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「今」ではなく「終わり」から人生を考える

昨日,私がやっている部活の仲間と死生観について話していました。

「死」については考えたくないことではあるかもしれないけど,残念ながらそれは全ての人にやってきます。人間である以上,死からは逃れられない。誰もが緩やかに「死」に向かって歩いています。

◇◇◇

死生観について議論をして思ったこと。
それは「終わり」から人生を考えることに意義があるなということでした。

多くの人は「終わり」について見ないようにしているけれど,いつか「終わり」はやってくるし,いつ「終わり」がやってくるかはわからない。

それは自分についてもそうだし,他人についてもそう。
あなたが大切だと思っている誰かの「終わり」もいつくるかは誰にもわからないのです。

終わりの到来時期がわからない。
そう思っているのは,私が(医療職でないにもかかわらず)人の生死について考えることが多い仕事に携わっているからかもしれません。

交通事故での突然の死亡。
予想できなかった病気での突然の死亡。
年齢にかかわらず,「それ」はいつやってくるかわからないわけです。

不謹慎かもしれませんが,私はたまに考えます。
大切な家族があるとき突然いなくなったらどうしよう。耐えられるだろうか。

その想像をするたびに切なくなってしまうのですが,それでも自然に考える。考えると,切なさと同時に「今」への愛おしさと暖かい感覚がズーンと押し寄せてくるのです。

あなたの「終わり」も誰かの「終わり」も確実にやってきます。

◇◇◇

「終わり」から人生を考えるというのは,「終わり」の際にどういう終わり方をしたいかを考えるということです。

私は大切な誰かの人生が終わるとき,その誰かにこう思ってもらいたい。
「幸せだった」
「あなたと出会えてよかった」

私は私の人生が終わるとき,私自身が「幸せだった」と思っていたいし,私と関わる誰かには「あなたと出会えてよかった」「この人は幸せそうだったな」と思ってもらいたい。

そういう「終わり方」の理想を考えて,理想の「終わり方」に向かって日々どう生きようかを考えることは,死を過度におそれずに生きていくためのコツなのではないかという気がしています。

必要なのは次の3つの問いです。

1 あなたは人生をどう終わりたいですか。
2 あなたの大切な人には人生をどう終えてほしいですか。
3 そのような「終わり」をあなたが迎え,大切な人が迎えるために,あなたはどう生きていけばいいと思いますか。

ぜひ,この機会に考えてみてくださいね。

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