僕は社会課題を定義したい
「社会課題って何だと思いますか?」
私は非営利領域でWEBマーケティング(主にインターネット広告による集客)のコンサルティングや、サポートをしております。
仕事を通じて、沢山の非営利法人やNPOの方々と出会い、取り組む社会課題についてお話しを伺います。
あなたにとって「社会課題」とは何ですか?
人や団体によって設定している「社会課題」は、もちろん多様なわけですが、その中で「社会課題」という言葉の捉え方が、人や団体によって異なることに気付かされます。
言葉の定義付け(捉え方・解釈)には、その人の価値観が表れます。
例えば、モチベーションという言葉の定義を「やる気」と捉えてる人は、その時々の気分やテンション、その前にあった出来事によって、モチベーションが上下し、自分自身のコントロールが難しくなります。
ではコントロール出来てる人は、人によって様々ですが、「やる理由」のような気分やテンションに上下されないものを選んでいる傾向にあります。
まずは各人の設定している社会課題について。
粒感は様々ですが、キーワードを書き出すと
ハイ、まだまだあります。キリがないです。
実際に書き出してみると、視点を広げると、自分自身も「社会課題」において、被害者であると同時に、加害者であることに気付かされます。
というより、今生きる全ての人は「社会課題」を産み出してると言って過言はないではないでしょうか?
1人のビジネスマンとして、社会人として、大人として、完全なる綺麗な(無害な)人にはなり得ないですが、「課題を産み出す量」より「課題を解決する量」の割合が多い人でありたいです。
「社会課題」をどう定義していますか?
では改めて「社会課題」とは何なんでしょうか?
Wikipediaによると…
※「社会課題」で検索しても出なかったので、「社会問題」にしています。
細かくて見づらいので、主要な部分を抽出すると、
はたしてこの定義通り「一般に広くその存在が知れ渡っている問題」を解決するために、世の中に10万もの非営利法人が存在しているのでしょうか。
また自分自身が事業をつくっていく中で、フォーカスしている課題は、この定義から生まれているわけではないなと。
自分なりの「社会課題」を定義しよう。
※ここでいう定義は、捉え方や解釈という意味て使用しています。
今生きる全ての人にとっての「社会」とは、その人自身の日常そのもの、その人が「苦しい」「不安だ」「ツラい」「死にたい」と考えているのであれば、その内面に存在しているそれ自体が最小単位の「社会課題」だと考えています。
要するに誰かにとって取るに足らない課題も、その人が苦しくて圧し潰されそうなのであれば、それは社会課題である。
社会の存在する様々な「不」に対して、行政が税による富の再配分や、市場が収益の最大化を目的に事業をしています。
その行政や市場からこぼれた「不」と向き合っているのがNPOなどの非営利法人なんだなと考えるわけです。
一般的にはコンサルティングが主体の場合、高単価の顧客に注力するのですが、上記のような考えから、
と課題や組織の大小に関わらず、必要としてくれる団体に対して、サービスを提供しています。
こぼれた「不」と、その「不」と向き合っている人たちと伴走し、救われて、報われて、誇れる事業をつくっていく所存です。
サポートされるとすごく喜びますし、もっと頑張ります。