「水くさいよね」
小学校6年生のとき、私は学校を隣町に転校した。
ありえないことに、わたしはクラスメイトや仲良しの友達、誰一人に告げず学校を去った。先生にも、「転校することは誰にも言わないでください。」と念を押したから、本当に誰も最後まで私が転校することを知らなかった。
理由は簡単である。転校する理由が、引っ越しではなく、両親の離婚に伴う引っ越しであることと、離婚したから小さなアパートに引っ越すわけである。それまで一軒家で住んでいた自分にとって、小さなアパートで暮らすこと、また親が離婚したことを友達にいうのが嫌だった。変なプライドが邪魔をした。
最後の学校の日も、「じゃあね~!ばいばい!!」途中までいつもの友達と帰って、いつも通りのばいばい。だけど、私だけ知っている。今回は本当のばいばい。
明日から、違う学校だ。
もうみんなは私のことなど忘れていくさ。
よし、切り替えよう。
小学生のくせに恐ろしく寂しい考えだな...と我ながら振り返るけれど、
その当時は本気でそう思っていた。もうみんなとはさよならしたんだ。
次の日から、新しい学校で、新しい環境になり、
自己紹介して、なんとなく友達が出来て、ほっとしていた。なんとかやっていけそう。これが私にとって初めて環境が変わった時だった。
数日後、先生から電話がかかってきた。
「きなこさん、転校したあと、クラスのAちゃんと、Bくん、泣いてたよ。あと、みんなが寄せ書きを集めてくれたから、送るね。」
クラスのAちゃんとBくんは、本当に仲のいい友達だった。いつも一緒に休み時間は集まっていたし、バカなこともいっぱい考えた。(夜中に学校のプールに入ろうよ!とか)
そんな大切な友達さえも、「どうせ一時的なものだし、忘れていくし」と
私が転校しても、悲しんでくれないかもしれないし、という悲観的な考えで、何も告げずに去ったことを激しく後悔した。
クラスのみんなの寄せ書きにも、みんなのメッセージが優しくて、温かくて、涙が止まらなかった。
そのなかに
「きなこは、いつも水くさいよね。なんで言ってくれなかったの~」と書いていた友達がいて、
あ、わたし、水くさいのか。と気づいた。
水くさいとは:よそよそしい, 控えめ
この間、8か月勤めたアルバイトを辞めた。
私は焦っていた。このままじゃいやだ。何かを辞めたら、必然的に何かを始めなければならなくなる。ならば辞めるという選択は悪いことじゃない。
9月のシフト提出日になって、チーフに「今月で辞めさせてください。」と言った。
本当に急だし、最低だと思った。迷惑掛けたとも思った。
ああ、チーフにも、ほかの社員さんにも、頭が上がらない。
ただただ、恐縮。だけどこれ以上、このアルバイトを続けていくのがなぜか自分にとって負担でしかなかった。
最後の日も、特に、「今日で最後です」なんて主張せず、やんわりとお世話になりましたと告げて、アルバイト最終日を迎えた。
そのあと、社員さんからlineがきた。
社員さん「もしかして、今日で最後だった??」
深い話はしたことはないが、いつも会うたびに、ニコニコ話しかけてくださる社員さんだった。なんで社員さんはこんな過労な仕事をずっとしているんだろう...って正直思っていた。でも、いつも笑顔で時々冗談を言って笑わせてきてくれる方。
私「今日で最後でした。ちゃんと挨拶する時間がなく申し訳ございませんでした。~~~~~~~(以下略) 本当にお世話になりました。身体にはこれからも気を付けてください!」
社員さん「そうだったんだね。個人的にでも送別会したいと思っているよ。せっかく一緒に働いた仲間として、したいと思ってる。」
ただ一言、うれしい。
そんな風に言っていただけるだけで、救い。
アルバイトは正直きつかったけど、そんな風に言ってくれる社員さんがいて
わたしは少し救われたのと同時に、そんな風に言ってくれる人を大切と気づけないところが迂闊だと毎回思う。
小学校のときも、大切にすべき友達を、気づけなかったり。
大学4年生になった今も尚、わたしは 水くさい のかもしれません。
水くさいのは、傷つくのがこわいから。
わたしは寂しいけど、相手が寂しいと感じていなかったら、悲しいから、「寂しい」なんて言わない。
わたしが好きだと思っていても、相手がそう思っていなかったら、矛盾に苦しむから、「好きだ」なんて言わない。
いつもそうやって生きているけれど、思った以上に人は冷たくなくて、温かい。
冷たいと思って生きていたら、温かさを感じることがある。
温かい前提で生きていたら、冷たさを感じることがあるだろう。
どっちがいいのかな~。
ふと、思ったことでした。
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