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あなたは無理する必要なんてない 幸福になるための論理④不公平感編その2

さて、今回はいよいよ我々の幸福を妨げる「不公平感」を克服する方法をお伝えします。

前回は、まず不公平感の正体を考えました。それは、自分の中の「損得勘定から来る他人への嫉妬」(A)と、「いい人と思われたいという願望」(B)の葛藤でした。

そしてこの感情に苛まれるのは人間としてごく自然なことであり特別なものでないことを確認し、そのことに悩む自分を許す(自己受容する)ための論理を展開しました。それは、「自分が産まれてここにいる理由」を考えれば、自然と自己受容に至るというものでした。

これで不公平感を克服する心理状態は準備できました。以下でその方法(考え方)をお伝えします。

人類は「交換の論理」に支配されている

実は、「A=損得勘定からくる嫉妬」も「B=いい人になりたいという願望」も、人類が普遍的に持っているある特性から生じているものです。
 これは現生人類(ホモサピエンス)の、生存のための戦略から産まれてきたものだと言われています。
 人類は個々が非力であり、かつ女性が妊娠中保護を必要とすること、子供が産まれてから相当長い期間つきっきりの世話を必要とすることなどから、相互に助け合わなければ生きていけません。
 この必要から私たちの心の中に産まれ育ったのが「返報性の原理」です。
 何か恩を与えられたら、その人(やコミュニティ)に恩返しをしなければならない。
 また、何か恩を与えたら、その見返りを期待する。
 これは人類として当然の感情なのです。

 逆に言えば、人類はこの原理に「支配」されているのです。
 この原理の支配の強さは半端ではありません。この原理によって人類はここまで発展し栄えてきたとも言えるし、今も多くの人が不幸感に苛まれていると言えるほどです。
 この「返報性の原理」から完全には抜け出られなくとも、ある程度自由になる。これが「不公平感」に対処するための答えです。

自分は既に多くを与えられていることに気づく


 ではどうするか 。私の結論は、「すでに多くを与えられていることを想像」し、「返報性の原理を大きく拡張すること」です。


 私は毎朝起きたらコップ一杯の水を飲みます。この水は地下に張り巡らされた水道管を通じて供給されたもので、その水道管の工事には多くの人々が作業員で関わったはずです。さらにこの水は消毒されています。浄化槽が適切に管理されているからです。これら工事や浄化槽の消毒のための技術は、人類が様々な叡智を結集し可能となったものです。工事のための機械は、鉄鋼の技術や電気の技術など、数多くの技術が使われています。水道管の配置については、地震に耐えられるよう緻密にデザインされたものです。浄化槽における消毒や管理については、どの程度の毒性なら人体に影響を与えないか、大量に飲む場合はどうかなどの大量の実験に基づいた生物学の知見があり、大型浄化槽を維持するための多くの技術員も関わっています。


 このどれもが、私が行ったことではありません。私が直接会ったこともない誰かが情熱をもって取り組んだ、そして今も取り組んでくれているからこそ私は一杯の水が水道から直接飲めるのです。昔の人類は一杯の水を飲むために川まで汲みに行ったでしょう。場合によって何キロも歩いたでしょうし、その水源をめぐって戦争もしたでしょう。また今も水道がない地域ではそうして生きている国や地域はたくさんあるはずです。

 またこの一杯の水が飲める私がいるのは、当たり前ですが「親がわたしを産んでくれたから」です。出産の痛みや苦しみは並大抵なことではありません。こうした無償の愛をわたしに提供してくれたからこそ、わたしは今水が飲めるのです。

 こう考えると、すでにわたしは「多すぎるほど与えられている」のです。返報性の原理を適用すれば、無限に恩返しをしなければ返しきれるものではありません。

 この、日常のささいなことに想像力をめぐらせて、多くを与えられていることに思い至り、感謝すること。そして、一杯の水について与えてくれた人が誰か分からないように、恩を返す相手が特定できない以上、自分と関わる人にその分与え、感謝しようと思うこと。
 こうすることで、閉じた人間ネットワーク(家族、職場、友人関係等)の中での一対一の返報性の関係から脱却し、歴史と世界との返報性の関係に切り替えること。返報性の原理を拡張すること。


 こうして、常に「報われないわたし」のことばかり考える思考から抜け出し、思考のベクトルを「私以外」に向けること。
 これが「不公平感」から抜け出すために必要なことです。

想像力を手に入れるために~私は世界の中心ではない~

「私はあの人に比べて運が悪い」「私は私が嫌い。こんな私が生きる世界なんてないんだ」「あの人はこんなに輝いているのに私は・・・」等々

人間はこのように「自分」のことばかりにベクトルを向けると、どうしても「自己否定」をする生物です。「自己否定」によって生態系の頂点に立ったとも言えますが、これではいつまでも「不幸なわたし」という状態から抜け出せません。ここで、前回お話した「自己受容」が重要なのです。

そして考えてみてください。よくある議論として

「私は私以外にはなれない。私のフィルターを通じてしか世界が見られないのだから、私にとっては私から見た世界こそが唯一絶対の真実だ」

というものがあります。

でも、本当ですか?私から見た世界以外にも、世界は存在していますよね。たとえ私が死んでも、世界は存在していることは自明です。

そう、私は世界の中心ではないのです。だから、私だけが頑張る必要もないし、世界の他の人々は、敵ではなく、同じ世界を生きる仲間なのです。私は私のことばかり責め続ける必要はないのです。

こうして私が世界の中心ではないことが腑に落ちれば、自分の行動ばかりを自分で責める構造から抜け出し、自分から世界に対してベクトルを向けることができるようになります。自分ではなく、世界について想いをはせ、その成り立ちについて想像し、自分がいかに多くを与えられているかについて考えることができるようになるのです。

自分が感謝しているからしてあげたいと思う範囲で行動すればよい

 ここで、「そんなこといったって自分が与えられる感覚なんて持てない」という声が聞こえてきそうです。


 それでいいんです。まずはそんな自分を受容する。受容して腑に落ちたら、ベクトルを自分から世界に向けてみる。世界について考えてみる。そこから得られたほんの少しの「与えられた感覚、恵まれている感覚」の範囲内で、つまり「自分の感謝の総量」の範囲内で他人に対し行動すればよいのです。

「常に与える人」になんかならなくてよいのです。人間は完全には「返報性の原理」から自由になることはできません。「与えられた感覚」がなければ「与える」ことはできないのです。

重要なことは、返報性の関係を「特定の相手」から世界や歴史も含めて拡張することです。その想像力から得られた感覚の範囲内で、「自分がしてあげたい」と思う範囲内で与えればいいのです。

だって、私は世界の中心ではないのです。自分だけが無理をする必要もないし、時には支えられ、時には支えて仲間とともに生きているのです。

人類は世界中の人とつながり助け合っているのです。これを言うと詭弁だと言う人も言うかも知れませんが、事実です。あなたが今手にしているスマホは、一体誰が作ったものですか?その技術を開発した技術者(過去の人々を含め)から助けられていないですか?自分の体を構成するタンパク質の元となった、昨晩食べたお肉は?食後のコーヒーは?世界中の人々と助け合っている証拠ではないですか。

無理して生きる必要なんて、ないんです。みんな仲間なんですから。

自分の「こうしたい」で生きましょう。自分を認め、世界に思考のベクトルを向け、他人からの評価から自由になり、世界に感謝して「したい」で自分の行動を埋めていく。返報性の原理をうまく使いこなしていく。これが不公平感を克服する方法です。

参考文献の紹介

さて、前回と今回で展開した論理の参考文献をご紹介します。

まずベース理論の引用は、やはりこの本。「自分からベクトルをはずす」という発想は本当に画期的だと思います。

前回の自己受容の基礎の考えとなる「ここにいる不思議、産まれてきてここにいること」について包括的な哲学思想を変遷できるのが、ベストセラーにもなったこの本。主にこの中のジョン・ロールズの正義論と、サンデル本人のコミュニティに関する部分からこの発想ができています。

『これからの「正義」の話をしよう-ハヤカワ・ノンフィクション文庫-マイケル-サンデル』

返報性の原理について詳細を語っているのが、この本。返報性の原理がいかに協力に世界を支配しているかをこれでもかと紹介してくれます。


「多くを与えられていることを感謝する」という発想は、贈与の構造を解説したこの本。

『世界は贈与でできている 近内悠太 NewsPicksパブリッシング』

次回以降について

さて、これまで4回にわたって、幸福になるための論理としてシリーズで抽象的なことを書いてきましたが、当面ここで終わりにします。

次回以降は私がいままで書いたようなことを考えるきっかけになったエピソードを具体的にご紹介します。そしてそこから教訓を得るための鍵となる書籍を紹介し、そこから幸福に生きるための知恵を引き出していこうと思います。

また、世界についての様々なことについて私が考えたことをつらつらエッセイ的に書いていこうと思います。

加えて、純粋な書籍の紹介記事も書いていきたいと考えてます。本にはほんと私は救われています。

もしよければまたお付き合いください。それではまた。


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