1989年 革命の失敗と転換② ーベルリンと天安門ー

現代史の始まり


1989年は私の中で現代史の始まりの年である。

1991年と悩むところであるが、ソ連が崩壊して新しい世界勢力図ができることよりも冷戦という構図が終わりソ連が崩壊へのラストランを始め、ベルリンの壁が崩壊してドイツが再統一。中国が経済成長を始める兆しが見え始める年である1989年こそ現代史の始まりだと見ている。

現在の現代史は範囲が広くそろそろ教科書を書き直さないといけない時期にあると私は考える。戦中・戦後というものの時代を再検討するべき時代が来ているのだ。

日本で現代史というと戦後史そのものになっていしまう。それは日本がいかに国際社会の中で中途半端な立ち位置だったかを如実に表している。

戦後史の中で区切るところはなかったなのか。

探せばそんなものはたくさんある。

例えば昭和が終わり平成が始まった1989年。

自民党による「55年体制」が終わった1993年だ。

ここは立派な歴史の区切りになる。

なのに日本の教科書は全然改変する兆しがない。どれだけ戦中・戦後に女々しいものが詰まっているのか。

とりあえずヴェノナ文書を考慮したうえでの教科書なら私は「偉大な教科書」だと皮肉交じりに賛辞を送ろうと思う。

さて1989年で私が注目するのは社会主義国家と共産主義という思想の敗北としてのベルリンの壁崩壊と敗北ではなくそこから新しい方向へと転換した弊害に武力で立ち向かった六四天安門事件。

かたや平和の象徴、かたや自由主義への挑戦状。この時代は現代にも通じる新たな歴史が開いた時代でもある。

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ベルリンの壁崩壊は新たなドイツを作る起点となり平和の標となった。

ベルリンの壁の崩壊はまさに奇跡のようなことだ。あれこそ民主主義のなせる最高の結果ではないのか。

ドイツは何度もナショナリズムによって団結し世界に影響力を持つ国へと発展していく歴史を歩んできていたが、物理的にも思想的にも分断され冷戦の象徴ともされたベルリンの壁の崩壊はまさに私からすれば平和という理想の成就だったと思うのだ。

あれは世界に紛争の平和的な解決は可能であると思想や物理的な壁も双方の理解とお互いの思い次第で越えられるという証明だ。

そしてこれは同時に長く続いた理想社会の挫折であり失敗も表している。

世界は長期的な実験に失敗したのだ。

社会主義という一つの理想社会の実現に失敗した。

細かく言えばあれはマルクスの言う理想ではないとしてまだ可能性があるという風に述べる人も当然いるでしょうが大まかに言えば失敗したのだ。

1848年マルクスが「共産党宣言」を発表したあの日から多くの人が期待を寄せた社会の夢は終わりを迎えたのだ。

あれは理想の社会ではなかったのだ。 

人々は「自由」を選び声を上げた。

これがのちのソ連崩壊につながる重大な事件となった。

ロナルド・レーガンが「悪の帝国」と呼んだソ連は連鎖的に崩壊したのだ。

社会主義国家の倫理観は否定されその社会の中で人々は幸福になれないと決断したのだ。

監視社会の窮屈さに人々は耐え切れなかったのだ。

彼らは貧困に苛まれ自由主義に憧れそれでも抑圧されてきたことからの平和的な逃避。

それこそベルリンの壁の崩壊なのだ。

そこからのドイツはすごかった。EUの盟主となり経済成長を続け現在も欧州最大の影響力を持っている。

まさに歴史の証明だ。

社会主義では豊かになれなかった人たちが今、自由主義の社会で豊かになっているのだ。

ドイツはあの日から豊かになる道を歩み始めたのだ。

日本にとって危機の時代である平成の時代はドイツにとって豊かになっていく素晴らしい時代だったのだ。

東西統一の英雄ヘルムート・コールは現代ドイツが成長する筋道を立てコールのもとで育ったアンゲラ・メルケルがこれを実現した。

その一方でドイツは現在、EUの盟主として欧州諸国の一部勢力から反感を買っているのも事実である。

しかしそれも手に入れた影響力の賜物だ。

移民をたくさん入れている理由も国内の労働力の不足が原因だ。

ドイツも日本同様少子化に悩まされている。故に移民を積極的に受け入れ労働力としドイツの国力の糧としているのだ。

そしてドイツは再び転換期に来ている。

ベルリンの壁の崩壊は平和とその後のドイツの成長を生んだ特別な日なのだ。

今後のドイツはEUの盟主の立場を捨てるのかということだ。

これまでEUの中で力をつけてきたドイツがこれから先EUを捨て再びドイツが単独で立ち上がるのかという転換が、今後のドイツ国内で議論されていくことだろう。

東西ドイツ統一から始まったコールからメルケルにかけての成長の時代は終わりメルケル後の次の時代は覇権を目指す時代に入っていくのかというのが私の中の興味の中心だ。

今後のドイツは少子化改善のための移民政策とEUのお守りという立場に対する不満にどう対処するのか。

ドイツが社会主義を否定したあの日から今、平和的にグローバリズムを否定する方向性になるのか。

歴史においてドイツという国は何度でも立ち上がり欧州に影響を及ぼしてきた。

1989年のドイツは再びドイツが本格的に再起を目指すという意思を示した年だと私は考える。


1989年6月4日 自由は一度死んだ

西で社会主義が否定される前に東では自由主義が否定された。

これだけでも1989年の持つ意味を私自信感じざるを得ない。

今でこそアメリカと肩を並べるに至った中国。その出発点もまた胡耀邦元総書記の死と共にやってきた鄧小平が事実上の指導者として中国の発展を模索している中で時の国民は社会主義体制への反発を始めた。民主化のデモが発生したのだ。

ソ連も崩壊間近、ペレストロイカによって急激に自由主義社会の情報が入り込み国内に混乱が予想される中、情報公開には慎重姿勢だった中国でも民主化の動きが表れたのだ。

この声は西のドイツのように平和的な形で受け入れられることはなかった。

武力というもので徹底的に弾圧されたのだ。

あの日、自由主義社会は中国の危険性について理解したはずだった。

デモ隊をひき殺す装甲車の姿を世界中のメディアが報道していたのだから。

世界中を震撼させたあの事件だ。

言論の自由を殺し、国民の命を奪い、恐怖によって自由の産声を装甲車と権力が絞殺したのだ。

しかし、その後の中国の経済成長は目まぐるしいものがあった。

マカオも香港も返還され「BATH」がテクノロジーの象徴となりアメリカを凌ごうと覇権へと手を伸ばし始めたのだ。

各地の港を租借し他国の主権を脅かし世界中から危険視されている中国。

人口は世界最大、格差も日に日に開いている。

一国二制度という社会主義体制だが自由経済に参戦するという不思議な手法を持って拡大政策を行いもめごとをたくさん起こしている。

現在も香港をどうするのかということで注目を集めている。台湾も危機感を感じていることだろう。

北朝鮮も主体思想を発表以降必ずしもうまくいっているとは言いにくい部分がある。

覇権国家を目指すにあたって他国に軍隊を置くというのは割とあることだ。「一帯一路」構想も発表し「AIIB」も創設し覇権を取る準備は万端だがあまりにも敵を作り過ぎているためその道はどんどん困難を極めている。

毛沢東から始まった社会主義の理想は鄧小平によって転換を迎え習近平によって覇権奪取という野望へ引き継がれている。彼らにはこの野望を失敗するわけにはいかないという責任感がある。

今の中国共産党による中華帝国は私からすればいつ崩壊してもおかしくない危険性を孕んでいる。

弾圧されている多様な民族と貧富の差に悩む国民。中国は常に何かしらの爆弾を抱えながら生きているのだ。

2019年 再び自由は死ぬのか
香港という問題は今年建国70年を迎えようとする中国にとって重要な事象だろう。

逃亡犯条例の是非をめぐって行政政府と人民の間で対立が発生し多くの香港市民によってデモが始まった。

逃亡犯条例の問題については行政側が撤回しデモは収束に向かうかに見えた。

しかし、その後もデモは収まることなくさらなる要求を行政側に訴えどんどんエスカレートしている。けが人は常に一定数出ていたがついに死者も出てしまい収まりがつかない状況になってきている。

国際的な注目は中国政府がこの香港の現状に本格的に介入するかいなかという点に集まっている。

彼らは再び天安門のような悲劇が起こるのではないかと危惧しているのだ。

確かに軍事行動を起こす可能性は0とは言えない。十分に考慮してもいい話だ。

そうなれば香港から自由はなくなる。

自由主義は中国から殲滅されることになるのだ。

何故デモが収まらないのか。

これは逃亡犯条例の撤回を成し遂げた今、この勢いに乗って香港をより自由にしようではないかという意思の表れだ。

中国の民主活動家というのは過酷なものだ。その自由が実現されるまで狭い肩身の中命がけで戦っている。

劉暁波氏が死んでしまった今、その意思はより固く強くなっているのかもしれない。

デモ隊が訴えている5つの要求。

その内の1つである「逃亡犯条例の撤回」以外の4つ「市民活動を暴動とする見解の撤回」「デモ参加者の逮捕・起訴の中止」「警察の暴力的制圧の責任追及と外部調査の実施」「行政長官の辞任と民主選挙の実現」これは難しいものがある。

行政側と民衆でこれを話し合いですり合わせるのは難しいに決まっている。しかし、だからといってデモが過激化するのはよろしくない。

デモ隊の逮捕・起訴の中止というが過激派が行っている火炎瓶などの行動は暴徒だと思われても仕方がない。

日本でゲバ棒を持って人を殺したデモ隊の人間が逮捕されるのと同じで彼らは法を犯していると見られても仕方がない。

ただのデモだけなら逮捕者が出るのは不思議な話だが、そこに暴力が生まれ被害を出しているなら逮捕・起訴をされるべき事案だと考える。

民主選挙の実現についても非常に難しい、前回の行政長官選出選挙も私の知る限りハリボテの民主選挙だったと思っている。

しかし、これをどう民主選挙にすればよいのか。

不正をしている証拠をつかまなければならないのだ。

運動会の玉入れの結果発表みたいに大衆の前で1票1票確認しないことには不正のない選挙だと納得できないのではないか。

外部調査に関してはしてもよいと思うが国連の監視団がくるかどうかとなると拒否権問題が出てくるのではないかと推測する。

弱いものに対して国連は冷たいのかもしれない。

来年、総統選を控える台湾もこの問題には注目している。 

独立の機運が高まる双方を中国本土はどう制御するのか。

やはり再び自由は殺されるのか。

それとも軍事に頼らない新しい技術を作っているのだろうか。

サイバー攻撃という目に見えない攻撃、これは不正がない場合でも言い訳として用いられてしまう非常に危険なワードだ、トランプ大統領の時もそうだが、こんなに便利な言葉ない。

この言葉が乱発され民主主義の結果にわがままな意見を発し混乱を生むというのはより社会に分断を生む可能性がある。自由や民主主義というのも今転換期にあるのかもしれない。

ドイツと中国に見る社会主義の限界
両国を簡単に比較してわかったことだが彼らは両方とも元社会主義国である。

(中国は建前上社会主義) そして自由主義経済下で成長しているということだ。

これは他の国にも言える、現在のベトナムの経済成長も著しい。他にもロシアも建国当初はそれなりの経済成長を遂げていた。

これは社会主義経済では起きない投資という資本の流動が招くものだ。投資家にとって旧社会主義国家というのは金になる未開の地なのだ。

朝鮮半島にもこのような経済成長の可能性を残している国が一つある。

それは北朝鮮だ。

社会主義は経済上どうしても貧困という壁にぶつかってしまうという弊害がある。

しかし、ひとたび自由主義経済に飛び込めば彼らはたった数年で経済成長を遂げ世界に影響力を持つに至るのだ。

実際に北朝鮮が市場開放を行うかどうかはわからないが可能性は十分にある。

韓国が今北朝鮮との統一を望み動いている今、中国のように一国二制度という手法で朝鮮統一国家の実現をする可能性は十分にある。

もしそうなればこんなにも日本にとって脅威となることはない。

核を持った反日姿勢の国が誕生するのだから。

日本はいよいよ経済で抜かれ軍事力でも抜かれ、ますますアジアで肩身を狭くするかもしれないのだ。

日本もこのようなアジア情勢をしっかりと受け止め転換する時に来ているのだ。

アメリカが世界の警察をやめその影響力を縮小させていく一方で中国がその影響力を拡大させているのか。

それともアジアは現在の欧州のように各国が一定の勢力を持ちその中で一国が盟主となりえるのか。

はたまたアメリカ・中国の両方から距離をとる第三陣営が生まれるのか。

今後のアジア情勢が混迷を極めることは想像に難くない。

その中で日本が取るべき行動は何か。何が問題か。どうするべきか。多くのことについて少しずつ国民が考えていかなければ、日本はアジアの小国として歴史から消える日が来るかもしれない。

1989年が社会主義の終わりを告げる年であり新しい方向へ転換した年だった。

2019年、日本は再び転換する必要があるということを提案して終わろうと思う。

Polimos管理人 オカソ

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