宇宙人に攫われただけ


うつになった。
元々誰もが流す些細なことについて延々と考え込んだり、誰かの放つ何気ない一言に必要以上のダメージを受けたりしがちではあった。
6歳の頃に参加した子どもキャンプでは寝泊まりしたコテージの壁のシミが人に見えることに怯え、遠くから聞こえる得体の知れない生き物の声に怯え、一晩中泣き喚いたのち泡を吹いてひきつけを起こしあえなく救急車で運ばれた。
思えばこの頃から筋金入りの神経質だったのだと思う。
そんなことだから最初に自分の様子がおかしいな、と思った時も、まあ元々こういう性格だしいつものことか、と片付けてしまっていた。
元々こういう性格「だから」、蓄積したものが今になって決壊してしまったのだと言うのに。

とはいえ理由も分からず悶々としていた日々よりは、はっきりと自分はそうなのだと分かった今の方が幾分か心が軽くなっている。
本当に色々な方にご心配をおかけしてしまい申し訳ないやら恥ずかしいやらなのですが、今のところは随分と心穏やかに簡素な日々を過ごしております。
ただ、例えるならば機体を操縦するためのコックピットの窓がずっと曇り続けているような、脳の真ん中より上の方にずっと灰色の靄がかかっているような感覚がある。
それは日によっては濃くなったり薄くなったりするけれど、今のところ完全に消え去ってはくれない。
今までだったら多分その窓には私が世界に繋がるための動線が映っていて、多少よろめくことはあれど特に大きく行き先に迷うことなく操縦を続けていられたような気がする。
今は少し違う。
時々視界が少しクリアになってまた行き先が見えそうになるのだけど、すぐにまた靄がかかってしまう。
機体はぐらついたまま、依然バミューダトライアングルの真ん中に留まったままである。
都市伝説によるとバミューダトライアングルに紛れ込んでしまったが最後、機体だけが残り乗客は綺麗さっぱり消えてしまうらしい。
私は自分の体だけを残した抜け殻になるのか。
何とか乗客ごと抜け出して違う意味で伝説になりたいところだ。

都市伝説といえば、昔超常現象やら都市伝説やらを扱ったTV番組を好んでよく見ていたのを覚えている。
その中で「宇宙人に攫われた人の特徴」なるものを解説する回があった。
話によると、どうやら宇宙人に攫われた人は宇宙人と接触した記憶こそないものの、攫われる前と後では多少なりとも興味の対象や味覚等が以前とは違っているらしい。
一つ覚えているのは攫われた後は乳製品や大豆製品ばかりを好んで食べるようになるらしく、実際「最近お酒やジャンクなものよりも牛乳や豆腐が好きなんだよね〜」と言ってきた人には「もしかして…宇宙人に攫われたんじゃないですか?」と返すことにしている。
加齢による変化?
ちょっと良く分かりません。

となると、最近の私自身の変化も知らぬ間に宇宙人に攫われたことが原因なのではないか。
味覚が変わったと言うより、何かを食べたい!と強く思うことが減った。
大好きだった作家の本を読むことがなくなった。
白と黒の服以外着なくなった。
ピアノを弾きながら歌うことが難しく感じるようになった。

宇宙人様、私のデータが貴星ひいては宇宙の発展に繋がるのであればそれはもう至極光栄に思うのですが、その至極崇高な調査が一通り終わりましたら諸々のデータはまるっと私に返してはいただけないでしょうか。
それらは些細なもののようでいて、実は物凄く必要なものだったような気がしてならないのです。
曇った窓を拭くための窓クロスもその中にあるような気がするのです。
頼むよ、後生だからさあ。
まあ多分とっくに無限の彼方に散っていて返ってきやしないんだろうけどね。

なければまた一から作ればいい。
断捨離だと思えばいい。
なんて今の私には言い切れるはずもなく。
逆に今は何かを言い切ることで自分を追い詰めたくないし。
だけどやっぱり少しずつでもゆっくりでも失くした部分を拾い集めていきたいです。
それが前とは違うものだったとしても、結果的にこっちの方が良いじゃんと思えたら最高だな。
サンキュー宇宙人と言える日まで。


言っていることがめちゃくちゃだな。
キリンジのエイリアンズを聴いて眠る。


#エッセイ
#うつ
#キリンジ

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