「ショタ」と「少年」

はじめに:主観的内容が多いので注意、というかだいたい私の独り言。なんだこいつ、と思っても起こらず読み進められる方のみどうぞ。





この文章は自分のために書いている。頭の整理がしたかった。

私は無意識のうちに「ショタ」と「少年」という言葉を使い分けている。
両者が指す対象はさほど違いはない。では、何が私の中で判断を変えているのだろうか。

おおよその男の子のキャラを見れば私はそれをショタという。男の子を見て「少年」という方が珍しい。
おそらくショタという一般的な男の子の集団の中に少年として区別される者たちがいると言えるかもしれない。

ショタと言われるとまず思い浮かべるのが学校にいるような男の子たちである。またそのような日常的ないわゆる普通の男の子ではなくてもファンタジー世界で勇者な男の子であったり、ロボットに乗り込んだり不思議な機械を操りモンスターたちと一緒に戦うような空想的なシチュエーションに出てくるような男の子もショタと表現するだろう。

一方で、自分は音楽を書く活動をしている。最近では鏡音レンとOliverのデュエットのZODIAという曲を書いた。
創作言語曲で歌詞の詳しい内容は伏せているが、その曲では自分の中の「少年的世界観」を表現している。

少年的世界観。世の中には「少年」にテーマを絞った芸術活動家や展覧会がある。
私もよく興味を示したりするが、およそこのような作品群には「宇宙・星」(銀河鉄道の夜の影響も強そうだが)であったり「神・天使といった宗教的なもの」、「吸血鬼などの架空(物語上)生物」など要素が付与されているものが多い。
端的にまとめれば、「人間から遠く離れたもの」が多くの作品で見られる。

おそらく私が使う「少年」という概念は非人間的要素が強いのかもしれない。
私は(自負するのも恥ずかしいが)ショタコンでありショタが好きではあるが、少年へはどちらかというと憧れであったりとか物語へ惹かれることが多い。おそらくその憧れには神への信仰といったそのような人間が長く持っていた宗教的なものに近いのかもしれない。

ただ、もし少年から要素や物語性が奪われてしまったら、信仰に近い憧れというものは消え、きっとそれはショタと呼ばれることになるだろう。
誤解して欲しくないのは、ショタには物語性が欠けると言いたいわけではない。ショタと呼ばれるものにも物語性はある。その物語性は人間らしいのだ。

頭の整理をしながら文章を書いていたわけだが、この二つの言葉の間の関係が少しずつ見えてきたかもしれない。
少年はショタという枠に含まれる。しかし少年は非人間的要素を持つのに対しショタは人間らしい要素を持つ。
つまり両者はイコールでありながら対立する概念でもある。

だからなんだ、と言われてもあくまで私は自分の中の靄を取り払うためにこの文章を書いていたのだ。
ただ、自分は音楽書きで少年的世界観を表現する上では大いに役立つとは思ってる。

少年的世界観とは何だ、と思ったら是非少年展などのワードで調べてみてほしい。もしかしたら世界が広がるかもしれない。


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