聲の形レポ0003

聲の形レポ漫画+αエッセイ


上のレポ漫画を描いた後、改めて原作にも興味を持った私はさっそく原作を読んでみました。以下は、私が原作を読んでの感想です。



映画で疑問に感じたいくつかの箇所の謎がとけた。

まず私が真っ先に言及したいのは真柴くんだ。

真柴君が川井みきをはっきりと突き放さないのは、間接的な復讐なのではないかと思う。

絶妙な立ち位置をキープすることで、彼女の貴重な時間と青春を浪費させること。君の好きにしたらいいよという体でいながら、けして彼女を思っての言動はしないこと。

真柴君は川井みきのことをどう思ってるのか聞かれたとき「かわいいと思うよ」と答えていた。これ、正確には「愚かで可愛いと思うよ」、もしくは「顔は可愛いと思うよ」という意味なのではないだろうか。

真柴君は周囲を見下すことで生き延びてきた。

最初は主人公のことも見下していたし、川井みきのことは最後まで見下していたのではないだろうか。

きっと、彼にとっては「観察すること」が復讐なのだろう。

昔自分をいじめていた人達の子供を観察すること。

自分を好いている元いじめっこの川井みきをあえてそばに置いて(そのように誘導して)観察すること。

真柴君の観察という行為は、観察対象を見下していないと出来ない。

本質的に、真柴君の観察というのは、「交流したい相手をよく見ていること」でも「職人さんが技を学ぶ際に師匠の技を見て盗もうとする行為」でもない。観察対象として相手を見ている限り、彼は永遠に誰とも向かい合えない。

しかし同時に、頭のいい彼は「これはなんだか違うみたいだ」と気付いている。

きっと彼がこれから自分の有り様、他人との関わり方を見つけていくのは、また別の物語なのだろう。




原作を読んでの川井みきに関しては、「今後の人生でも付き合えない男ばかり好きになりそう」という感想である。

ちなみに根拠は全くない。単なる私の直感である。

付き合えない男を追いかけつつ、格下の人間(川井みきが自分で格下と思っている相手)を数人キープしそうだ。辛いことがあると呼び出してヨイショしてもらって自尊心を満たし、ヤらせないまま男を侍らせそう。いざ「自分の気持ちを弄んだのか!」と言われたら「ひどい…!私、そんなつもりじゃなかったのに…」と泣きそう!本命の男にはそういう部分を見抜かれて一生付き合えなさそう!!

本当にリアリティの高いキャラクターで、川井みきというキャラクターを生み出した原作者の方にスタンディングオベーションしたい気持ちでいっぱいだ。

なんかディスってるみたいな書き方になってしまっているかもしれないが、私は本当に本当に、こういうキャラクターが大好きだ。

私が二次元の女の子を好きになるポイントは、処女性でもシコれそうな子でもない。

人間らしさがあるかどうかだ。

私は、人間には心の闇や、傷や、やっかいな癖や、傲慢さが、多少なりとも必ずあると思っている。

誰かの心を満たすためだけに存在する、誰かにとってだけ都合がいい人間はいないからだ。

川井みきは非常に人間らしい、漫画史に残していくべき良キャラクターだと思う。



キャラクターひとりひとりの感想をこれでもかっていうぐらい語りまくりたいが、際限がないのでこの辺でやめておきます…もうずーっと感想いっていられるかんじ。


原作を読んで改めて思ったことは、これは希望に満ちた物語ということ。

一度悪者になった人間は一生悪者でなければいけないわけじゃない。

一度被害者になった人間は一生被害者でなければいけないわけでもない。


あの日「死にたい」と泣きじゃくった幼い女の子は、成長して自分の意思で自分の道を選び、自分の足で歩いていける。

もちろん許してはいけないことは世の中にたくさんある。

何か被害を被ったとき、全てを許してあげましょう等と戯言を言うつもりは微塵もない。

自分が侵害されたとき、毅然と立ち向かわなければならない事も多い。

だけど、許すこと、立ち向かうこと、見なかったふりをすることは自分で選んでいける。

希望とは選択肢があること、自分で選択肢を選ぶ意思、力、権利があることだと思う。

だから私にとって聲の形は希望に満ちた物語だ。

もう、聲の形に関しては、延々ポエムを綴ってしまいそうなので、本当にこのあたりで終わりにします。油断すると口からポエムが出てくる。なんだか恥ずかしい。


聲の形の原作者様、映画製作スタッフの皆様、素晴らしい作品を世に送り出してくださって、本当にありがとうございました。

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