水瑛

気になっていることをひたすら掘り下げたり、好きな物や事について虚実織り交ぜつらつら書い…

水瑛

気になっていることをひたすら掘り下げたり、好きな物や事について虚実織り交ぜつらつら書いてます。 ラジオと映画と80年代がすき

最近の記事

第15期川崎市外国人市民代表者の一員になりました

この度、第15期川崎市外国人市民代表者会議の一員に選出していただきました。 縁あって川崎市に引っ越してきた2019年から約5年の間、世界そして日本では様々なことが起こりました。 2022年初めには、世界で起こる悲劇に対してあまりにも無力な自分に耐えきれずパニック発作を発症したりと、自分の弱さを痛感する年月でもありました。 「それでも自分にできることはないのか」と模索していた時に届いたのが、この外国人市民代表者会議の募集の知らせでした。 令和6年4月現在、川崎市の人口は1,

    • 振り返ったり滑ったり踊ったり進んだり

      2024年になってもう20日も経った。 今年は年始から胸が痛くなるニュースが多いけれど、これらをセンセーショナルに取り上げて「令和くんやば過ぎ」「不吉」みたいな話に持っていくのは、今あらゆる現場で必死に生きていたり、サポートにあたっている人に失礼な気がするので私はあまり好きじゃない。 今できることはわずかでも自分にできる範囲の支援や意思表明を続けること、生活を続けること、祈ること。 それだけだと思っている。 私はと言えば、このところふと時計を見ると気づけば24時という日々を

      • 「ヘレディタリー/継承」と「家族は呪い」という考え方について

        ※ネタバレを含んでいます。 いつだったか仲の良かった(過去形)友達に、つい気を許して「家族って呪いだと思う」とこぼしたら、「それは違う!駄目だよそんなこと言っちゃ」と言われたことがある。 その時、「ああこの子にとっては呪いじゃないんだ、こんなふうに思うのは正しくないんだ」と思ったとともに心をそっと閉じたけれど、対してこの映画は「家族は呪いです!!!皆さん家族は呪いですからね!!!」と何度でもぶん殴ってくれる。 だからもうとにかくどこまでも最悪な展開でしかないんだけど、そ

        • 在日コリアン、「福田村事件」を観る

          2023.8.16 渋谷ユーロスペースで「福田村事件」を観た。 1923年9月、関東大震災発生後の日本では、当時「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が婦女を暴行した」などと根拠ない流言蜚語が流れた。 この映画はそんな混乱の中、同年9月6日に千葉県のとある村で起きた「朝鮮人と間違えられた結果、日本人の行商団が村民に虐殺された実話」を基にしている。 . . . ※以後ネタバレあり . . . 在日コリアン三世の自分はこの映画を観ることが怖くてずっと躊躇っていたのだけれど、意を決し

        第15期川崎市外国人市民代表者の一員になりました

          悩ましい精神はそこそこ健全な肉体にこそ宿る

          コロナに罹りました。 コロナ禍真っ只中の2020年、2021年、2022年をどうにか罹患せずきたので(あるいは無症状なだけで罹っていたのかもしれないが)、なんとなく自分はかかりにくいんじゃないかとか思い始めた矢先にガッツリ罹患。 思い上がってすみませんでした。 幸い熱は2日程度で微熱にはなったものの、とにかく喉が痛くて痛くて気が狂うかと思った。 ずっと剣山でブスブス刺されているような痛みが丸3日続いて、唾を飲み込む度に枕を殴り、しまいには「どうしてこんな目に…」と天井を見つ

          悩ましい精神はそこそこ健全な肉体にこそ宿る

          自意識千年ローン

          一度やらなくなったことをもう一度始めるのは中々難しい。 さっきまで嬉々として参加していた大縄跳びから一度出てしまったが最後、もう一度入るタイミングを延々と見計らっているみたいに。 これは創作活動、語学学習、料理、運動、人付き合い全てに言えることだと思う。 大体の場合、最良のタイミングなんてものは自分の思い込みで、何事も始めるのに早いに越したことはない。 頭ではそう分かっているのに、なぜかいつも「キリの良いタイミング」なんてものをスタート地点に設定しがちである。 時計を見た

          自意識千年ローン

          うまいことやろうとするな

          最近noteに何かを書こうとする時、まずタイトル部分に「200文字」と入れている。 これには「なにか書きたい/でも書けない」と焦る時、「とりあえず200文字でも書ければ上出来」と自分へのハードルを下げるおまじないのような意味がある。 それに大抵の場合、書き出せば200文字に収まらず長々と綴ってしまう。 一方で、初めはスラスラと流れるように書けていたのに、落語で言うところの枕が終わり「さあ本題に入るぞ」というあたりでピタッと書けなくなることがある。 こうなるとどれだけ続きを書

          うまいことやろうとするな

          映画「after sun/アフターサン」が刺さりすぎたので感想を書いてみる

          一年半ほど前からだろうか。 映画を観たら他の人の感想や考察を見る前に、まずは自分が感じた新鮮な感想を記録するように習慣づけている。 元々は、映画を観たら真っ先に有名映画ブロガー三角締めさんのブログをはじめとする映画感想・評論記事等々を周回してから自分の感想も組み立てていたのだが、ある時ふと「それって人の視点にフリーライドしているだけで、本当の私の感想とは言えないのでは?」と気づいた。 きっと賢い人は初めから気づいているだろうに、恥ずかしながらそんな至極当然のことに20代も

          映画「after sun/アフターサン」が刺さりすぎたので感想を書いてみる

          駅ビルはつづくよどこまでも

          いつからなのか、私が生まれるずっと前からだったのか分からないけど、駅ビルの店舗ラインナップってどこも同じだなと感じるようになった。 ス◯バ、ド◯ール、カル◯ィ、ブ◯ーブルーエ、プ◯ザ、ブルー◯ルーエ、◯ルーブルーエ… 流行りの雑貨。バズり飯。アデリアレトロ。 アデリアレトロ、ここ最近は本当にどこでも見るのでもはやレトロとは言えないのでは問題。 数ヶ月前、気分転換に少し遠くの駅まで小旅行をした時も、駅ナカの風景は最寄りの一番大きな駅から全く移動していないのかと錯覚するほど同

          駅ビルはつづくよどこまでも

          あまりにも人間

          全てを無にしたい、消したい、捨てたい願望がいつもどこかにある。 今持っているSNSのアカウントもメッセージアプリも全部消したい。 知り合いが一人もいない海辺の街に行って、誰とも深く関わらず必要最低限だけ働いてひっそりと暮らしたい。 でも実際に全てを消そうとするといつも躊躇ってしまう。 中途半端に残してきた軌跡でも僅かばかりの財産のように思えてしまい、手放すのが怖くなって結局やめる。 そもそも都心近くで生まれ育った私は、資本主義的価値観を軽蔑しつつも実際は頭の先から爪の先まで

          あまりにも人間

          流れゆく性と生

          ※この記事ではジェンダーについて言及しています。 私自身、できる限りジェンダーへの理解を深めようと日々勉強していますが、まだまだ十分とは言えないため、もしかすると無意識の偏見ゆえ文中に不適切な表現があったり、誤った情報があるかもしれません。 その場合は不快にさせてしまったことをお詫びすると同時に、該当箇所についてご教示いただけますと幸いです。 ====================== 主に9歳から12歳にかけて、本気で男の子になりたいと思っていた時期があった。 9歳

          流れゆく性と生

          深夜テレビの重要性

          今住んでいる部屋にはテレビが無い。 無いからといって特段困ったことはなく、むしろワイドショーやニュースに一々ダメージを受けやすい自分にとっては、無い方が精神衛生上好都合だったりする。 それでも、「テレビがあれば良かったなあ」と思う瞬間が2つだけある。 それは金曜ロードショーのラインナップがアツかった時と、深夜に無性に悲しい気持ちになった時。 先日、真夜中にふと猛烈な悲しみに襲われた瞬間があった。 気のせいだ、と鎮めようとする程にその悲しみは存在感を増し、ついには涙がボロボ

          深夜テレビの重要性

          これはおおむねフィクションです

          下瞼がぴくぴくする。 ずーっと少しだけ故障しているような感じがする。 私はいつからこうなんだろう。 今日は朝から大泣きした後みたいな疲れに覆われている。 今すぐ寝室に行って10時間くらい眠りたいのに、今すぐ椅子を蹴倒してこの場を去る胆力は私にはない。 年々感情の一番豊かな部分がすり減って、フワフワした何かだけが体内に浮かんでいるような感覚。 いつも目の前にはレースのカーテンがある。 今すぐにでもカーテンを開けたいのに、開けられそうなのに、何故か開けられない。 夢の中で何か

          これはおおむねフィクションです

          近況(主にパニック発作と安楽死について)

          思えば、昨年の夏ぐらいからあまり調子が良くなかったような気がする。 
きっと多くの人がそうだったように、終わりの見えないコロナ渦やグダグダな東京オリンピックに辟易し、自分が望まない方向にばかり世界が加速していく気がして無力感に苛まれた。 加えて生来の神経質さ、心配性が災いし、起こってもいない/起こりそうもないことを考えては不安に駆られるようになった。 
たとえば飛行機に乗る予定も無いのに「飛行機が墜落したらどうしよう」とか、「明日無一文になったらどうしよう」とか。 
同じ頃

          近況(主にパニック発作と安楽死について)

          せなかのむし

          背中がゾワゾワする。 手が痺れる。 叫び出したくなる。 息苦しい。 自分の体を抜け出してこの不快感と不安から解放されたい。 眠りにつく前はいつもいつも不安だ。 同じ日々をあと何日続けるのだろうと思うと耐えられないが、死の瞬間を思うことも同じくらい耐え難い。 私にとっての安息の地はどこにもないのか。 この世界に安全な場所なんてどこにもないんじゃないか。 そんな考えが堂々巡りして背中がゾワゾワする。 手が痺れる。 叫び出したくなる。 息苦しい。 以下無限ループ。 はよねろ

          せなかのむし

          「アデル、ブルーは熱い色」がたまらなく好きという話

          春になると、なぜか「アデル、ブルーは熱い色」という映画が観たくなる。 春特有の、自分の体温と気温の境目が曖昧でぼんやりする感覚とか、何かが終わって何かが始まることに対する寂しさや焦りがそう思わせるのかもしれないし、単純に初めて観たのが春だったからというだけかもしれない。 とにかく私はこの映画が人生のマイフェイバリットムービーTOP5に入るくらい好きだ。 2015年のカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した後、主演の二人が監督の撮影手法が「あまりにも酷かった」と批判の声を挙げた

          「アデル、ブルーは熱い色」がたまらなく好きという話