《6/9》ボナパルト家を取り巻く女性たち - マリア・ヴァレフスカ編【妊娠】
1808年3月─マリアがパリにやってきて間もなく─ナポレオンはスペイン方面の戦線に向けてパリを発ちます。
それに伴い、マリアはポーランドに帰ったのでした。
ここから1年と少し、マリアの足取りはよく分かりません。
そこでナポレオンの動きを見てみましょう。
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戦争を行う傍ら、ナポレオンは新しい計画に向けても動いていました。
一向に子供を授からないジョゼフィーヌと離婚して、新しい結婚相手を見つけようとしていたのです。
そして同じ年の夏、再婚相手のリストを作らせます─。
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1808年夏、ナポレオンは再婚を考えお相手リストを入手していました。
年齢、宗教、国によって選ばれた名家の姫君は全部で17人。
一部ご紹介しましょう。
🇷🇺ロシア皇帝アレクサンドル1世の妹
🇦🇹 ハプスブルク家
◇
しかしヨーロッパ大陸中が敵だらけのナポレオン。
スペイン半島戦争に出発してから1年後の1809年春、
今度はオーストリアがフランスを急襲します。
ナポレオンはこの挑戦を受けて立ち、7月にはオーストリアを打ち負かしシェーンブルン宮殿に入りました。
そして再びマリアを呼び寄せ、2人の時を過ごすのでした。
そしてその年の9月、マリアの懐妊が判明。
一向にジョゼフィーヌとの子宝に恵まれず自身の生殖能力に疑いを持っていたナポレオンでしたが、オレは子供が作れるんだ!と喜びを実感したのです。
続きます。
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