「即戦力左腕」の8年後―夢のメジャーデビュー目前のダニー・ハルツェン

2011年のMLBドラフト、ピッツバーグ・パイレーツが全体1位でゲリット・コールを指名した後、全体2位指名を持つシアトル・マリナーズはバージニア大学のエース左腕ダニー・ハルツェンを指名した。

ハルツェンは大学3年間で主に先発投手として通算32勝5敗、防御率2.04という輝かしい成績を残しており、また大学時点で投手としてのレベルが非常に高かったことから、すぐにMLBへの昇格が見込めるいわゆる即戦力左腕としての呼び声が高かった。

この年のドラフトでは、2位以降の指名でトレバー・バウアーやブレイク・スネルといった後にオールスター級の先発に成長する投手も指名されているが、その中でもマリナーズがハルツェンを選んだ理由としては前述の即戦力という点を重視したからだろう。当時のマリナーズはタイワン・ウォーカー、ジェームス・パクストンといったエース級のプロスペクトを複数抱え込んではいたが、いずれもポテンシャル先行型の選手であったため、確実に活躍が見込めるプロスペクトとしてハルツェンを確保しておきたかったのではないかと推察される。

しかしドラフトから8年経った2019年、コールやバウアーらがMLBで各球団の主力選手として活躍する中、「即戦力左腕」と呼ばれていたハルツェンは未だMLBでデビューすら果たせていない。近年のMLBドラフトでも有数の大失敗指名に数えられる存在となってしまった。

ただようやく近い将来に彼の姿をMLBの舞台で見られるかもしれない、そんな状況になりつつある。そこに至るまでには長く、険しい道のりがあった。

「即戦力左腕」を狂わせたもの

ドラフト指名後、マリナーズと5年850万ドルのMLB契約で入団したハルツェンは、翌2012年にAA級でプロデビュー。13先発で8勝、防御率1.19と即戦力左腕の呼び声に相応しい成績を残し、AAA級への昇格を勝ち取るのにそう時間は必要なかった。

しかしAAA級での初先発は3回5失点。大学入学後1カ月でエースの座に登りつめ、プロ入り後も相手を寄せ付けないような投球を見せていたハルツェンが初めて壁に当たる。そして、ここから終わりの見えない長い長いトンネルにハルツェンは迷い込むこととなる。

全体2位指名に相応しい選手に成長しなければならないと感じるほどに責任感の強い選手だったハルツェンは登板間の練習量を増やし、早く壁を乗り越えようと考える。しかし練習量の増加により当然身体は疲弊し、これが原因で投球フォームを崩してしまい、肩と腕を痛めてしまう。成績も振るわず、問題が生じていることは明らかだったが、ハルツェンは全て自分で抱え込んでしまった。後にインタビューでこう語っている。

"I held it all in, which made it all worse,” Hultzen said. “I didn't tell anyone about my arm hurting because I didn’t want to be the guy that got picked where I did and screwed up and got hurt. That was just a dark, dark place for me for a while. That’s probably my only regret in my baseball career, is not being more honest about myself and how I was feeling. I was very, very closed off.”
「私は全て自分で抱え込んでしまい、それが事態を悪化させてしまった」とハルツェンは語る。「誰にも自分の腕が痛いことを言わなかった。なぜなら私ほどの順位で指名されながら、しくじって怪我をしたと思われたくなかったからだ。それがしばらく自分の中で暗い部分としてあり続けた。自分や自分の気持ちに正直になれなかったことがおそらく私の野球人生において唯一の後悔だ。私はとても塞ぎこんでいた。」

誰にも相談できないまま、痛みを抱えた状態で投げ続けたハルツェン。しかし彼の身体は既に悲鳴を上げており、2013年に6試合に先発した後、左肩関節唇と回旋筋腱板を損傷し、手術を受けることとなり、そのままシーズン終了となった。2014年も手術の影響で1試合も投げることなく終えてしまう。

この時点で失ったシーズン数は3。ドラフト全体2位指名という高い期待を受けながら、その期待とは程遠い現実を前に、ハルツェン自身も焦りやプレッシャーを感じていたようだ。復帰を焦り、完全に治りきってはいない状態で戻ってしまったことから、2016年のスプリングトレーニングでは投球後に携帯電話を持ちあげられないほどの状態だったという。再び手術を受けることとなるのは、その年の7月のことだった。

リハビリに数年の時間を費やしている選手にマリナーズもMLBの40人枠をいつまでも与えることはできず、2015年のオフにハルツェンはMLBの40人枠を外れる。そして5年契約の満了と共に、2016年にFAとなった。この時点で27歳、投手として致命的な怪我を抱えている彼を獲得する球団などなかった。

カムバック

野球選手として誰もが終わったと思う中、ハルツェンだけは再起を諦めてはいなかった。学位取得のため母校のバージニア大学に戻ったハルツェンは、かつて自分も所属した野球部でコーチを務める傍ら、リハビリにも励み、怪我が癒えるのを待った。

リハビリの成果もあり、長い距離でのキャッチボールをこなせるようになったハルツェンは、少しずつ投球に必要な力を取り戻していく。しばらくした後にはブルペンでの投球も再開できるまでに回復し、3回目のブルペン投球時には球速も90マイルに達し、いよいよプロへの復帰が現実味を帯びてくる。

スカウト陣を集めて自分の現状をアピールしようと考えるほどに状態が良かったハルツェンに吉報が届いたのは2018年2月のことだった。ハルツェンの回復を聞きつけたシカゴ・カブスがマイナー契約をオファーしてきた。カブスには、かつてハルツェンがマリナーズ所属時に投球コーディネーターを務めていたテリー・クラークが在籍しており、そのクラークの計らいもあったようだ。ハルツェンはカブスと契約を結び、カムバックへの第一歩を踏み出した。

以下は今年撮影されたハルツェンの投球動画である。速球は最速97マイルまでに達し、かつての力を取り戻していることがわかる。

夢のメジャーデビューへ

そして今年、ハルツェンは順調にステップアップし、先週正式にAAA級のロースターに登録された。リリーフとして既に4試合に登板し、3回2/3を無失点、6奪三振と内容も上々だ。

カブスは現在ナショナル・リーグ中地区の首位に立っており、プレーオフ争いの真っ只中にいる。シーズン残りの2ヶ月間を戦い抜く上でブルペンの力は不可欠となるが、現状左のリリーフはカイル・ライアンしかいない。ハルツェンがメジャーのブルペンに割って入る隙はあり、実際カブスの編成部長であるセオ・エプスタインもハードルは残るものの、ハルツェンのメジャー昇格の可能性が高いことを示唆している

「即戦力左腕」の触れ込みから8年後、いよいよ夢のメジャーデビューの日も近い。

---2019年9月7日追記---

ハルツェン、ついにメジャー昇格。長い長い道の先に、ようやく夢を叶えた。



たくさんのサポートを頂き、ありがとうございます。とても励みになっています。 サポートでシアトル・マリナーズを救うことはできませんが、記事を書くモチベーションは救うことができますので、少しでも記事を面白いと思って頂いた際にはぜひお願いします。