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恋愛のコスパって悪いですか?

結構前の話です。恋愛とコストパフォーマンスに関する「クローズアップ現代」の特集を見たことがありました。

その番組で、恋愛の諸々が面倒であって、そうであればいきなり結婚してしまったほうがいいという「いきなり結婚族」の出現が話題となったんですね。

番組のゲストとして登場していたタレントの春日クリスティーンさん。
彼女の発言が大変興味をそそります。

「私の場合、いきなり結婚まではなかなか想像つきにくいですけど、でも気持ちですごく分かるなっていう部分は、ところどころありますね。
(例えば?)
例えば、無駄が嫌なんですよね。
結婚までのプロセスの間に無駄がいっぱいあるなというか。
時間的にも、大人とかでも、何年もつきあって結局駄目だったっていう話を聞くと、やっぱり時間の無駄って嫌だなとか。
あと、お金もかかりますし、恋愛って、と思うとお金の無駄も嫌だなと思いますし、私の場合、感情の無駄というか感情の起伏、いちいち喜んだり、落ち込んだりする、そういう問題が省けるという意味では利点もあるのかなと思いますね。」

番組VTRに出てくる大学生のケンイチさん(仮名)。
彼は次のように語るのです。

「恋人がいなくてもいいぜって、肯定してくれる仲間たちがいることによって安心感を得て、そこで別に冒険をして何か好きな子にアタックしてまでも恋人をつかむという努力が面倒くさいですよね。」

根底にあるのは、恋愛をコストパフォーマンスでみる感覚。
これに対して、「恋愛はコストパフォーマンスじゃないよ」といった青臭いことを言うつもりはありません。

私が思うのは「恋愛ってコストパフォーマンスがそんなに悪いのかな」ということです。むしろ、結婚につながろうが、そうでなかろうが、恋愛をすることのコストパフォーマンスって全然悪くないのではないかと思うのです。

◇◇◇

日常生活、社会生活、そのほとんどの場面で、人との関わり合いは避けられません。

仕事の悩みの多くは人間関係の悩みであると言います。家庭においてもそうだと言えるでしょう。大ベストセラー「嫌われる勇気」では、あらゆる悩みは人間関係の悩みであるといったことまで書いてありました。

では、人間関係の悩みはなぜ生じてくるのでしょうかといえば、多くは、コミュニケーション不全によって生じています。要するに、コミュニケーションがうまくいかない、ということですね。そして、その根本原因は、相手が何を感じているかを理解しないか、あるいは、相手が理解してくれるように伝達しようとしないか、そのいずれかから生じています。

この世界には、まず、客観的な事象が存在します。
それは、人の振る舞いであったり、発言であったり、あるいは物であったり。

とにかく、それに対して人はいろいろ「評価」をするわけですが、実際に存在するのは、評価される前の客観的な事象だけです。そこには「良いも悪いも本来存在しない」のです。

ところが、人は主観的な生き物で、感性は人それぞれです。

特定の人にとってはよく理解できる客観的な事象(人の発言や行動)があったとしても、また別の人にとってはよく理解できなかったりする。あるいは、特定の人にとっては、ある発言や行動が肯定的に評価されても、また別の人にとっては否定的な評価となることもある。

こういう前提で考えた場合に意識しておいたほうがよいのは、「人は皆違う」「自分とは違う」という意識です。これを、大手予備校の講師である出口汪さんは「他者意識」と呼んでいます。

「これまでの日本人に欠如していたのは、「他者」という意識だったんだね。ここでいう「他者」とは、単なる他人というような粗雑な捉え方ではなくて、「根本のところではどうやっても分かり合えない存在」という、ある種の絶望感といってもいいものがその奥底にはある。」

他者とは根底では分かり合えない。

一見すると否定的な言説ですが、私はこの言説、すごくよくわかります。
だって、もともとの遺伝子から、育ってきた環境から、「他者」と「自分」は違うんですから、むしろ、「他者」は原則としては分かり合えない存在だと理解しておいたほうがよい。だからこそ、わかり合おうとする努力が美しいとも言えます。

これに対して、「分かり合える」「これくらい分かってくれるだろう」という感覚で物事を理解する、つまりは自分の感覚が他人にも当然あるだろうといった感覚でいると、「どうしてあの人はわかってくれないんだ」と思ってイライラしたりもします。

この感覚は、自ら言葉を発信する場合に、なるべくわかりやすい言葉を発信するためのコツでもあると思います。相手もわかってくれるだろうという感覚で発言したり文章を書いたりすると、実際には他者にとってはものすごくわかりにくい文章になっていた、ということが少なくありません。話したいことを話す、書きたいことを書くのではなく、「理解してもらえるように」話す、書くのが「他者意識」を重視したコミュニケーションです。

営業でもそうですね。

自分はこの商品がいいと思っていても、お客さんがどう思うかは別問題。お客さんの感性を意識せずにただ自分の感覚を喋っても失敗する。これは営業の基本です。

あるいは、教育。

自分が「わかりやすく伝えられた」と思っても、子供の感覚はまた別かもしれない。そのような意識を持ち続けたほうがよいコンテンツ(内容)を子供に提供することができます。

日々の上司とのやりとり。

上司への報告するときに、上司にわかりにくい、何を言っているのかわからないと言われたことはありませんか。そういう場合には、上司ならどう考えるんだろうかとか、上司がこの報告書をみて理解できるだろうか、という視点でものを考える必要があります。

友人関係でもそうですね。

親しくなってくると「これくらいわかってくれるだろう」という視点で物事を考えがちなのですが(「だって、あなたは私の友達でしょ?」)、でも、やはり他者は他者なのです。

自分の感覚を押し付けてしまって、相手がどう感じるかを考えなかったとき、人間関係が悪化したり、場合によっては決定的に破壊されることさえあります。

血の繋がった親子でさえそうだと思います。
遺伝子のつながりはあるとはいえ、脳の構造は微妙に違っていたりするわけです。
もちろん、経験値の差がもたらす人格の違いも大きい。
あの子ならわかってくれるでしょう」という安直な感覚が、親子の関係に溝を生む、というケース、あるような気がします。

どういう場面においても、他者ならどう感じるか、他者がこの発言を理解できるかという「他者意識」を持つことが成功の鍵だといえるでしょう。

他者意識の豊かな人は、やはり仕事もできますし、プライベートも充実しています。

◇◇◇

それで、その話から恋愛にどう結びついていくか。
結論からいえば、恋愛は、他者意識を鍛える上では相当強力なツールだろうと思うのです。

恋愛は、第一に男女のコミュニケーションの形です。

他者であるというだけで感覚は相当違いますが、性別の違いが加わると、さらに感覚の違いは加速します。

だから、男性からすれば女性の言動が理解できない場合があったり、逆もまた然り、というわけです。そういう違いのある他者とのコミュニケーションは、他者意識を育てる上ではとても大切な機会です。

第二に、恋愛は深いコミュニケーションに繋がります。

最近は親とそこまで深く話さない場合も珍しくないですし(私も話さないですね)、知人はもちろんのこと、友人ともそこまで感情をむき出しにして話す、ということも少ないという人が多いのではないでしょうか。

恋愛については、お互いの感情がかなり開示される深いコミュニケーションに繋がることが多いでしょう。

第三に、恋愛は他者意識を醸成する努力を生みやすい。

好きな人とわかりあいたいと思うのはとても自然な感情です。そうすると、自然と、相手は何を考えているのだろうということをたくさん意識するようになり、それが「他者意識」の醸成につながっていくわけです。
この点について、予備校講師の出口汪さんも次のように指摘します。

「異性に関心を持ち、好きな相手ができれば、相手のことをよく知りたいと思う。これは他者意識が芽生え、成長した証しともいえる。恋する相手は他者なんだからね。そして、自分の気持ちを相手に伝えたい、自分のことを相手にも知ってほしいという気持ちが生まれ、努力する。」

もちろん、他の人間関係でだって「他者意識」は学べます。

けれども、「他者意識」の学習ツールとしては、恋愛ほど効率的で合理的なものはないと感じます。

否応無く「他者意識」を鍛えられる恋愛は、仮に、最終的な場面で破局したり振られたりすることがあったとしても、そのプロセス自体に十分な価値を見出すことができ、少なくとも「コストパフォーマンスが悪い」とは到底言えないだろうと思うのです。 

ブロガー・作家のはあちゅうさんは、働く女子は恋愛すべし、という価値観を持っていて、以前、次のように語っていたことがあります。

「大人になってからの人間関係って浅く済ませた方が楽なことって多いと思うんですよ。例えば、会社や取引先に嫌いな人がいたとしても“仕事だけの付き合い”にして深入りしなければ、ストレスも最低限に抑えられます。それが、良くも悪くも大人になるということ。でも、恋愛だけは別です。恋人になったら、相手の嫌なところも知る必要があるし、浅い人付き合いはできない。その人のバックボーンも含め、他者を受け入れていかないといけない。
それって“浅くて気楽な付き合い”に慣れた大人からすると、とても面倒臭いことです。でも、そうやって深くコミュニケーションを取るからこそ出会える新しい価値観もあるし、人間的な成長もある。恋愛からしか学べないことってすごく多いと思うんですよね。

はあちゅうさんが最近おっしゃっていた言葉を借りるなら、恋愛もまた「人間関係のリハビリ」につながるように思うのです。

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