今に集中して生きる
こんにちは。
今までの記事は「です」「ます」調の丁寧語で書いていたが、なんだか性に合わないのでやめようと思う。
今日は「今に集中して生きる」ということをテーマに記事を書く。
そして、このテーマに関連した(個人的に勝手に関連させた)おすすめの曲を紹介する。
不幸だと感じる根源
色々な本を読んだり、自分で色々考えて至った結果だが、「不幸」と感じて生きている人は、今に集中できていないんだと思う。「不幸」とまで感じなくても、気持ちに靄がかかり続けている場合も同じだと思う。
自分自身がそうであったからそう思う。
ここ半年ほどは、以前と比べて意気揚々としている。
それは記事のテーマの通り、「今に集中して生きている」からだと思う。
以前は、過去の失敗を思い返し後悔したり、恥ずかしくなったりすることがしばしばあった。
たちが悪い時は、過去の出来事で他者が関連していることを思い出し、その他者に腹を立てていた。現時点でその他者から何か害を与えられているわけではないのに、勝手にだ。挙句、その人と話す時に、ぶっきらぼうな態度を取ることすらあった。いい迷惑だったと思う。
そして、未来(数日後、数週間後、数か月後など、割と近い時期の未来)のことを考えて、不安になることもしょっちゅうだった。
1週間後の仕事のことについて”もしこんな失敗をしたらどうしよう”と考えたり、数か月後の友人との集まりにおいても”もし具合が悪くなっていけなくなったらどうしよう”とか、”自分が具合が悪くならなくても、子供が具合が悪くなったら行けなくなるかもしれない”とか考えを巡らせていた。
考えを巡らせて、先に備えて何か準備をしたり、対策を講じておけばまだしも、ただただ悶々と考えては不安になっていた。
先のことを考えることは悪いことではないだろうし、自然なことだと思う。
ただ、考えて不安になって、何もしないで考えを巡らせるだけでいるというのは、今思うと非常に馬鹿げている。
以上に書いた通り、「過去」と「未来」にとらわれていると、”現時点”という現実がおろそかになってしまい、今を生きている実感が得られず、「不幸」と感じたり、気分がモヤモヤし続けるのだと思う。
「今に集中して生きる」ことの重要性に気が付いたきっかけ
「過去」の楽しかった出来事、「未来」の楽しみな出来事を考え、楽しい気持ちでいれる人もいると思うが、私はそうではなかった。
そんな私に「今を生きる」ということを気づかせてくれた書籍がある。
堀江貴文氏著「自分のことだけ考える。」(ポプラ社)だ。
堀江貴文氏は言わずとも知れた方だろう。
本のタイトルだけを見ると、”自己中心的”とイメージしてしまうかもしれないが、決してそんな内容ではない。
私にとって非常に重要なことに気づかせてくれた優しい本である。
この本で堀江貴文氏(以下、堀江氏)が次のように語っていた。
この言葉にかなり考えを変えられた。
2011年に服役経験をした堀江氏だが、収監中もメルマガを発行する、釈放後も服役していたことを忘れさせるくらい様々な事業を展開するなど、常に活動を止めることはない。これは「今」に集中しているからだと言う。
私自身、37歳でこのことにようやく気が付いた。
もっと早く気が付ければ良かったかもしれないが、私にとっては今気が付けただけ良かったと思っている。
堀江氏の言う通り、人は何かをするのは「今」しかない。
この「今」に自分ができることを全力で取り組むという姿勢が、最終的に「人生」となって、最期、充実感をもたらしてくれるのではないかと思う。
明日生きているという保証はない
「今に集中して生きる」という考えを更に強化する考えがある。
それは、「明日生きている保証はない」ということだ。
これは当たり前なことにも関わらず、忘れがちなことだと思う。
・数時間後に心筋梗塞を発症し、突然死するかもしれない。
・明日、通勤途中で交通事故に遭い、命を落とすかもしれない。
など
想定困難なことで命を落とす可能性は誰しもあると思う。
これを人に話すと、「すごいネガティブ」と言われるが、私としては決してネガティブな考えではない。
むしろ、明日、もしくは数時間後に生きている保証なんてものはないから、今に集中しよう!ということだ。
例えば、明日死ぬとして、最後の1日を、”過去を振り返り嫌な思い出に浸っていた日だった”とか、”先の仕事の予定を考えて不安いっぱいの日で、飯の味もろくにしなかった”というような締めくくり方を、誰しもしたくないと思う。
それなら、”今目の前にある食事を思う存分味わおう”とか、”今目の前にある仕事をできるだけ楽しくやってみよう”と考えた方が断然良い。
もし、明日死ぬかもしれないなら、今日仕事だったとしても、それが人生最後の仕事になるかもしれない。
そう考えると、”今日の仕事は思う存分にやって、他者や社会に少しでも貢献しよう”と思えるし、仕事自体嫌ではなくなってくると思う。
このように考えると「今」とか「今日」という時間は非常に貴重な時間であることがわかり、無駄にしたくないと思うことができる。
こんな風に考えることができるきっかけになった曲があるので、それも紹介したいと思う。
最期かも feat. 田我流 & IO / MonyHorse
良い意味で、”明日死ぬかもしれない”、”今日で人生が終わるかもしれない”という考えを強化してくれた曲が、
MonyHorse氏の「最期かも feat. 田我流 & IO」という曲だ。
この曲はMonyHorse氏の2022年発売の2ndアルバム「MONIBUM」の15曲目に収録されている。
MonyHorse氏は表現がストレートで明快で、どの曲も楽しそうに歌っていて、聴いているこちら側も楽しい気持ちになる。
そして、MonyHorse氏の生き様がまさしく、「今を生きる」という表現がマッチする。
そんなMonyHorse氏の曲だが、まずタイトルが良い。
そして、田我流氏、IO氏のバースもこれまた素晴らしい。
2人ともそれぞれのライフを曲のテーマに合わせて歌っている。
MonyHorse氏がフックを担当しているが、このフックにすべてが詰まっていると思う。(以下、MonyHorse氏のフックを紹介)
現在の科学では、人間いつか死ぬということは、皆共通しており、避けることのできない事実である。
「過去」は文字通り、既に過ぎ去っていて、いくら考えても戻ることは不可能。
「未来」も文字通り、未だ来ていない状況なので、いくら頭で考えても、その時にならないとわからないことの方が多い。
一番コントロールが効いて、実感が大きいのは「今」のみである。
是非この記事を読んで共感してくれた方がいたら嬉しい。
そして、より良い考え方があったら是非教えてほしい。
それでは。
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