《2/4》チャールズ3世は300年前に存在していた⁉︎
全4話中の第2話です。
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前回までのあらすじ
かつて「英国王チャールズ3世」を目指して立ち上がった英国王の孫、チャールズ・エドワード・ステュアート(トップ画像)のお話です。
第1話はこちら
チャールズの上陸
革命でイギリスを追われた祖父、
王位奪還を目指すも叶わなかった父、
そして彼らの支持者ジャコバイトの思いを双肩にかけ、24歳のチャールズはスコットランドの島・エリスケイに上陸します。
1745年7月23日の事でした。
↑
エリスケイの海岸。360°ぐるっと回せば、貴方も上陸したてのチャールズ気分?
◇
ところで、チャールズはこの蜂起にあたり、祖父方の親戚であるフランスから支援を受けていました。
彼はフランスから2隻の船を借り受けてイギリスを目指しますが、その内の1隻(しかも兵士や武器の大半を載せていた方)がイギリス船に襲撃され、使い物にならなくなります。
しかし、血気盛んなお年頃(24)のチャールズ、こんな事ではくじけません。
何と船1隻のみでそのままイギリスを目指します。
残った方の船には、 聖職者を含む12人しか乗っていなかったそうです。
◇
さてスコットランドでチャールズを出迎えた有力者達はびっくり。
何しろ、国王への反旗を翻そうとしているのにろくに武器を持たないまま上陸してきた訳で…
何人もの人に
「やめた方がいっスよ」
「国に帰った方がいっスよ」
と進言されます(当たり前)。
しかしチャールズは
「私の国はここだ」
として、決起の姿勢を崩さなかったのでした。
ジャコバイトの進軍
そんな調子で 前途多難なスタートだったのですが、この後大方の予想に反し、チャールズは絶好調で進軍を続けます。
7月末に上陸して、9月にはスコットランドの主要都市エディンバラに入城。
更にそこからロンドンを目指し、イングランド中部のダービーに到達します。
この事態に、ロンドン市民はパニックに陥ったそうです。
まさか、このままチャールズ3世が爆誕してしまうのでしょうか…?
続きはまた次回↓
参考
トップ画像:
Prince Charles Edward Stuart, 1720 - 1788. Eldest son of Prince James Francis Edward Stuart
painted by William Mosman
Creative Commons CC by NC
nationalgalleries.org
・jacobites.org.uk
《 1745 Jacobite Rebellion - Story Map 》
・Wikipedia
《 1745年ジャコバイト蜂起 》
・YouTube
Art Documentaries
《 1/4 The Lost Portrait of Bonnie Prince Charlie: A Culture Show Special 》
・肖像画で読み解くイギリス王家の物語/君塚直隆 著/光文社新書/ 2010.9.20
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