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「手仕事の日本/柳宗悦 著」をヨミヨミ

民藝について調べる自由研究をしている東堂です。

観光地、雑誌、いろんなところで目にする「民藝」という言葉。よく聞くけれど「民藝ってどういうものか?」と聞かれた時に、「工芸」や「手仕事」との区別がつかない。地域の伝統的な手作りの品だけを「民藝」と呼ぶのか、新しい作家さんの手作り品を「民藝」に含めていいのか…謎だらけの「民藝ってなんだろう」という問いの自分なりの答えを探して、日夜奮闘中です。ぬん!

(マガジンはこちら↓)

さてさて、民藝についてwikiさんに聞くと、柳宗悦という先生(俳優の吉田鋼太郎さんに似てる?)が「民藝」という言葉を作り、定義し、民芸運動を起こしたことが書いてありました。

まずは、柳先生の言葉から最初の「民藝」の意味と、その時代背景を探ろうと思います。そこで、読み始めたのが、こちら↓↓

▶︎「〜をヨミヨミ」というタイトルについて
マガジン形式にする時に、「〜読んでみた」だとニコニコ動画っぽいし、「〜読了」だとお堅いし、どうしよっかな〜と悩んだ結果。擬音語っぽくて気軽な感じの「ヨミヨミ」という単語で感想文をシリーズ化しようと思います。だって、民藝の本自体、学術書っぽいのが多くて遠いのに…一般人の感想文までお高く止まっていたら、ゲンナリするじゃないですか…
本から学んだこと&ギモンに思ったことを*数字(さらにギモン)で洗い出していきます。いざ、ギモンの答えを探す旅へ!


この本は、1940年前後の日本の手仕事の現状について、柳先生が日本各地を旅しながら書いた民藝ガイドブック。本の中で何度か「若い人のための本」であることが強調されています。(1889年生まれの柳先生より若い人ってことは、今生きている人みんなへの本ってことになるのかな)西洋化が進んで、日本人の暮らしが変わっていく中で、地域特色のある衣食住が消えていく危機感を、ひしひしと感じます。


*  *  *


本から学んだこと&ギモン
1| 民族的特色を守ることの大切さ
2| 手仕事の強さと美しさ
3| 機械が作るものは手仕事の質に及ばないこと
4| 無名の工人という言葉
5| 手仕事は昔より質が落ち、消えたものもあること
6| まとめ:柳先生がこの本を通して伝えたかったことって何だろう?


1| 民族的特色を守ることの大切さ

(本文抜粋)
凡て(すべて)を機械に任せてしまうと、第一に国民的な特色が乏しくなってきます。機械は世界のものを共通にしてしまう傾きがあります。*1
(本文抜粋)
もし私たちが見た色々のものが、仮に日本から消え去ったとしたら、どんなに日本の姿がみすぼらしいものになるでありましょう。固有のものがなくなて、どこにも特色のない粗悪なものばかりが増えてしまうからであります。私たちはそうなった生活を誇るわけにはゆきません。

*1 世界の都市が、どこも似ているな。つまらないな。と思うようになったのはいつからだろう。海外旅行をしていても、見ていてワクワクするのは、その土地独特の建築や、生活用品、食事。自分とは違う異国の文化に感動するし、ときめきます。

今の東京は、地方都市の景観はどうでしょう。私の地元、茨城でも新築の家はことごとくプレハブのような型押し洋風です。(→でも、耐震を考えると新型の家の方が安全ですよね…)どこに行っても、だいたい似たような景色。

昔ながらの日本家屋に住んでいるのはおじいちゃん、おばあちゃんが主で。きっとこれからどんどん減っていくんだろうなと思います。(→家について、日本家屋は、災害で壊れてもまた作り直せるように”壊れやすく”作ってある。なので西洋のように200年もつ家っていうのは無理がある。時代に合った形に進化してきたのが日本の家だと思うので、生まれ変わっていくことは受け入れなきゃいけないんだろうな。そうすると、伝統的な日本建築は、お国さんで保護してもらうしかないんだろうな…)

生活スタイルについて、北欧の家具屋さんや、緑色の家具屋さんとか、百円ショップで売っている品で家が溢れる生活の、どこに日本文化の誇りを見いだせばいいのだろう。長い歴史が作ってきた文化は、誰が守るんだろう。

柳先生のご心配の通り、日本の伝統文化(昔の暮らし)は個性を失いつつあります。一方で日本は、伝統と未来感が交差する、面白い文化になりました。ネオンサインや、アニメカルチャーなど新しい日本文化も生まれました。また伝統文化をデザインの力で生まれ変わらせる試みもあります。(ISSEI MIYAKE KYOTO KURA展)  島国だからのんびりと、独自の文化を歩んできた日本に、変革の時が訪れていますが、古い時代の生活をずっと続けることは無理なことです。しかし、ご先祖様たちが築いた「日本らしさ」はとっても濃ゆくて。日本建築と同じように、生活に合わせて作り変え、適応させて、何度でも蘇る。(薄まっていくかもしれませんが)その中に日本的なエッセンスを保ち続けるそれが日本文化の特徴の1つなのかもしれないと思いました。日本の作り手は上手に、伝統文化を新時代に合うように作り変え、新しい日本文化を作っている。時代は流れ行くものだから、その中でうまく、自国の文化や民族性を保つバランス感覚が必要なのだろうな…と思いました。



2| 手仕事の強さと美しさ

これは時勢と言えばそれまででありますが日本人は人造藍で便利さを買って、美しさを売ってしまいました。*2(中略)買い手はこれで安く品が変えたとしても、色は本藍ほどに上部ではありませんし使えばきたなく褪(あ)せてゆきます。(中略)本当に仕事を敬い本当の品物を愛するという心がなくなったら、世の中は軽薄なものになってしまうでありましょう。つい半世紀前までは日本の貧乏人までが正藍染の着物を不断着にしていたことをよく顧みたいと思います。

*2 私が生まれた頃には「ユニクロ」ができて「しまむら」ができて、青春時代にはファストファッションが流行りました。服って、色褪せるのが普通。安いTシャツはすぐによれたり、色褪せたりするのが普通。そう思っていましたが、昔は正藍の着物をみんな着ていたということを知り驚きました。そもそも、質の良い物を大切に着ることが普通であったから、普段から良質な染物を身につけられたんだ…シーズンごとに流行があって、次々と買い物をさせる現代の風潮にギモンを抱かせてくれた言葉でした。私たちは、必要十分以上のものを、持ちすぎているのかも。買い物依存症になっているのかも。この生活をずっと続けていくことって、できるのかな。



3| 機械が作るものは手仕事の質に及ばなかったこと

それに残念なことに、機械はとかく利得のために用いられるので、できる品物が粗末になりがち*3 であります。それに人間が機械に使われてしまうためか、働く悦び*4 を奪ってしまいます。こういうことが災いして、機械製品には良いものが少なくなってきました*5。これらの欠点を補うためには、どうしても手仕事が守られねばなりません。

*3 当時の技術では、機械製品の質は手仕事に及ばなかった。でも今は機械の方が正確で、人の手仕事は「味」「温かみ」つまり独特の歪みが良しとされているように感じます。この手仕事が持つの歪みの違和感に、人は生命や自然を見出して、惹かれるのかもしれない。

*4 当時、価値を認められていなかった民芸品を作る人々に「働く悦び」があったのかな…「?」(そもそも、働く悦びってどういうことだろう…?)

*5 ”機械製品には良いものが少なくなってきました”→昔は機械製品にも良いものがあったのかな?(1)と矛盾するような気がする。(機械製品でも良質だったものってなんだろう…?)

(本文抜粋)
そもそも手が機械と異なる点は、それがいつも直接に心と繋がれていることであります。機械には心がありません。これが手仕事に不思議な働きを起こさせる所以(ゆえん)だと思います。手はただ動くのではなく、いつも奥に心が控えていて、これがものを創らせたり、働きに喜びを与えたり、また道徳を守らせたりするものであります。そうしてこれこそは品物に美しい性質を与える原因であると思われます。

自然と共存する風習が色濃い日本の地方だからこそ、民藝の品というのは自然な形(形を無理に装飾的にしない、自然の色を用いる、素朴で実用的な)を得たんだなぁ。としみじみ感じました。

また、すぐに壊れたり、破れたりしない丈夫な品は、誠実な物作りをしていると評価されますが、昔は機械技術がそれほど高くなかったためか、1つ1つ丈夫になるよう手をかけて作られた手工芸品がより良い品だったんですね。今は、繊維や素材が発達したので、天然繊維よりも丈夫なものがたくさんありますし、生地も機械で様々な織り方が可能になりました。手仕事>機械 については、状況が異なっているため、見直してもいいのかもしれません。



4| 無名の工人という言葉

出ました。東堂が一番引っかかっていた言葉。例えば、職人さんの工房にお邪魔して「あなたは作品に名前を書かない民藝の作り手だから、無名の工人何ですね」なんて言えません…しかし、この“無名”のという言葉のイメージが本を読んで少し変わりました。

(本文抜粋)
(作品に名前を入れる美術家と、名前を入れない職人の仕事を対比して)彼ら(職人)にも仕事への誇りがあるのであります。ですが自分の名を誇ろうとするのではなく、正しい品物を作るそのことに、もっと誇りがあるのであります。*6 いわば品物が主で自分は従なのであります。それ故一々(いちいち)名を記そうとは企てません。こういう気持ちこそはもっと尊んで良いことではないでしょうか。(中略)しかし彼らが親切に拵(こしら)えた品物のなかに、彼らがこの世に生きていた意味が宿ります。彼らは品物で勝負をしているのであります。物で残ろうとするので、名で残ろうとするのではありません。

*6 柳先生は「職人の功績」と題して、手仕事に携わる職人さんの地位の向上を訴えています。彼らが「教育も乏しく、識見も持たない人たち」であっても、「この世では、貧しい職人たちも、美の国では高いくらいを得ている場合が決して少なくないでしょう。」と、心からの敬いを書き記しています。無名な工人とは、作品に名を記さない職人の意味であってその人が無名であることを蔑む意味でない。むしろ、柳先生は名を残さず伝統を守る職人の姿勢へ敬意を持っていたことを知りました。(ただ、正直にいうと…勘違いするややこしい名前だ…それに、現代日本はみんな教育を受けていますから、貧しくて学がないなんて定義したら…大炎上だ…)



5| 手仕事は昔より質が落ち、消えたものもあること

(本文抜粋)
近頃の都の人たちが用いる品物が大変粗悪になってきたことであります。押しなべて商品はその格が落ちてきました。人間の智慧はいつも良いことのみには注がれません。ある時はずるい作り方を覚えたり、上べだけをよく見せかけることなどをも考えました。(中略)一般に売っている品物は多くはそのために粗末なものになってきました。今では本当の正しい品物を見つけることの方が、むずかしくさえなってきました。

柳先生は日本各地の手仕事について、ピーコもびっくりの辛口チェックをしています。気になる我が茨城県はというと…

「茨城に来ますと、そう語るべきものを有地ませんが」

お言葉ありがとうございますーーーー!(号泣)見るべきものはほとんどないとしながらも、常陸太田の和紙(現在は廃れてしまった印象があります)や、結城紬について触れてくださっています。気になる笠間焼については…

「稲荷神社でも有名な笠間は、窯場のあるところであります。筑波山を間近に見ます。昔から雑器を焼きましたが、徳利や蓋付壷などに見るべきものがあります。水戸は徳川三家の居城でありましたから、昔は色々の手仕事が栄えたことと思いますが、今は衰えてしまいました。馬乗提灯で鯨の筋を用いた出来の良いのを売りますが、昔の名残であります。常陸では和鞍に刺繍を美しく施す習慣があります。」

(見るべきものがある)ほっ…。それにしても、馬乗提灯も、和鞍の刺繍も初めて聞きました…茨城県民なのに。もしかすると、このように、1940年代の手仕事として栄えていたものも、現代ではなくなっているものが多くあるかもしれません。(薬売りさんの籠とか、東北の防寒着とか…刺し子を見に行きたいな)


*  *  *


6| まとめ:柳先生がこの本で伝えたかったことって何だろう?

(本文抜粋)
どうしたら手仕事を安全に持続させ、また発達させるかということは、国家にとって大きな課題だと言わねばなりません。(中略)各地に見られた手仕事は、いずれも遠く深い伝統の上に立っているのでありますから、一度倒れると再び起き上がることはむずかしいと思われます。(中略)もとより伝統を尊ぶということは、ただ昔を繰り返すということであってはなりません。それでは停滞を来したりなた退歩に陥ったりしてしまいます。伝統は活きたものであって、そこにも創造と発展とがなければなりません。

柳先生は、「伝統は創造と発展するもの」であり、「日本の手仕事という実用美の伝統を、さらに発展させて美しさを磨き続けてほしい。そのために、若い世代に美しいものとは何かを知ってほしい。」と言っているのかもしれません。

*  *  *


終わりに

この本には、「民藝」「工芸」「手仕事」という単語は出てきましたが、それぞれがどういう意味で使われているのか、説明はありませんでした。違う本で解説があるはず…加えて、柳先生が民藝運動を起こした時代と、現代とでは人々の生活が全く違うことがよくわかりました。そうなると、やはり当時の「民藝」と現代の「民藝と言われるもの」の間には違いがあるのかも…?(特に、地域性や無名というところで。)旅は、まだまだ続きます。

東堂

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