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本田弘慈先生との出会いは別れた後だった。

本田先生は高名で高齢の牧師さんだった。もう亡くなっている。80歳までは生きたらしい。そんな名前も関心もなかった方を先生と呼んでいるのは、父から本田先生の最終公演のCDを借りてのことである。

僕は、統合失調症になり、幻聴に悩まされたことがある。

おまえは駄目だ、うちに引っ込んでろ、人様の前に出るのは失礼だ、なんでこんなことしてんの、バカじゃん?いい加減あきらめろよ、死ね。

何度もアパートの屋上に勝手に上がった。神が恐怖心を与えてくれたから飛び降りれなかった。アパートの屋上はメンテナンス用のはしごを登らなければならず、そこから落ちても4階の高さだ。しかし神は自死からぼくを守ってくれた。

包丁で手首を切って風呂につけたときは、体から血が抜けていく感覚が恐ろしく、医学部だったので危ないところを知っていて切ったのだったが、ほんと、それも成し遂げず。袋をかぶって首でガムテープを止めたこともあるが、そうそうに苦しすぎて、ガムテープを切って息をついた。

医学部での留年は毎年統合失調症だけでなく自分を追い詰めていっていた。

27歳くらいだったろうか。ジミヘンドリックスが麻薬のオーバードーズで死んだ年齢だ。魔の年齢かもしれないが、

先輩に仕込まれた酒で、キッチンバーで飲んで沖縄から上京した女の子にくしゃみで酒をぶっかけられたり、先輩に見つかっていじられたり、たのしいこともあり、毎日学校には通っていた。苦痛の日々だったが、どこにいてもキツいのだ。それをある高名な精神科医は心の産毛を大切にするために早期介入したいと言った。

幻聴はドグマチール少量療法の神経内科から、心配した先輩の勧めで受診した大学病院でPZCやエビリファイを服用するようになって収まっていったが、その過程で、僕は祈りまくった。

幻聴の相手を憐れみ、天の理(ことわり)にそって穏やかになるように。

ぼくはキリスト教の高校の出なので、無宗教の大学に入る時、神に見捨てられるような不安を感じた。病気も発症後だったと思う。

いまでも、母に医学部中退して、私たちの積み上げたものをぶち壊したと言われるが、ほかの職業に興味があっても、あんたには無理。

あんたは傲慢で偉そうで、医師しかできないと言われたが、医学部も正直願い下げだったようで、最初は適応障害と診断されていた。

まだ偉そうかもしれないし、愚痴ばかり言って、読者も嫌気がさして離れていくかもしれないが、

毒もアートなら、書いていいだろうと、世間の胸を借りる気持ちで書いている。

キリスト教の学校だったので、学校の近くの教会に逃げたこともあったが、精神科の領域ですねとけっきょく言われてしまった。

ヨーロッパからの留学生は僕のために祈ってくださった。

その留学生を教会に探しにぶらつくようになったからか、ほかに何かあったのか、教会の玄関にカギがかけられるようになり疎遠になった。

母校の神父も電話で話を聞いてくれたが、「宗教にすがるのはやめなさい、結局は金だよ」と諭され(?)た。

それならと、洗礼を受けていないが、求道者でもいい、聖書を読んで祈ろうと、余暇に祈りの時間を持った。

正直、幻聴が薬によって消えたか、祈りによって消えたか、覚えていない。

時期が重なり、期間も長かったのだろう。

IQの高い人は幻聴に反論できるから予後がいい、というが、ぼくはそんなにIQが高くないが、それと同じメカニズムに祈りが合致したのだろうと考えた。

罪を犯す自分の祈りが聞き届けられた!とぼくは喜び、しばらく祈れば聞いてくださる、「たたけ、さらば開かれん」だと調子に乗っていた。

そこに本田先生の説教だった。ちょうど僕も、いいとこどりは続かないなと思った頃だった。イエス様は世界中の昔も未来もいる人間のすべての罪を神が赦してくださるために、十字架で血を流した。その血潮を言わずに「愛の神」などと言っているから日本のキリスト教は弱いと語った。そういえば、キリスト教は血とか犠牲とか怖いと言われたことがあるが、調子に乗って、病魔から自由になったことに胡坐をかき、思いあがっていた僕を本田先生が叱ってくれた。罪を犯さないように導いてください、試みから救ってくださいと、「そうなる」と信じて祈ることは悪いことではない。しかし、宗教というものはお金も必要だ。本田先生はそのことにも言及していたが、7000万の報奨金をあなたと奥さんに送りますと言われ、武道館で一回公演するのに1000万かかるという意識で聞いたそうだが、受け取らなかったらしい。どうせ本田先生にあげても、必要とするところに気前よく配ってしまうだろうから、本田先生の死後、奥様に差し上げようなど、教会は本田先生の功績で急に集まったお金を払おうとしたが、本田先生は、お金に執着することは伝道者として、信頼を損なってしまう、「本田先生ももらうものもらうんだね」と噂されることが、自分が導こうとしてきた人々に悪影響を及ぼすと、武道館で講演したい虚栄心とさよならするつもりで断ったと。それでもNHKが機会をくれて、もっと広い世界に結果話せたと、1000万くらいもらってもよかったかなんてよぎりますがね、と言いながら笑う。

生きた見本みたいな、マネできない人と思った。

その方はイエスの血潮をあがめよ、と言った(前後がなければ僕の表現は間違いかもしれないが)。平和を、平穏を、と祈る時、神の恵みに浴していると感じることは至上の喜びだが、これをただ受けていいのか、血潮が流れたことへの感謝は忘れていないか。それは人類の歴史での犠牲に思いをはせるより優しいかもしれない。イエス様が命を落とすほどの血を流されたうえで許されているという感謝、それでも願える願いをするべきなのではないか、そうすることで正しく祈れるようになるのではないか、と受け取った。

本田先生はひょうきんでユーモラスで、楽しく説教を聞かせていただいた。

若い頃には結婚前、奥様以外の女性に心酔していた話などもおかしかった。神学校生だったらしいが、手紙を出すのを禁じられていて、忍ぶ恋、俳句を書くほど恋焦がれたらしい。

そのころ先生は土曜日を断食と祈りの日と定めていたらしいが、

その女性と結ばれたい、と願ったそうだが、神は「イエス様を忘れていないか?」と告げて黙ったそうである。

魅力的で活動的な人だったか、そのうち神学校を中退し、どこかに行ってしまったらしい。ここでこの女性と結ばれていたら、情欲に溺れて80歳まで伝道するような方にはならなかったかもしれないと思う。

いっぽう、その頃に知り合いから、その後連れ添う奥様を紹介され、馬面でもっと丸顔がいい、なんて若い頃の先生は思ったそうだが、導かれたように歩んでみてはどうか、と啓示を受け、結婚したそうだ。

イエス様は恋をしたことがないんじゃないか?色気のない・・・と思ったそうだが、聖書を見ても、マグダラのマリアにも、だれにも個人的に好きだよと言っていない。信徒を花嫁として、天に上るために生涯を全うされたのだと気づかされたという。

まあ、好きな人がいると牧師などに話したら、かわいいのか、とか、色気のある牧師もいるだろうし、神様より都合よくしてくださってしまうかもしれないが、それはそれで、まあ(笑)と笑った。

最後まで聞くと、肉欲、偽善を避けなさいと厳しく締めていて、人気取りの説教ではない、ほんとうに誠実だと思った。

今の世の中、童貞はモテないとセックスを急いだり、不倫は文化なんて新聞に載って(石田純一は俺は言ってない、新聞社が作って驚いたと言っている)風紀は乱れがちと言った印象を受ける。

結婚を前提としないセックスも神職者が赦してくれてしまうでしょう。

しかし、基本に忠実な本田先生である。

話はそれたが、神が血潮を流して我々を赦してくださる印としてくれた。

こんな宗教はキリスト教以外にない、と言った。

謙虚さ、聡明さ、いろんな美徳があるが、イエス様の血潮が流れたことを意識することでバランスが取れる気がする。

傲慢な自分の気持ちに気づき、どうしようか迷っていた時に、

本田先生のCDが来た。

ほんと、小説より奇なりだと思う。

こんな殊勝な文章を書きながら、ぼくは気づけばストレス緩和にシャナイアトゥウェインやシェリルクロウを流してて、

自分、またやらかしたな、と思ったが、

この文章がよいメッセージになるように、と思います。

ちなみに駅前などで聖書の勉強をしませんか、と言っていたり、玄関まで来て「聖書の話をしませんか?」と言ったりしているのはキリスト教ではありません。統一教会やものみの塔という新興宗教です。まあ、そういう活動している人は本当にいい人がいたりするのでひっかかるんですがね。

統一教会は教義に合わせて聖書を変えてしまいました。

彼らを警戒するあまり、本当のキリスト教が追いやられている可能性もあります。また、韓国のキリスト教教会は、政治的扇動を恒常的にやっていて、政治の実権を握ってしまっているとシンシアリーという韓国人ブロガーが申していました。

ほかにもキリスト教の権威を失墜させるネタはいっぱいありますが、それを軽蔑できるほど僕らはまっとうに生きているでしょうか?

まあ、生きていると思ってもいいし、仏教、神道、日本は信仰の自由が憲法に謳われているので自由です。

しかし、本当にいつ聞いても素晴らしい先生の説教を聞いて、

皆さんにお分けできたらと思いました。

いったい何人最後まで読んでくれるか、不明ですが、(笑)

そろそろ筆を置きたいと思います。

ご拝読ありがとうございました。

シャローム(どういういみだっけ)

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