《4/9》ボナパルト家を取り巻く女性たち - マリア・ヴァレフスカ編【2人の蜜月】
冬が明け春になる頃、2人はポーランド北部のフィンケンシュタイン城に移ります。
9年前に妻ジョゼフィーヌの浮気を聞かされ、あわや離婚の危機を経験したナポレオン。
久々に、恋に恋する季節を過ごしたようです。
◇
一方のマリアはと言うと…
ポーランド全国民の期待を背に、ナポレオンにポーランドの復活を打診します。
しかしナポレオンはポーランド国民に対し
「フランスに軍事的支援を行い、功績を上げればそれに応じて報われるだろう」
とはっきりしない態度を貫くのでした。
ちなみに「約束」に関するナポレオン先生の名言
◇
6月、マリアは一度故郷に帰国します。
いっぽうナポレオンは翌月7月に、プロイセン、ロシアと講和条約(ティルジットの和約)を締結。
ポーランドを奪い返します。
そしてその土地にワルシャワ公国を作りました。
しかしワルシャワ公国はフランスの衛星国という形で、完全にポーランド人の自由が認められた訳ではありませんでした。
彼女が "国のために捧げた犠牲" に見合う措置では無かったと言えるでしょう。
◇
ただ、時すでに遅し。
彼女はもうこの時ナポレオンに心を奪われていたようです。
遠距離恋愛中の1807年夏、パリのナポレオンから肖像画入りのロケットが贈られますが、マリアは生涯それを大切に身につけていたそうです。
◇
そこからおよそ半年経った1808年初頭。
ようやくマリアはナポレオンからパリに呼び寄せられました。
多忙なナポレオンは、自身の部下に愛人の世話を任せます。
この部下と言うのが、ジェラール・クリストフ・ミシェル・デュロック。当noteでは2度目の登場です。
(↑デュロックが登場する記事はこちら。この記事は、それから約6年後の話)
デュロックは、ポーランドから出てきたマリアに花の都を見せるべく劇場やオペラ座に連れて行きました。
マリアはオペラ座で、向こうの席にいる皇后ジョゼフィーヌ(ナポレオン妻)の優雅な姿を目に焼き付けたと言います。
続きます。
この後話が大きく動きますが、その前に、ナポレオンが愛人にうつつを抜かしている間、妻ジョゼフィーヌはどうしていたのかを見てみましょう。
参考元はこちら↓
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