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飲み会や職場,デート・婚活で楽しく話せなくて苦しんでいる全ての人へ

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【はじめに】
飲み会などの雑談の場。聞き役ばかりで話すのが苦手って人いませんか。
ビジネスシーンでも,お客さんや同僚・上司とフランクな話が苦手って悩み,あったりしますよね。デートや婚活でも気が重いという人もいるかもしれません。

私もそうでした。コミュニケーションが苦手でした。学生の頃は,2年ほど,全く喋れなかったこともあります。飲み会でも輪に入れなくて楽しくないなぁと感じたことは数えきれない,という時期も長く続きました。

このコラムは,「話すこと」(ここでは「発話」と言います。逆に,聴くことを「傾聴」と表現することがあります。)に悩む人の役に立てればと思い執筆しました。
内容は,話すことがもともと苦手だった私は,数年にわたってコミュニケーションについて考えてきました。このコラムは「これを意識して話せるようになった」という方法論や心のあり方を凝縮してまとめた「コミュニケーション能力改善レシピ」です。

いろんなコミュニケーション本や講座を受けて研究した成果です。かなりの自信作です。必ずヒントになることが書かれていると思います。読んで納得した部分があったら,是非実践してみてくださいね。
悩んでいる人に届きますように。

あ,一言だけ謝っておきます。
ごめんなさい,このコラムはめちゃくちゃ長いです。2万字超えてます。だって,伝えたいことたくさんあったから。

コラムは10項目にわたります。とりあえず,騙されたとおもって,最初の1項目だけでも読んでみてください。きっと続きが知りたくなるはずです。

(目次)

1 話したくても話す材料がない,という悩み
2 話すネタ(材料)をどうやって自分の中に蓄積していこうか
3 話すときのマインドは,適当でいい。「完璧主義」は最大の敵。
4 完璧主義を捨てること以外に大切な心のあり方とは?
5 話すことはシンプルに言うと「連想ゲーム」なんだ
6 連想ゲームをもっと得意にする方法
7 情報を自分で整理してみよう。
8 自分の話を楽しく聞いてもらうのって,実は日頃の行いが大切なんだ。
9 あなたは「話す機会」という宝物を独り占めしていないか
10 話すことは相手に対するプレゼント〜相手の関心があることを話せば相手は喜ぶに決まってる〜

では,本文をどうぞー。

ーーーーーーーーーーーーーーー

■1■ 話したくても話す材料がない,という悩み

発話について悩んでいる人は、かなり多いのではないかと、個人的には思っている。

その発話について、様々な発話技術が提供されている。提供されている技術は、特定のテーマに対して、どう話すか、いかに話を膨らませるかというものが中心だ。
その技術自体、あるテーマをどうやって話せばいいかわからない人にとって、一定の有用性があることは間違いないだろう。

しかし、一方で、それだけで発話対策として十分か、と言われれば、それもまた違う気がする。そう思うのはなぜであろうか。

発話と傾聴の決定的な違いは、「材料提供の主体」だ。

傾聴の場合、材料の提供は相手が行う。
傾聴者はその材料を使って、発話者とともにコミュニケーションを楽しむことができる。
しかし、発話となると、自ら材料を提供しなければならない。そうすると、発話固有の悩みとして、次のようなものが出てくるはずだ。

・話す材料がない
・話す材料があった気がするけど現場で思い出せない
・話す材料が複数あるのはわかっているけれども、何を提供すればいいのかがわからない

そして、こういう悩みを抱える人はかなり多いのではないか、というのが実感だ。

どんなに「特定のテーマについて語る」方法を習得しても、現場で「特定のテーマ」をセレクトすることができなければ、その先に待っているのは沈黙だ。あるいは、テーマの選定を誤れば、「空気を読めない奴」との烙印を押されたり、聞き手に苦痛を与えることもある。
逆に、テーマの発見と選定がうまくいけば、多少表現技術が拙かったとしても、会話は続くだろうと思うのである。

——

「材料がない」という悩みへの立ち向かい方を考えてみよう。

(1) 材料の封印

材料がない、というのは、話すことがない、ということだ。
しかし、普通に生きていれば、良いことであれ、悪いことであれ、それなりの刺激が入ってくる。現在話すことがないとしても、それなりに人生を積み重ねてこれば、話すことが全くないということはないように思う。

もし話すことがないとすれば、

「自分が知覚している物事」と
「自分が話してもいいこと」

との間にかなりの壁を作っている可能性が高い。

つまり、無意識に「こんなことを話してもいいのだろうか」「つまらないと思われないだろうか」「相手の気分を害さないか」と思って、自分の内に眠っている材料を封印してしまっているのである。背景には、自己肯定感や自己効力感の低さがあるのではないか、と思う。

私も、一時期、SNSに一切の投稿をしなくなったことがある。
何を書いても自分の書いていることが面白くないのではないかという気になり、文章の拙さが気になった。その後、数年間は一切のSNS投稿をやめた。

このとき、自分の中で起こっているのは、発話のハードルを思いっきりあげてしまっているということである。つまり、発話するからには、完璧に面白くなければならない、際立ってわかりやすくなければならない、オチがなければならない、教養にあふれていなければならない…そういう鎖で自分をしばりつけてしまっているのである。

こういう現象が生じていないか、という点については、いっぺん自分を振り返ってみてもよいような気がする。

「面白い話をしなければならない」と考えると発話のハードルは一気にあがる。
そういうのはやめよう。
私たちは、お笑い芸人ではないのだから。

発話は単純な自己表現であり、お互いが自己表現しあってパーソナリティを触れ合わせることに最大の喜びがある、と考えるべきであろう。
だとすれば、自己表現になり得るものなら、発話はなんだっていいのだ。
気楽に構えればいい。

(2) 材料発見の漢方薬

発話技術は「材料」の問題を解決しない。材料を豊富にするためには、日々、多様な刺激・情報を浴びる必要がある。

面白い話ができる人というのは、面白い発話技術を持っている人なのか。そういう側面もあるかもしれないが、他方で別の側面もある。面白い話ができる人というのは、面白い話題を持っている人なのであり、面白い人生経験を積んできたり、面白い情報を収集している人なのだ。話がいかに拙かろうが、面白い人生を歩んできた人の話は面白いに決まっているのである。

そういう意味では、発話というのは単なる技術ではない。余計なお世話と思われるのを覚悟してあえて言うが、技術を鍛えれば発話はなんとかなる、と思っている人は、今すぐ認識を改めたほうがいい。

日々の積み重ねが発話の深さや面白みにかなりの影響を与えるのであるから、発話力を鍛えるために、これからどういう点を意識して人生を歩んでいけばいいのか、ということを考えることが不可欠だ。
そして、その生き方、情報摂取や人との接し方、経験そのものが、漢方薬のように、発話力の向上に繋がっていくのだ。

さしあたり、様々な物事・人にとりあえず興味を持って接してみること(食わず嫌いしない)、アウトプットを意識して情報に接すること、日々が単調だと感じているならあえて変化をつけること、あたりからはじめてみるといいかもしれない。

そして、大変重要なことだが、ある情報や経験をインプットしたら、それを(公開するか否かはさておき)少しでもアウトプットすることだ。こうすることで、経験や知識は発話の源泉となる。アウトプットしなければ、経験は脳をスルーして忘れてしまう可能性が高まる。そんな勿体ないことはないだろう。

世界は広い。あなたの知らない面白いことはたくさんある。
世界は、発話の材料が詰まった冷蔵庫なのだ。


■2■ 話すネタ(材料)をどうやって自分の中に蓄積していこうか

せっかく収集した話のネタ(材料)を蓄積するときに意識しておきたいのが「私はどう感じたか」ということだ。

発話でよく失敗しがちなパターンは「情報の交換に終始する」というものだ。
例えば、「あのお店、———らしいですよ」とか、「あの芸能人って、———ですよ」という情報の提供。こういった発話パターンは比較的男性に多くみられる。
だが、情報の提供のみをしても、傾聴者に興味がなければ「へぇぇ、そうなんですね」で終わってしまいがちである。

発話を情報の提供と捉えるのではなく、パーソナリティの提供と捉えてみよう。

盛り上がる発話とは、発話者のパーソナリティが感じられるものなのであり、「私はどう感じたか」「私はどう振る舞ったか」という点に、傾聴者は心をくすぐられるものなのだと思う。なぜ恋愛トークが盛り上がるかといえば、その話題が性質上、発話者のパーソナリティと結びつきやすいからではないかと考えられる。

以上を踏まえると、情報を収集したり、経験をする際には、次のことを意識する。

・で、私はどう振る舞ったのか
・で、私はどこがいいと思ったのか
・で、私はどこが悪いと思ったのか
・で、私はどこに感動したのか
・で、私はどこを頑張ったのか
・で、私の感想はなんなのか

情報を摂取したり、経験をしたときには、このような「私視点のメッセージ」とともにインプットをしておくのがおすすめだ。

映画「ララランド」を見た場合には、それが「こういうストーリーだよ」という「情報」よりも、それを踏まえて私がどう思ったか(例えば、「切ない話ではあるけど、どっちに転んでも、結局どっちが幸せかはわからないものだよねぇ」みたいな)のほうが発話を広げるだろう。話の面白い人は、情報に自分視点のメッセージをふんだんに盛り込むことを得意としているような気がする。

インプットをする場合に、全部を覚えようとすると記憶がぼけて、結局何も残らない。だから、ポイントをしぼるとよい。例えば、学校給食で出てきたわかめご飯は塩気がちょうどよくて最強に美味しく、欠席者が出た場合には「おかわりの取り合いになる」ほどの人気で、おかわり競争に勝ったときには「よっしゃー」と言いながら歓喜したものだったという話だとか、給食で出てきた「おから」が大の苦手だったのだが学校の先生が厳しかったので給食の時間が終わっても完食するまで席を立つことを許されず大変だったという話とか。

私は京都が好きだ。何度も旅行に行っている。
しかし、インプットという観点から考えると、旅行の行程を一つ一つ覚えておくなんて必要は全くない。「1日目は朝9時にでかけて、12時に京都について、〇〇というところでランチして、そのあとこうして、夜は〇〇というホテルに泊まって・・・」なんて、そんな精密なインプットは不可能だし、情報量が多すぎるとアウトプットしにくくなって有害でもある。

そうではなく、どこか一つ、情熱的に語れるポイントを探す。

例えば、京都なら嵐山がよかった。
嵐山には渡月橋という有名な観光スポットがあり、大きな川に橋がかかっている様子にものすごく風情がある。そして、その眺めを見ながら食事のできる蕎麦屋があるのだが、川の流れをみながら、蕎麦屋のつまみで日本酒をちびちび飲むのが最高だった…というように。
こういう話をすると、傾聴者も、発話者のパーソナリティを感じやすくなる。そして、発話者のパーソナリティを感じられれば、傾聴者も「どのような話題を選択すると盛り上がるか」を理解しやすいのだ。

インプットはポイントを絞って、「私視点のメッセージ」を絡めておく。しかも、具体的に。発話の材料を蓄積するということは「自分とは何か」を蓄積するということであり、いろんな経験、情報を通じて多角的に自分を知るということなのだと思う。
このことを押さえておこう。

このことには思わぬ副産物もある。私視点のメッセージを探そうと思いながら世界に接してると、ほんの少しだけ人生が楽しくなる。そういう意味でもおすすめである。

■3■ 話すときのマインドは,適当でいい。「完璧主義」は最大の敵。

次に、話す材料があった気がするけれども現場で思い出せないという悩み(以下、「想い起こす」ことの問題という意味で、「想起問題」と呼ぶことにしたい)について考える。

想起問題に関する悩みはかなり多そうである。おそらく、そういう悩みを抱く人は、お題を与えられての発話練習では一定程度話すことができることが多いのではないかと思う。また,SNSでの自己表現はある程度可能であり,場合によってはネットでは饒舌である場合さえあると思われる。

にも関わらず,現場で沈黙してしまうのはなぜであろうか。
それは,お題を与えられての発話練習やSNSと,現場での発話との間に,かなりの状況の差があるからである。
現場の特徴は「即応性」と「変動性」である,と思う。

即応性とは何か。
それは,目の前に具体的な人がいて,相手の質問や反応に応じて,比較的速やかに喋りかえさなければならない状況があるということだ。考える時間がいくらでも与えられるSNSとはこの点が明らかに異なっている。

一般に,コミュニケーションが苦手な人であればあるほど,沈黙を怖がるものだ。しかも,何かを聞かれたら何かを返さなきゃという気持ちで一杯になり,焦る。そして,焦って何かを喋らなきゃと思うのに,何も思い浮かばない。心当たりはないであろうか。

次に,変動性とは何か。
それは,目の前の具体的な人の会話内容に応じて,発話すべき内容が変わってくるということである。つまり,発話の対象が固定化されておらず,絶えず変動する状況がそこにある。飲み会で恋愛ネタで盛り上がっているときにいきなりゲームネタを話すわけにはいかないだろうし,仕事ネタで盛り上がっているときにいきなり食事ネタというのも不自然だ。そして,現場をホットにするネタは絶えず変動している。仕事から恋愛,旅行,映画,本,食事,趣味・・・ホットなネタはどんどん移り変わっていく。そして,移り変わるネタにあわせるように(もちろん完全に重なっていなくてもよいが)発話することになる。
じっくり発話内容を考えられるSNSや,あらかじめ固定したお題を与えられる発話練習と現場でのコミュニケーションとでは,このあたりが異なっている。

現場には「即応性」と「変動性」があるということを意識して対策を練ることが,真に「使える」コミュニケーション能力を身につける上で不可欠ではないか,と私は思う。

——

「即応性」と「変動性」のある現場で最も恐いのは何か。
それは「フリーズ」現象だ。
何を話せばいいのかわからなくなって,頭が固まってしまうこと。

フリーズを起こさなくするためにはある程度の慣れが必要だ。それに加えて,フリーズを起こしやすくするための考え方や意識を捨て去ってしまう必要もある。

で、何を一番捨てるべきか。
それは「完璧主義」だ。
これに関連して、「現場では」5W1Hという枠組を忘れてしまうことを提唱したい。

楽しく発話をするのに完璧主義は有害だ。わかりにくくっても,ぽつぽつとした発話でもいい。思いついたことをそのまま言えばいい。「綺麗な文章のかたち」で話す必要はない。

スマホでアプリたくさん起動したり、パソコンで複数のソフトを使ってると動きがとまるでしょう。人間の脳だってキャパがある。「綺麗な文章の形にしてわかりやすく整理して話さなきゃ」という思考そのものが、脳を重くしている可能性はないだろうか。その結果,脳がフリーズし「うぁぁぁぁぁ!何も思い浮かばん」となっても致し方ないと思うのだ。「現場だからこそ、脳を軽く」というのが私の主張だ。

——

例えば,食事について語るとき。

『二週間前,妻と,築地4丁目にある,フォーシーズンという喫茶店で,ミートソーススパゲッティを食べたら,とても美味しくてびっくりした。どこが美味しかったかというと・・・』
なーんて,丁寧に語り始める必要はない。こういう,『きっちりした』発話イメージで語らないと・・・って思ってると,フリーズを起こしやすいんじゃないかなぁと思うのだよね。

むしろ,発話の流れなんて,もっと適当なもの。

発話者『そういえば,築地にいったんだけど,久々に美味しいもの食べたな』
で,一呼吸おいて
『スパゲッティーなんだけどね。これが意外なほど美味しいわけ』
質問者『へぇ,築地のどこにあるの?』
発話者『フォーシーズンっていう喫茶店なんだ。(あれ,そういえば,このお店,マツコが紹介してたんだった!)そうそう,マツコデラックスがテレビで紹介しててね,それで行ってみたんだよ』 
↓(パターンA)
質問者『パスタってうまいよね』
発話者『お,●●もパスタ好きなんだね。俺はパスタのなかではカルボナーラが大好きなんだよね。クリーム系?●●はなんか好きなのある?』

っていう流れもあれば、 


↓(パターンB)
質問者『え、◯◯って、マツコの番組見るんだ!俺もみてるよー』
発話者『見てるんだー。マツコが美味いもん紹介してるとこみると、ついつい食べたくなるんだよね。そのフォーシーズンっていう喫茶店も、番組みた翌日に行ってみたくらいだからね』 
質問者『何つー行動力・・・』

こんな感じで,言葉が頭に浮かんでくる順に,ぽつぽつと,質問者の力も借りながら話す、それで、傾聴者との二人三脚でどんどん流れが変わっていく、というのが,現場でのコミュニケーション像だと理解しておいたほうがいいと思う。

コミュニケーションは1人だけで頑張る必要はない。
自分がちゃんと「まとまった綺麗な」話をしなきゃといった完璧主義は今日から捨ててしまおう。

■4■ 完璧主義を捨てること以外に大切な心のあり方とは?

ほかにも,こういう考え方をしていると「話しやすい」というものがあるので,4つ紹介しておく。

 1 意識を「今」「ここ」「自分」に向ける

 現場で緊張すると脳が働かなくなり発話力が下がる。家族や気の知れた友人だと話せるのに、初デートで緊張して話せなくなる、ということはいかにもありそうなことだ。

 発話をする場合、「相手にみられている自分」を意識しすぎると緊張により失敗しやすくなる。相手によくみられたいと思って発言していると、脳に過重な負荷がかかる。「相手に悪く思われないかな」「相手によく思われるかな」ということを考え「ながら」発話していると、脳のメモリーがそっちに消費されてしまう。それで頭が働かなくなるのだ。

 重要な考え方は、自分がコントロールできるのは「今」「ここ」にいる「自分」だけだということだ。

 相手の評価なんてコントロールしようがないし、どんな話がウケるかなんてわからない。そういうことを気にせず、「今」「ここ」を単純に楽しもうと考えてみよう。

 2 話は盛っていいし、飛んだっていい

 このアドバイスは真面目な人であればあるほど効果がある。
 発話をするにあたり、話は盛っていい。全くの創作はどうかと思うが、適度に話を盛ってよいという意識は、発話者を楽にする。

 真面目すぎると、発話にあたって「正確性」を重視する。正確でなきゃいけない、という意識が強すぎると、あんまり面白い話はできなくなる。

 3 発話の動機

 次に、なぜ発話をしたいのか(もっと言ったら、『そもそもあなたは発話をしたいのか』)を考えたほうがいいかもしれない。発話の動機がある場合とない場合とで、動機がある場合のほうが発話がスムーズにいくのは当然だと思うから。

 動機がないなら、どうしてないのか、動機がないならどうすればいいのか、というのを考えたほうがいいかもしれない。

 ちなみに、発話の動機として強い効力を発揮するものとして、僕はこの2つを挙げたいと思う。
(1)これを伝えたい、共有したいという強いパッション(情熱)
(2)傾聴者を喜ばせたい、楽しませたいというサービス精神

 これに対して、次のような動機だと、なかなか発話する気が起きなかったりしない?
(3)とりあえず沈黙が嫌だから間を持たせたい
(4)コミュ症だと思われるのが嫌だから何か話したい

(1)の動機を増やすためには、いろんな楽しい経験をしていく必要がある。
(2)の動機を増やすためには、相手に興味をもったり、相手のことを好きになる(恋愛的な意味ではなくても)必要がある。

 発話があんまり進まないという人は、もしかしたら「動機」が欠けている可能性がある。
自分の発話の動機を考えて、どうすれば「動機」が生まれるかを考えよう。
(スキルも大切だけど、動機も大切。両者は車の両輪のようなものだと思う。)

 4 自己受容をどう考えるか

 発話と自己受容はそれなりに強い関係がある。
 自己受容とは、「自分がこのままでいいんだ。」と自分を受け入れる感覚のこと。これが乏しいと、自分が他人にとってつまらない人間のように感じられ、その帰結として、「自分の話すことなんてどうせつまらないだろう」という思考になる。
 これに対して、十分自己受容できている人間は、言葉で自己表現をしやすくなる。
 問題は、自己受容をどうやってすればいいか、ということなんだけど、僕の答えは、「自己受容をいろいろ考えるより、とりあえず自己表現したら?」というものだ。これまで自己受容できなかった人が一人でいろいろ考えたって自己受容なんて簡単にできるもんじゃない。そういう人が自己受容できるようになるためには、他者の力が必要だ。
 だったら、とりあえず発話をして、「あ、僕の話を聞いて楽しんでくれる人もいるんだ」という感覚を少しずつ得ていったほうが建設的じゃないかな、とは思う。

 さて,次の項目からは,いよいよ現場でどういうふうに話したらいいのかを書いてみる。

■5■ 話すことはシンプルに言うと「連想ゲーム」なんだ

即応性と変動性がある現場で、相手の話を聞きながら、話す内容を思い浮かべるとき、何を手がかりとして話す内容を想起するのだろう。

 現場ではカンニングペーパーを見ることもできない。基本的にはスマートフォンを開くこともできない。お題をじっくり考える余裕も与えられていない。
 しかし、そんな三重苦とも言える現場で、実は、目の前に、発話内容を想起する最大のヒントがあることを見落としてはならない。

 最大のヒントは、相手あるいは周囲の状況が発するすべての情報である。

 そのヒントは基本的に言語で語られるが、言語に限られず、視覚、聴覚、嗅覚、触覚を含むあらゆる感覚器官により得られた情報がヒントである。
 それをヒントとして、発話する内容を想起する。

 例えば、相手の住所が築地であったとしよう。築地から、寿司、寿司からあなたの好きな回転寿司屋の話につながるかもしれない。

 あるいは、相手の職業が銀行員だったとしよう。あなたはドラマ「半沢直樹」が大好きだったとする。そうすると、そこからドラマの話を想起することができる。

 さらに、相手が発する情報でなくとも、あなたがいるレストランでクリスマスソングが流れていたとしよう。そうすると、そこからクリスマスネタを想起できるかもしれない。

 もしくは、あなたが友人とレストランでカレーを食べているとしよう。そこから、実は昔、凝ったカレーを作ったことがある、というエピソードを思い出せるかもしれない。

 結論を言う。
 発話の想起とは、目の前に提示されたあらゆる情報(ヒント)をベースにした、極めて自由な「連想ゲーム」に他ならない。そのように、私は理解しているし、そう理解したほうが、発話の悩みが減るのではないかという仮説を立てている。

 「極めて自由」ということを示すために、最近、妻と話した本当にどうでもいい会話展開を示してみよう。

妻「これ、ちょっと手抜きな感じだよね」
私「そうそう、本当、姉歯だよ」
妻「あーーー 懐かしいぃー この話がリアルにわかる同世代感」
私「あの事件、めっちゃ騒ぎになってたものね・・・(以下続く)」

 姉歯さんというのは、耐震偽装問題で騒がれた一級建築士で、はっきり言って、それまで話していた話題とは何の関係もない。しかし、連想ゲームはこれくらい自由で全く問題がないし、このように、連想から連想へと、連想が連鎖することで、無限に会話を続けることができるのである。

 以上を踏まえて、発話想起の必殺技を考える。
 名付けて、

「あ、そういえば、———で思い出したんだけど」理論である。

 このフォーマットを使えば、連想ゲームから、わりと自然に発話を展開できる。
 具体例をいくつかあげよう。

(ケース1 会いたくて) 

女性「最近、由美子、忙しくて彼氏にも会えてないらしいよ」
男性「そっか、ゆみちゃん、忙しいんだね。彼氏も寂しいだろうな」
女性「彼のほうは、会いたくて仕方ないみたいなんだけどね」
男性「あ、そういえば、会いたくてで思い出したんだけど、先日、西野カナのコンサートに行ってきたよ」
(参考 西野カナのヒット曲「会いたくて会いたくて」
 ちなみに、フレーズは「会いたくて会いたくて震える」だから、「震える」から、最近寒くなったよねという季節の話題につなげることもできる)

(ケース2 方言から旅)

悪友「俺、わりと方言フェチでさ。方言でしゃべる女の子って可愛いなって思うんだよね」
自分「そうなんだ。わかる。俺、高知弁好き。」
悪友「高知ね。あー、高知もいいね。「好きやき」とか、いいよね。」
自分「お前はどこがいいん?」
悪友「まー、ど定番だけど、京都はいいな。方言のおっとり感が最強やな。京都弁の子がいたら、それだけで惚れるかもしれん。」
自分「それは話盛ってるでしょ。あ、そういえば京都弁で思い出したけど、俺、京都が好きで、何回も旅行に行っているんだよ」

(ケース3 リバウンド)

女性「最近ダイエット中だから、ケーキは控えるようにしてるんだ」
男性「そうなんだ。あんまりダイエットする必要があるようには見えないけどね」
女性「ありがとう、でもリバウンドも怖いしね」
男性「そういえば、リバウンドで思い出したけど、この前の休みに急に「スラムダンク」が読みたくなって、全巻読み直したら、やっぱり面白かったよ」
(参考 「スラムダンク」といえば「リバウンド王桜木」である)

 ということで、現場では連想ゲーム的に発話内容の想起を楽しんでみてはどうだろう、というのが今回の話である。

■6■ 連想ゲームをもっと得意にする方法

 もっとも、この方法については、次のような悩みを持つ人がいるかもしれない。
 『連想と言ったって、いろんな情報から連想ができないのが問題なんだよ』

 まず、チェックしていただきたいのは、果たして本当にそうなのか?ということである。人間の頭は人から聞いた話について、自動的にいろいろ連想するように出来上がっている。「そういえば…」としていろんな記憶が思い浮かぶことが本当にないだろうか。実は「ある」のに、『そういう話は不適切だ』とか『この話はとくに面白くない』といった心のブレーキをかけてしまっている可能性はないだろうか。

 それでもやはり頭の中に何も浮かんでこない、という場合には、これから述べる方法で問題が解決する可能性がかなりある。それは、雑談でよく出る会話内容について、自分の記憶を『長期記憶』へと転送することだ。
 このことを、詳しく解説してみたい。

 9×9

 皆さんは上の数式をみて、意識せずとも自然に「81」という数字が思い浮かぶだろう。それは、繰り返し答えを覚えて脳に「9×9」と「81」の関連性が染み付いているからに他ならない。

 人は、ある物事を認知し、記憶する。最初の記憶は「短期記憶」であり、覚えてもすぐに忘れてしまう。だが、「繰り返し思い出す」という作業を続けていると、その記憶が「長期記憶」へと転送される。しかし、その長期記憶も長らく思い出していないと、脳の奥底に眠ってしまって、なかなか思い出せなくなる。

 人生20年、30年と生きてきて、話すネタが「ない」ということは考えられない。話すネタが「ない」のではなく、話すネタを適時に「思い出せない」ことこそが問題だというべきである。そして、その問題は、様々なネタを、アウトプットしやすい形で「記憶」していないからだと考えられるのだ。

 ならば、有効な解決策は、次の方法だと考えられる。

1 様々なネタを
2 アプトプットしやすいように整理し
3 その整理を何度も見直して長期記憶へと転送し
4 瞬時に思い出せるようにしておく

 前回、発話は連想ゲームだと言った。この連想ゲームに対応するためには、ある程度の連想パターンを頭のなかに叩き込むのが一番有効である。

例えば

「食事」→「なか卯の親子丼が大好き」
「芸能人」→「広末涼子に会ったことがある」
「カラオケ」→「私は歌が下手だ」
「カレー」→「CoCo壱番屋」→「フライドチキンとチーズ」

といった具合だ。

 そんな記憶は面倒だと思うだろうか。だがしかし、計算問題をスムーズに解くためには九九を暗記しなければならなかったのと同様に、スムーズな発話にある程度の暗記(記憶を繰り返し引き出しておくこと)は必要ではなかろうか。

 何より、定型的な話題パターンについてある程度の記憶をしておく、というアプローチは、「発話はセンスだ」と思ってセンスのないことに苦しむよりも、道が開けているとは思わないだろうか。

 話題が思い浮かばない。話すことが出てこない。
 そのことに「悩む」くらいなら、騙されたと思って、「話題の長期記憶マップ」を自分なりにマスターし、すらすら話題が出てくるように練習してみよう。マップを使って、10回でも20回でも繰り返し見返して、「9×9」をみて「81」が自動的に思い浮かぶように、「お寿司」というキーワードから「あなたが感動したお寿司屋さんのエピソード」が自動的に思い浮かぶようにする。
 そのほうが、よほど建設的である。

 よくありそうな話が、ネタ帳を作ったら、それで満足してしまうというもの。しかし、ネタ帳は作ってからのほうが大切だ。現場でネタ帳を見ることはできないのだから、反射的に話題が思い浮かぶように『繰り返し頭に叩き込む』こと。それこそが肝要なのだ。

 もう一つ、記憶の整理をする必要性について述べよう。
 記憶の整理をする、ということは「自分を深く知る」「自分史を知る」ということだ。
 流暢に、なおかつ楽しそうに話す人は、明示的かどうかはさておき、「自分は~だ」というメッセージをたくさん発している。それだけ自分を知っているから、話すことがたくさんあるのだ。
 発話する内容が思い浮かばないという人は、自分をよく知らないか、あるいは自分がどんな人間なのかということを忘れてしまっている。雑談でよく出るテーマについて記憶を整理しはじめると、「自分ってこういう経験をしていたのか」とか「自分ってこんな感性の持ち主だったのか」という新鮮な体験をするだろう。そのような体験をするのは、今からでも遅くはない。

 まとめると、ありったけの記憶を整理し、自分のことをよく知り、その記憶を反射的に外に出せるように繰り返し思い出し続ける。
 このトレーニングで、少なくとも『話す内容が思いつかない』という悩みが解消する可能性はかなり高いのではないかと考えている。

■7■ 情報を自分で整理してみよう。

 情報を整理しておく方法について,もっと具体的にまとめておく。

 情報のネットワーク。
 これが記憶を整理する上でのキーワードだと思う。
 具体的に言えば,ある事象(連想のきっかけ)から,発話内容を連想しやすい形で記憶を整理し,これを繰り返しみて思い出すのが最も有用ではないかと考えられる。
 
 記憶を掘り起こすにあたり私が有用だと考えているのが,以下のようなメモである。

 これは,以前流行ったことがある「マインドマップ」という手法で,あるキーワードから「思いつくままに」別のキーワードを連想してつなげていくというやり方だ。
 
 やり方としては,話題の種類を示す単語を真ん中に設置する。ここでは「食事」を書いた。そして,食事から連想されるものを書いていく。私は「銀座」や「築地」でよく食事をしていた。「築地」と言えば「寿司」が美味しく,好きな「寿司」屋は「太田」(よく考えたら「藤田」だった)と「ととや」だ。「ととや」の「たまご」と「マグロヅケ」は神品と言えるほど美味しくてすごく気に入っていたのに「閉店」してしまい残念だ。「寿司」といえば「将太の寿司」という「マンガ」を繰り返し読んでいる。「マンガ」で昔はまったのは「Death Note」だ。「コールセンター」の「バイト」ではこのマンガの登場人物になりきるという妄想をしながら楽しんでいた。
 さて「築地」といえば「鍋の材料」を買って「みそ鍋」をしたことがあるがとても美味しかった。鍋といえば「ごま豆乳」鍋と「キムチ」鍋をよく食べるが,「すっぽん」も好きだ。「すっぽん」は「大阪」の「友人」のお店から取り寄せる。先日も「大阪」の「友人」のお店に立ち寄り,そのついでに「京都」にいってきた。
 「鍋」で思い出したが「自宅」でのご飯も好きだ。手作りの「ハヤシライス」がすごく美味しかったが「カレー」も美味しい。「カレー」は昔から好きで,学生時代から「CoCo壱番屋」にはお世話になっている。トッピングで好きなのは「チーズ」と「唐揚げ」だ。

 以上のメモをみると,発話が「連想」ゲームだということがより実感しやすくなるだろう。食事から「京都」へも「バイト」へも飛べるのだ。そして,このように自由に飛べるようにするためには,自由に飛ぶための記憶のネットワークを頭の中に構築しておくしかない。マインドマップの手法を用いた記憶の整理は,そのための手段としてはとても有益なはずだ。

 今回の具体例ではとりあえず「食事」からはじめたが,テーマは何でもいい。好きなものからはじめてみればいい。テーマの選定に困るという方は,次のリストを参照しよう。

  ・住所
  ・旅行
  ・出身
  ・四季の話題
  ・趣味
  ・休日の過ごし方
  ・食事
  ・音楽
  ・スポーツ
  ・映画
  ・テレビ
  ・本
  ・人物(好きな人,尊敬する人など)
  ・昔話
  ・仕事
  ・夢
  ・恋愛
  ・結婚
  ・家族(親,兄弟など)

 話題がない,という人は,とりあえずこれらのテーマについてマインドマップを作ってみてはどうだろうか。マインドマップの作成は記憶を喚起する(自分のなかに眠っている記憶を掘り起こす)効果があるから,「自分の中にこんな記憶が眠っていたのか」ということに驚くこともあるはずだ。もし,これらの作業により,話す内容がある程度整理できたら,「自分にも話すことがある」と認識でき,心理的にも自信がつくかもしれない。

 とりあえず,「広く,浅く」作ってみて欲しい。
 そして,広く浅く作っていると,気付くことがあるはずだ。 
 ネットワークで出てくるキーワードのうち,「このキーワード」はもっと広げたい,もっと語れる,いろいろ枝分かれしたキーワードが出てくる,というものがあることに。一方で,このキーワードから枝分かれするものはあんまりないな,ということにも気付くかもしれない。
 
 それでいい。それが個性であり,人によって,「枝分かれ」の多くなるポイントは違って当然なのだ。そして,枝分かれの多くなるポイントは,あなたが「語りたいポイント」に他ならない。
 例えば,私なら「将太の寿司」からいくらでも枝分かれすることができるし(何しろ,これを題材にいくつか日記を書いているくらい),マンガからも枝分かれがたくさんできる。
 そういう「枝分かれ」が多そうなポイントとなるキーワードがあったら,今度は,そのキーワードを真ん中においてマインドマップを作ってみよう。

 
 「将太の寿司」は「少年」「将太」の「成長」物語である。「恋は苦手」だが寿司には情熱的な少年だ。将太の実家は「北海道」にある「ともえ寿司」というお店だが「ささ寿司」という同業と対立関係にあり「ささ寿司」の息子「佐々木」とも不仲である。「将太」は「東京の名店」「鳳寿司」に修行に出るが,そのお店で会った「5年先の先輩」と「対立」するが,最終的には「ライバル」となり,互いを「認め合う」仲となる。上京前から不仲であった「佐々木」とも最終話では「和解」するのだが,そのときに「佐々木」は将太が作った寿司を食べて「う,うぅ,うまかったよ」とむせび泣く。
 この物語には「仕事観」が示されていて,それが好きだ。好きな話は「手巻き寿司」を「600本」作る過程で「一本」だけ材料が足りなくて手を抜いてしまった弟子に親方が怒るシーンだ。たった「一本」であってもお客さんにとっては「それがすべて」なのである。その考え方は,私の仕事にもつながるところがあり,肝に銘じるようにしている。

 前述した一般的な話題について,この方法で記憶を整理し,さらに「枝分かれ」の多くなるポイントを見つけたら,それを真ん中において新たなマインドマップを作っていくことで,マインドマップの枚数はかなり多くなるんじゃないかな。そうですね,100枚くらいになっても不思議じゃない。作れば作るほど,自信につながると思うし,現場で「思い出せる」可能性があがっていくんじゃないかと思う。
 大切なこと。
 作ったら,それを寝る前やお風呂で眺めるという作業を1日おきにでもしてみよう。せっかく整理した情報を頭にインプットしなおす。これが大切。これを繰り返したら,きっと,「話題が浮かばなくて困る」という状態からは抜け出しているはずである,と思う。

■8■ 自分の話を楽しく聞いてもらうのって,実は日頃の行いが大切なんだ。

ここから先は応用編だ。発話で人を楽しませるにはどうすればいいか、ということを考えていく。

 ——
 
 話をしても相手の反応が薄い。
 一度飲んだら2度と誘われなくなった。
 自分の話を聞いている相手の表情が明らかに楽しそうでない。
 
 それって,話が面白くないことが原因だとは限らない。
 実は,あなたが相手にそれほど好かれていない,ということが原因だったりするのだ。
 
 発話の面白さ、興味深さは、聴き手にとって、「誰が」話しているかにかなり左右される。聴き手が男性の場合を考えてみよう。好意を持っている女性の学生時代の話は興味を持って何時間でも聞くことができるだろう。
 あるいは聴き手が女性の場合を考えてみよう。「こいつウザい」と思っている男性や会社上司の学生時代の話を聞きたいと思うだろうか。合コンで意中の男性に遭遇したというのに,それ以外の(およそタイプではない)男性が自分の過去の話をし出した。上の空にならないだろうか。もし,座席を移動して意中の男性があなたに対して過去の話をし出したら,あなた(傾聴者)にとっての発話内容の興味は大きくなっているはずだ。

 人間は感情的な生き物だ。当然、好き嫌いがある。

 私は、親しい、自分が好意を持っている友人の話なら、なんでも楽しく聞ける。妻の話もそうだ。何話されたって楽しい!要するに、発話者のことが好きだから、発話者の発する言葉も好きになるのだ。
 あるいは、飲み会を一生懸命頑張って開催した幹事さんの話は、やっぱり聞いてあげたいなと好意的に考える。そんなことはないだろうか?あるいは、飲み会でこれまであんまり話したことがない人でも、笑顔で「○○さんと一回話してみたいなと思ってたんです」と言われたら、その人の話も聞いてみようと思わないだろうか?
 反対に、「こいつ、いけ好かないやつだな」と思ったり「この人、自分のこと好きじゃないんだろうな」と思えば、聴き手はその人の話を聞きたくなくなる。その人がいかに自分では流暢に面白く話していると思っていても、聴き手は内心「あー、早く話終わんねぇかな」と思っていたりする。
 つまり,発話によって傾聴者が楽しめるかどうかは,傾聴者にとって『誰が』話しているかによりかなり左右される側面があり,傾聴者が発話者を好意的に(必ずしも恋愛的意味合いではない)みていれば発話の(傾聴者にとっての)クオリティはあがり,逆に,傾聴者が発話者に嫌悪感を抱いていたり発話者に無関心であれば発話の(傾聴者にとっての)クオリティは下がる。
 
<原則的な対策>

 以上を踏まえて対策を述べる。

 まず,原則論を述べる。話を面白く(楽しそうに)聞いて欲しいなら、相手に好かれる,あるいは少なくとも嫌われないようにするのが原則である。
「好意の返報性」という原理(好意を示したら好意が返る)を意識して、相手(聴き手)を好きになってみる。少なくとも聴き手に関心を持つ。承認されたいなら相手を承認する。

 あなたが好意的にみていない人の話をあなたが楽しく聞くことは難しいだろう。しかし,逆もまた然りである。あなたが好意的にみていない人(あなたが無関心,あるいは好意とは真逆の方向の感情を抱いている人)は,意識的,あるいは無意識的にその感情を読み取っている。その人があなたの話を真に楽しく聞く可能性はかなり少なくなるのだ。
 また,最低限の礼節や愛想の良さを持ち、相手が話しているときには相手の話をちゃんと聞いてあげる。相手に気遣ってあげる。要するに「人に与える」ということである。与えないで,自分の話を聞いてもらうことや、自分を承認・賞賛してもらうことを求め続けても,それにより人が真にあなたの話を楽しんで聞く可能性は相対的にはかなり小さくなると言わざるを得ない。逆に、相手に気遣いを続けている人は、いつの間にか周囲から好かれ、「この人の話を聞いてみたい」と思われるようになっていく。

 ネットスラングで「クレクレ君」というのがある。「教えて」「ちょうだい」「やって」と人に求めてばかりの人のことである。コミュニケーション分野における「クレクレ君」は,自分の話を聞いて,承認さえしてもらえればいい,人にかまって欲しい,受け入れて欲しいという「とにかく人に求める」心理状態であり,自分の話を聞いてもらうのは好きだが,相手の話にはあまり関心を示さず,「へぇー」という反応しか示さない。コミュニケーションにおける「クレクレ君」にならないように,十分注意する必要があると思う。

<例外>

 もっとも,これは原則論としての心構えであって,傾聴者全員に好かれたり,あるいは嫌われない,ということなど不可能である,ということも意識しておかなければならない。人間の感情は複雑であり,しかも必ずしも合理的なものではない(それが感情だ)から,あなたが(傾聴者に加害や嫌悪感を示していなくても)思いもよらない方向から「いけ好かないな」と思われる一般的な可能性はある。人は理不尽に嫌われたり妬まれたりするものだ。
そういう場合に,「好かれなきゃ」と思うと苦しくなるだろう。人間,合う,合わないはある。あなたが好意を示せない,あるいは嫌いなタイプの人間というのは一定数いるだろうし,逆に,あなたに好意を示せない,あるいは嫌いなタイプの人間というのも一定数いて,それは仕方のないことである。
 そういう場合には,その人に対して楽しく発話するのをあきらめるというのも一つの手だ。あなたが嫌いな,あるいはあなたを嫌いな人とコミュニケーションをとる努力をするよりは,あなたが好きな人に好意を示して「この人とコミュニケーションをとってみたいな」と思ってもらうように努力したり,あるいは,あなたのことがもともと好きな人とコミュニケーションをとる時間を楽しむほうが,有意義な時間の考え方だという考え方も十分ありだと思う。
 もっとも,この考えは「例外」であって,「例外」が原則のように機能し,「好きな人とだけ話してればいいんだ」という考えで凝り固まると,コミュニケーション能力は徐々に落ちていくと思うし,新たな人間関係を築くことが難しくなる。さらに、自分の視野も狭くなる可能性が高い。
 原則としては広く好意を示していく,ということを意識した上で,「こいつ,どうしても合わねぇな」と思った場合のための「例外」としての逃げ道を用意しておく,というのがいい落ち着きどころだと思う。逃げ道は用意しておくけど逃げ道に頼りすぎない、といったバランス感覚が重要なのだ。

 人が10人いれば,何をやっても2人には好かれ,1人か2人には嫌われる,という話があるらしい。
   好かれる:2人
   中間:6~7人
   嫌われる:1人~2人
 この「1人か2人には嫌われる」というのは仕方のないことだから,あきらめる。一方で,あなたのことが好きになる2人とのコミュニケーションはもちろん楽しむようにし,さらに中間の7人(あるいは6人)には,適度に与え,新しい人間関係を築いていけるようにしてみよう。

■9■ あなたは「話す機会」という宝物を独り占めしていないか

 発話者は「どの程度」話すかということも大切だ。
 つまり、話してばかりで相手の話を聞かないと、相手はフラストレーションがたまる。個性のあるところだが、人はわりと「自分の話を聞いてもらいたい」生き物だからだ。
 発話と傾聴のバランスについては、私は次のようなイメージで考えている。

・ 相手があんまり喋らない人の場合
  自分の発話割合:7割
・ 自分と相手が同じほどしゃべる場合
  自分の発話割合:5割
・ 相手がかなりしゃべる人の場合
  自分の発話割合:2~3割

 相手の発話割合が極端に少なくなってくると(つまり自分ばかり喋っている場合には)、相手が本当に楽しく自分の話を聞けているかに気を配るとともに、相手の発話を質問によって引き出す(ただし、相手があまり喋らないタイプである場合には、相手の発話割合は少なくてもよい)といった工夫が必要となる。
 要は、飲み会などであなたが話しているときには、「相手も話したいのではないか」ということに気を配る優しさが大切なのだと思う。

 また、どのタイミングで話すかという点については、相手の話がひと段落したタイミングで、ということになる。
 そんなこと当たり前だと思われるかもしれないが、世の中にはわりと、相手の話が途中であるにもかかわらずこれを遮って話し始める「話泥棒」という現象が散見される。話泥棒が「被害者」に与える印象は相当に悪い場合もある。そうやって話を奪って話し始めた場合、「被害者」はあなたの話を楽しんで聞くことはないだろう。
 話をはじめるタイミングというのも立派な発話技術の一つと心得るべきだと思う。

 「話す機会」を奪ったり,「話す機会」という宝物を独り占めしてはならない。

■10■ 話すことは相手に対するプレゼント〜相手の関心があることを話せば相手は喜ぶに決まってる〜


 発話の内容が思い浮かばないという悩みについては「連想ゲーム」発話想起法、さらに「マインドマップ」整理法を紹介した。慣れないうちは浮かんだ会話を話すことで精一杯になることもあるかもしれない。
 でも、少し慣れてきたら『誰に何を』話すのが相手に楽しんでもらえるか、ということも頭の片隅においてみてほしい。

 
 人間は興味関心のある内容には自然と耳を傾けたくなる。

 本屋さんにいくときのことを考えてみよう。無数の本が並べられているなかで、あなたが手にとろうとする本は、あなたがもともと興味・関心があるテーマの本であることが多いはずだ。本を読み始めても、興味関心があり「これ知りたかった」とか「そうそう、そうだよね」と思うところは内容が頭に入ってくる度合いが大きいけど、そうじゃないところ、特に全く関心を持てない部分はほとんど読み飛ばしてしまったりする。

 対面での「ダイレクトコミュニケーション」でも似たような現象が起こる。
 相手の話している内容に興味があれば、話し方が拙かろうが楽しんで聞けるはずだ。逆に、相手の話している内容に興味が持てなければ、話し方が流暢であっても「この話、そろそろ終わらないかな」と聴き手が考える確率はかなり高くなる。

 人間は興味関心のある内容には自然と耳を傾けたくなる。
 そして、人の興味関心の方向性は、人それぞれだ。
 『誰に何を』話すかを意識すべき理由は、言ってしまえばそのようなものだ。

 傾聴では「共感」が大切だとよく言われる。それはそのとおりだと思う。
 しかし、「共感」について、発話の側面から真実を言ってしまうと,人は「共感できる」話には自然と共感するし、そうでない話には共感しない。
 だから、共感してもらいたければ、その人(受け手)が共感できる話を選択する、という工夫が大切になる。

 「発話」と「独り言」は違う。
 「発話」はダイレクトコミュニケーションの手段であって、相手がいるからこそ成立する。しゃべるときは、そのことをなるべく念頭に置いておきたい。

 
 コミュニケーションにおける「アラカルト」注文はどうやって行うか


 相手が関心のないテーマを長々と語り続けても、相手を苦痛にさせてしまう可能性がある。レストランでいえば、自分が「コース料理」を決めていても、コース料理の中身が相手の好きでないものばかりであれば話は盛り上がらない。
 これに対して、豊富なメニューからお客さんが一品一品「メニュー表」から選ぶ「アラカルト」の方式なら、少なくともお客さんに「好きでないもの」が提供される確率は限りなく低い。

 コミュニケーションについても発話者のほうで「よし、今日はこれとこれとこれを話そう」と決め打つのではなくって、相手をみて(相手の注文を踏まえて)話す内容をセレクトしたほうが、相手が楽しめる可能性が高まる。

 とはいっても、コミュニケーションにおいて「アラカルト」で注文を受けるってどうやってやるの?と思われるかもしれない。確かに、「注文されれば発話します。ご注文をどうぞ」なんて言うわけにはいかない。ちょっと変わった人だと思われてしまう。

 でも、コミュニケーションで相手の「注文」を見抜く技法は、はっきりと存在している。

 
相手の「注文」を見抜く4つの技法

 1 相手の質問

 まずは、相手の質問だ。相手が質問してきた内容は相手が聞きたがっていることである可能性が高い。相手が直接的に発話内容について「注文」しているようなものだから、こちらとしては、それを提供すればよい。

 2 自分で質問

 相手があまり質問をしてこない場合はどうするか。
 この場合は、こちらから質問してしまおう。
 そうすることで、相手の興味を探ることができる。
 質問の仕方は、相手の興味や関心を探りやすいものにする。

「今、ハマっていることって何?」
「休みの日は何をしているの?」

 これは「オープンクエスチョン」というやつで、相手の興味をピンポイントで語ってもらうことができる。それで相手の興味がわかってきたら、相手の興味と自分の興味が重なる部分を話題にすればいい。例えば、相手が料理にはまっていたら、「学生時代は自炊していたこともあったんだよ」という話をはじめてみたりする。

 逆方向の質問もある。
 逆方向というのは「この話をしてみたいな」というときに、それに限定した質問をしてみるということだ。つまり、話したい話題が先にあって、それを踏まえて質問を考えるというもの。例えば、音楽の話をしたければ、先に「○○って音楽とか聞いたりしないの?」と聞いてみて、相手の関心を引き出してみる。外れていれば、他の(自分の興味の持てる)話題に関連した質問をしてみればいい。それで、興味を持っていれば「実は僕も興味があって・・」と話をはじめることになる。

 3 ホットリーディング

 SNS時代だからこそできる手法はホットリーディング。平たくいえば「事前調査」である。
 FacebookでもTwitterでもインスタグラムでも、会う人がわかっていて、その人との話を盛り上げたければ、事前にその人の興味・関心をSNSでチェックするのが有効だ。その上で、(事前にチェックしていることは特に触れずに)その人の関心事に関連する内容を話せば、相手は興味を持ってくれる可能性が高い。

 4 傾聴者が話題に出したこと

 傾聴者が話題に出したこと(自ら話した話題)は傾聴者が関心を持っている可能性が高い。だとすれば、傾聴者の話を受けて、その話と関連性の強い話をすれば、傾聴者から興味を持ってもらえる可能性は高くなる。
 以前紹介した連想ゲーム発話法も活用することができる。連想した話題のうち、傾聴者の話と関連性の強いものをセレクトすれば、自然と傾聴者が興味を持てる話題を選べている可能性が高い。

 
聞きたいのは、「あれがなにか」ではなく「あなたはどうか」ということ

 
 話題の内容を問わず心がけたほうがいいことを指摘しておきたい。
 それは、どんなテーマであっても、情報交換ではなく人物エピソードやその人の感性を語ることを添えるのが望ましい、ということだ。

 何かを語るとき「情報」メインで語る人がいる。

・ 今日の天気は午後から雨のようだ
・ ニュースでこういうことを言っていた
・ 銀座のこういうお店があり、そこのこのメニューが人気のようだ

 その情報は、あるいはとても有益かもしれない。
 でも一方で、その情報は、いまやネットでも検索できたりする。

 では、コミュニケーションで、つまり発話で提供が求められているものは何か。

 思うに、初対面、あるいはそこから友達に至るまでの過程の段階(まだ知人レベル)のとき、あなたの発話の相手は、「この人どういう人なんだろう」ということを実は気にしていたりする。意識していなくても、無意識に、発話者の人物像が見えない段階特有の不安感を覚えていたりする。そこから、「情報」ではなくこれに伴うパーソナリティや感性が徐々に明らかになってくることで、傾聴者は「この人はこういう人だ」という理解を深め、それが安心感につながる。最終的には深い人間関係につながっていったりする。

 他方、初対面の状況から脱却して友達・恋人になった段階ではどうかといえば、友達や恋人とは情報の交換もしたいと思うだろうが、むしろ、仲良くなったからこそ,もっとその人のパーソナリティや感性を知りたい、と思う傾聴者が多いのではないだろうか。
 つまり、人間関係の段階を問わず、発話については、「情報メイン」にならないように心がけ、自分のパーソナリティや感性を語ること(自己開示)をとりいれるようにしたほうがよいと思う。今日から,次のようなことを雑談に取り入れてみよう。

・ わたしはこれが好きだ
・ わたしはこう思った
・ わたしはこれが苦手だ

 
感性やパーソナリティに恥ずかしいなんてものはない

 最後に,一番言いたいことを。

 この記事を読んだみなさんのなかには、もしかしたら、あまり感性やパーソナリティを発話に組み込んでいない人もいるかもしれない。感性やパーソナリティをさらけ出すのを恥ずかしいと思ったり、人にどう思われるかが怖いと思ったりする気持ちはよくわかる。
 でも、感性やパーソナリティに恥ずかしいなんてものはない、ということは自信を持ってお伝えしておきたいと思う。感性やパーソナリティに優劣があったり、ある特定のパーソナリティや感性が客観的に好ましい、なんてことがあれば、みんな同じ感性やパーソナリティを持ったほうがいいことになってしまうけど、そんな世界は面白いか?
 感性やパーソナリティが人それぞれ違うからこそ面白いのだし、それらが「ダイレクトコミュニケーション」によって触れ合うことで、時に反発しあったり、時に共感しあったりしながら、素敵な化学反応が生まれていくのだと思う。

 この世の中にはいろんな書物があるけれど、わたしに言わせれば、一人一人の人間の人生、それに伴う感性・人生を貫くパーソナリティそれ自体が、壮大で面白くて興味深い、唯一無二の読み物だと思う。
 もちろん、これを読んでくださっているあなたにも等しくそういう価値がある。
 自分では「自分という書物」の面白さがわかりにくい。でも,それが他の人にとってはとてつもなく興味深かったりする。そういうものだ。

 だから、ぜひ、これから人と接するにあたっては、「自分という本にはこういう面白いところがあるんだよ」という部分を少しずつ出していくといいんじゃないかなと思う。このコラムを,そのようなコミュニケーションをするためのスタートラインにしてもらえれば嬉しい。

 以上,ここまで読んでいただきありがとうございました!!気に入ったら,フォローしてくださいね(^^)

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