短期間のレッスンを経たオーディションを経て選ばれた16人は、それまでのNGT48の主軸のよさもありつつ、新しく前に出ていくメンバーもいて、いまのNGT48劇場を観ている人にとってその抜擢は納得できるものだったように思う。

主軸が期待される人選が多くなった本間日陽さんをセンターに、歌唱力レッスンでの脱皮があった小熊倫実さんと、長い手脚が映えるパフォーマンスと目の行き届くコミュニケーションで研究生公演でも評判のよい藤崎未夢さん。

この3人で組んだフロントは、とても清々しく気持ちいいパフォーマンスをしていたと思うし、そしてプロデュース側がどんなNGT48を見せたいのかを象徴しているかのようにも感じる。

その上で、中井りかさんや荻野由佳さんが後ろにいるだけというわけではなく、要所では前に出ていくよさも残っている。グループの幅を広げるいい試みだったということなんだろう 。

さらには審査に漏れた加藤美南さんや、お休みが続く高倉萌香さんのセンターだって見たくはなるのだから欲張りにはなる。いつかまた全員参加のライブで観られることを待ちたい。

休止と多くのメンバーの卒業を経て再開された劇場公演は、僕にはとても尊いものに思う。それはただ再開されたから尊いのではなくて、毎公演そのステージに立つことを噛み締め、いや板を踏みしめながら歌って踊っているからそうなのであって、こう思うからこそ通いたくなる。

オーディション審査での対象曲だった『Maxとき315号』の披露は、僕が劇場で感じたそれを体現していたと思う。人気のあるこの曲の振り付けをいったん封印して、歌うことに専念して届けた。

AKB48の劇場盤システムを筆頭に波及した、特典会でのコミュニケーションこそが需要と供給の中心になってもう10年経つアイドル界隈。

後発のNGT48もその例外から漏れず、ただ一方でどこかステージングが置いていかれてないかという見え方も僕の心のどこかにあるにはあった。

(現状の環境から生まれた結果論とも言えてしまう罪悪感はあるけれど)少し変わって、ステージに力を入れてみるしかないという今のNGT48の姿勢はとても好きだ。

その姿勢はNGT48劇場の公演でにじみ出ていると思うし、この日の選抜メンバーはそれを担っていたと思う。

『Maxとき315号』では歌詞と曲の意味をいつも以上に噛み締めて歌う女の子がいた。

冷静に振り返ってみると、3,000人規模の大ホールで必要とされるパフォーマンスは劇場のそれとは少し違うもので、物足りなく感じる場面はあったし、合宿をしたとはいえ3日間でそうそう実際のパフォーマンスが変わるのは難しい。この規模を経験すらしていないメンバーもいたのだ。

でもそれでもいい。

僕はそれでもこのステージを大事にする気持ちと姿勢がさらに強くなったこの子たちを観続けていきたい。

……とここまで書いておきつつ、感想の本論とは別に、関連して書いておきたいことがある。

2018年末から起こっていたNGT48に関連する騒動は、“事件”のそのこと自体よりも、その“解釈”が先に飛び交っていって、関わる誰もが被害を受けた騒動だと思っている。

説明が足りなかったのは実際そうだったんだろうけれど、何を言ってもある見え方からしか解釈されないようなディスコミュニケーションの世界。

それでも、仕切り直しの表明が必要だし、NGT48の運営には説明がしっかり求められる。

改めてパフォーマンスを見直して選抜メンバーを選ぶという企画はこの環境に応えるものだったと思う。

ただ、僕がTDCホールのコンサートに求めていたのは、そのことを真摯に説明してくれることではなかった。

開演から始まった合宿のドキュメンタリー映像が15分もあったのだ。

上で書いたように、今NGT48でステージに立つことを選んでいるメンバーたちが真摯な思いで活動していることは劇場公演で語らずともにじみ出ているわけだ。合宿を経て、その思いを大きなステージにどう展開させていくのかを確認したかった。

それを先に説明されては興醒めてしまう。

せめてステージを観てどう思ったかを先に感じさせてはくれないか。

今のNGT48を物見遊山的に観に来ていたいた人がいたとしても、先にステージから届けることで納得させることを信じることはできなかったのだろうか。

…………と考えてみたけれど、信じられなくても仕方がないとは思ってしまう。

そうさせてしまうこの騒動を経た1年だったのは間違いない。

ステージで歌えることの尊さと、同時に1年経ってもモヤモヤとしこりを感じてしまう冒頭の15分込みのパッケージだった。

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