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ナイーブ系女子男子に告ぐ。

私も含め私の周りにはナイーブな人が多い。

ナイーブとはメンヘラ、パリピとは違いまだ世の中に存在が認知されておらず、取説わからず、生きづらさを日に日に積み重ねているような気がしている。ナイーブ系女子男子の友人が私にはとても大切で、心の動きが美しくて、いつも尊敬している。でも、美しいものは脆いというように、押したら倒れる危うさを兼ね備えているような気がする。そんなまだ世に知り渡ってないナイーブ系女子男子の特徴を今日は記してみる。(書いていると自分の取説を書いているみたいでしんどくなりました。。。)

他人の気持ちを理解できてしまう故にメンヘラになりきれないナイーブ系女子男子。

他人の痛みを自分ごととしてしまう、そんな特性をナイーブ系女子男子は持つ。心の傷というものは誰しも持ち合わせているが、彼ら彼女らは心の傷は深く記憶にも根強くはびこっている。だからか、彼ら彼女らは他人が少しでもしんどそうにしてたら、察し、手を差し伸べられる心が澄んだ人が多い。しかし、自分の心の痛みも他人の心の痛みもわかるが故に、自分の負の感情の対処が死ぬほど下手くそだ。他人にこのどろとろした感情を共有すると迷惑がかかるのではないか、しんどい思いをするのではないか、と危惧してしまう。また、過去の傷が後を引き「そんなことに悩んでどうする」と突っぱねられることを恐れ、負の感情を溜め込んでしまう。メンヘラみたいに他人に依存するほど、「私は孤独だ」「つらさをわかって」「私を愛して」と言えたらどれほど楽であろうか。(メンヘラになりたい。もはやギャルになりたい。)

鬱になりきれないナイーブ系女子男子。

ナイーブでも生きていけるのだ。自分の負の感情を、他人に肩代わりさせないように、なんらかの対処法を編み出し、処理していく。私の場合はこのnoteで純度100%の負の感情を吐くことによってなんとか理性を保っている。いっそ病気になって社会不適合者のラベルをはられたらどんなに楽だろうかと思うことも度々あるが、はられたからといって他人がナイーブ系女子男子のことを理解して生きやすくなるかというとそうでもない。「あいつは弱いやつ」と言われたらそれはそれは心の傷が増えるだけだ。彼ら彼女らは決して弱いのではない。他人の気持ちがわかってしまうのだ。勝手に他人の生きづらさを抱えて責任感とこの世の不条理に押しつぶされてしまうのだ。それは決して弱いのではなく、強さと優しさの配合で優しさが少し多いだけ。

自分の世界を大切にするナイーブ系女子男子。

ナイーブ系女子男子は自分の世界が大切だ。他人の感情にひっぱられることが多いからこそ、自分の世界観を大切にする。その世界に文句を言われても、尊敬の念が入っていたら許せるのだ。でも、全否定されると彼ら彼女らの小さなプライドはボロボロと砕けていく。あぁ、またわかってもらえなかったと自分をどんどん追い込んでしまう。

みんなが楽しいと思えることが楽しくないナイーブ系女子男子。

ナイーブ系女子男子の多くがコミュ障だ。相手に何を言えば失礼ではないか、自分はこの空間のどこに立っていたら迷惑ではないか、そうやって相手のことを考えて考えて結局喋れない。それがナイーブ系女子男子だ。だから大人数が嫌いだ。打ち解けてないのに、大人数で居酒屋、カラオケ、懇親会などもってのほかだ。でも、断ったら失礼かもしれないと思い、参加するが大抵失敗してしまう。(私は懇親会は30分が限界です。。。)

ナイーブ系女子男子はどうすればいいの?

一体ナイーブ系女子男子はどうすれば生きやすくなるのだろうか。答えは一つだ。ナイーブ系女子男子で集まればいいのだ。同じナイーブ系女子男子なら、攻撃される危機感もないし、安心できる。知らない奴から攻撃されたら「どんだけ〜!(ikko風)タピオカでも飲んであげぽよ〜(kimio風)」と内輪で愚痴ったらいい。(半分冗談だが。)

それでも自分を認めてくれる、言葉で発さなくても理解しようとしてくれる人がいるというのは力になる。今は支えられてばかりだけど、私もいつか支えられる人になりたいなとナイーブ系女子男子の一人として強く思う。

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