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私は,私を捉えている鎖とともに生きていく

私は学習欲が高い。
成長欲求も高いと思う。

もしかしたら「意識高い系」と揶揄されるかもしれないと思いながらも,今日も成長を望んでいる。
このnoteを読んでいる皆さんのなかにも,成長したいという気持ちが強い方がいらっしゃるかもしれない。

だが,ふと思った。
私はなぜそんなに成長したいのだろうか。
なぜそんなに学習したいのだろうか。
私の学習欲や成長欲求を作り上げているものの「正体」を知りたいと思い,ここ数日,自分との対話を行なっていた。

◇◇◇

結論を言うと,負けたことがあるからだ。
私の仕事のメインは裁判だが,10年ほど前に負けたことがある。
もしかしたら,事件の筋からして,もともと勝つのが難しいものだったのかもしれない。だが,私はそのときはっきりと「負けた」と自覚した。

そのときに抱いた苦い思いは今でも覚えている。
誰かを守りたいときに,守る力がないことがこんなに悔しいとは思わなかった。
 
守りたいときに守れなくて何が弁護士だ。
そんな弁護士やってるくらいなら弁護士やめてしまえ。

そんなことまで当時は考えていたように思う。

夢にも出てくるときがある。
10年前のことが今でも夢に出てくるのだ。
私は過去という鎖にとらわれているのかもしれない。

◇◇◇

とらわれているのはやや苦しさを感じさせるときもある。
でも,だからこそ私は成長したいし学習したいのだ。

誰かを守りたいときに十分すぎるほどに人を守れる力を蓄え続けたい。
学習しなければどうしたって停滞どころか後退していく。人間だから停滞しても後退してもいいと思うけど,私はプロだ。後退を望まず,前進を望みたい。

過去の鎖はうまく使えば前進につながる。
鎖を無理にほどこうとしても,なかなかとれるものじゃない。むしろ,より複雑に絡まり合って取れなくなるだろう。

だったら,鎖も自分の一部なんだと認めて,うまく付き合ってやる。
いつの日か,鎖に心から感謝できる日のために。

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