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《9/9》ボナパルト家を取り巻く女性たち - マリア・ヴァレフスカ編【再婚、その後】

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ナポレオンがセントヘレナ島に流されてから1年余り経った1816年9月。
何とマリアはベルギーで再婚。しかもお相手は、ナポレオンのいとこという衝撃。

お相手の名はフィリップ・アントワーヌ・ドルナノ。
一体どういう人物なのか、駆け足で見てみましょう。

フィリップ・アントワーヌ・ドルナノ
Public domain / Wikimedia commons


コルシカ島で、父ルイ・ドルナノと母イザベラ・マリア・ブオナパルテとの間に生まれました。
ブオナパルテをフランス語風に変えると「ボナパルト」
そう、彼の母はボナパルト家の人間─もう少し詳しく言うと、ナポレオンの父カルロの妹でした。
つまり、ナポレオンとは従弟という関係だったのです。



ナポレオン時代には、軍人として多くの戦いに参加。
そしてナポレオンが退位する前後の1813〜14年頃、かねてより思いを寄せていたマリアに求婚します(諸説あり、はっきりした時期は分かりませんでした)。

ナポレオンがマリアと初めて出会ったのと同じ ポーランドでのパーティーに、彼も参加していたそうです

unsplashより


この頃まだマリアはワレフスキ伯爵との婚姻関係が解消されていなかった為、プロポーズを固辞します。

しかし1815年、ワレフスキ伯爵は死去。
同じ年にナポレオンもセントヘレナへ行ってしまった事で気が変わったのでしょうか。
マリアは一転してドルナノと結婚します。

1816年9月、2人はベルギーのブリュッセルのサン・ミッシェル・エ・ギュデュール大聖堂で挙式、翌年6月にはなんと子供も産まれます。

Donaldytong • CC BY-SA 3.0
Wikimedia commons



しかしその直後、自身に腎臓病がある事が分かり、マリアは出産から半年後に亡くなりました。
31歳の若さでした。


彼女の生前の意思に従い、心臓はフランスに、遺体は故郷であるポーランドのキエルノジャに埋葬されているそうです。

ナポレオンが亡くなったのは、それから3年半ほど経ってからの事でした─。

フランスにあるマリアの墓
Pierre-Yves Beaudouin • CC BY-SA 4.0
wikimedia commons

その後

さてナポレオンとマリアの間には男の子が1人産まれていましたが、この子はのちにナポレオン3世の部下になります。

ナポレオンの遺伝子を色濃く受けた顔立ちだったので、知らない人は彼のことをナポレオン3世だと勘違いしたとか。
(そもそもナポレオン3世はナポレオンの甥なので、そんなに似てなくて当たり前なんですけどね…)

ナポレオンとマリアの息子アレクサンドルの写真。
写真・肖像画ともにパブリックドメイン



更にその子孫が現在でもいらっしゃいます。
その中から、ナポレオンの曾曾孫である ニコラス・コロンナ・ワレフスキ伯爵のお写真をご紹介します。

(この図の1番下の方です↓)

↑おでこの具合がそっくりです。↓

彼はロンドンのサヴィル・ロウにあるアセットマネジメント会社のCEOを務めています。

おわりに

2022年から密かに書いていたマリア・ヴァレフスカの生涯、ようやく完成しました。

ナポレオンからたんまり財産や贈り物をもらい、夫を捨て、挙げ句の果てにナポレオンのいとこと再婚…
厚顔無恥にも程があると思うのですが、何故かWikipediaや書籍の中では純粋無垢な女性というイメージで書かれている点にいまだに納得がいきません。ただのひがみ?

お読みくださった方々、ありがとうございました。

参考元はこちら↓

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