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自分の意見を言う勇気

インフルエンサーと呼ばれる方々は率直に自分の意見を言っています。
その意見について,多くの方が共感するものであったり,皆さんが言いたかったことを代弁するものであるときに,バズが起きるものだと思います。

ああやって意見をはっきり言える大人は格好いいですよね。
でも,意見を言うことを苦手としている人は多いのではないかと思っています。私も意見を言うことは苦手でしたから。

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時は1980年代。
私は,小学生の頃は意見を全く言わない子どもでした。小学校3,4年生の頃は殆ど誰とも喋らなかったんです。場面かん黙という症状がありまして,学校では文字通り言葉を一切発することができませんでした。

中学生の頃は言葉を発することはできましたが,周囲に流されてばかりで,自分の意見を言うことも亡かったように思います。

さすがに今は仕事柄(弁護士),自分の意見を言うようにはなっています。
でも,幼少期に意見を言えない子どもでしたから,意見を言うことに「勇気がいる」と感じる人の気持ちはわかります。

自分の意見を言うというのは,2人きりの間でも大人数の前でも勇気がいることです。勇気を出すのにはエネルギーが必要ですから,意見を言わないほうが楽なんです。

人は楽なほうに流されるものですから,意識していないと意見を言わない自分がどんどん作られていくのだと思います。

◇◇◇

自分の意見を言わなければ争いは生じません。世界は平穏で,ふんわりしていて,一見安定しているようにみえます。

でも,例えば,3年間にわたって自慢の唐揚げを「美味しい」といって食べていたあなたの彼(夫)が実は外で「俺,唐揚げ嫌いなんだよね」と漏らしていたらどうでしょうか。それはあなた(妻)の立場からすれば相当嫌ですよね。

だったら最初から夫のほうから「ごめん,唐揚げ嫌いなんだ」と言って理解を求めたほうが,よほど健全だと思います。

あるいは,例えば,あなたの大好きな彼女(あるいは奥さん)が実はあなたのファッションを「超ダサい」を思っている場合,こう思われながらも何年も黙っていられたら,その状態は健全でしょうか。「ダサイ」と思っているなら早く言って欲しいですよね。

意見を言わない世界は確かに平穏に見えます。

でも,実は意見を言わないことにより出来上がる「隠れた溝」はおそろしいと思いますし,意見を交換し合うことに生まれたはずの宝石を失うことこそ寂しいことなのではないかと思います。

◇◇◇

意見を言い合わないで作られたシンデレラ城は本当は廃墟なのではないでしょうか。

意見を言わないほうが無難です。でも,意見を言わないことは「わかり合うこと」の放棄につながらないでしょうか。

だから,私は意見を言う勇気を持ちたいと思っています。

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