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9ヶ月間の振り返り

活動開始6ヶ月で立てた活動計画。

あれから3ヶ月がたちなんだか中弛み期に突入している気がするので自分に渇をいれるために9ヶ月目の振り返り。

まだまだこのゴールには遠いけれど、地域ボランティアさんが体重増加が芳しくない子どもや低体重の子どもを見つけて私のところに連れてきてくれることが少しずつ増えてきて、ごくたまにだけどお母さんから「きっとこの子は低体重だからみてほしい。」と訴えてくることもある。1才で揚げパン食べてたり、体重測定の結果がただの数字どまりだったりまだまだなこともたくさんだけれど少し進んだ3ヶ月。

必死でもがいた6ヶ月間。怒ったり、泣いたり、落ち込んだり、喜んだり、激しかったはじめの6ヶ月。いまはだいぶ穏やかに落ち着いて過ごせるようになりました。

具体的な実施事項をいくつも挙げているけれど、いまできているのはまだまだごく一部。中弛んでいる場合じゃないと3か月前の自分に叱られている気分になる。

いまの私の日々の過ごし方。いいのか悪いのかこの週間予定が完全にルーチン化している。

活動するなかで見えてきた配属先の課題と、そのなかでも私の力でなんとかできそうなこと。そしてその課題に対する活動。この3ヶ月間は、成長モニタリングの支援とマンパワーに徹してきた。時々コミュニティー開発隊員がこんなに配属先にいていいのかなと不安になるけれど、私ひとりでは医療的判断に迷うことがある+配属先のマンパワー不足を放り出して一人行動をとるのはなにか違う気がする、という理由でマンパワーとなることも私の活動の一部になっている。

こんな紹介状を作って、低体重で医療的介入が必要な子どものUnder5カードに添付している。アウトリーチで低体重であることがわかったら、私がこに用紙を記入して後日栄養士のオフィスにきてもらう。基本的には私が同席して状況説明と介入の必要性を説明するけれど時にはそれができないこともあるので、栄養士と地域住民繋ぐコミュニケーションツールとして導入することした。いまは私がアセスメントから記入までやってしまっいるけれど、任期終了までには地域ボランティアさんの役割として確立させることを目標にしている。

↑従来使っていたオフィシャルの集計用紙。地域ボランティアさんは使い方をあまり理解せずとりあえずわかる情報を記入して提出していた。体重のアセスメントできていないので、低体重児の数がとんでもないことになっていたり、ひとりもいないわけないのに数字に反映されていなかったり。アセスメントが正確でも個人を特定するための情報が少なすぎて追跡ができず低栄養に陥っている子どもをそのまま放置の状態だった。

↑これが8月から導入を開始したオリジナルの集計表。地域ボランティアさんにはアセスメントの過程を省いて情報だけを転記して提出してもらうことした。生年月日と体重の値から低体重かどうかを私がアセスメントしている。名前と生年月日、ChildNo.も記載してもらっているので、低体重であることがわかった場合地域ボランティアさん追跡依頼したり、レジスターに登録して経過を追っていくことが可能になった。

低体重児の情報は1冊のノートにまとめている。成長モニタリングの継続状況、体重の変化、フォローアップの進捗を記録し追跡していくことにしている。

活動を進めるなかで新たな気づきと、それに基づく仮説が立ってきた。

中間発表までにデータ収集と分析を行い、中間発表は仮説証明とそれに基づく課題の共有と配属先の意見や意向の確認の機会にしたいと考えている。

8月~10月上旬までのデータ分析で90名近くの低体重児の存在が確認されている。すべての5才未満児が毎月成長モニタリングに訪れるわけではないので今後もこの数は増えていくことが予想される。キャッチメントエリアの規模が大きく全員の追跡を行うのは不可能なため、線引きと介入の必要性の有無を決める基準をzスコアに追加してもうける必要があると感じている。具体的な介入方法ついても、カウンセリングや知識提供、栄養補助食品の配布にとどまらず検討していく必要がある。

配属先以外のフィールドを開拓したり、日本文化を広めたり、ひとりでプロジェクト進めたり、ワークショップやったり、そんな立派で華やかな活動の様子を知るたび自分の活動の方向性に迷ってしまうし無力感でいっぱいになる。

でも3か月前に決めた"ボランティアとしての姿勢"は任期中ぶれることなく貫いていきたいと思っている。

とは言いつつも正直そんな思いも自己満足で終わるんだろうな、任地の人々には届かないんだろうなと半分諦めの気持ちだった。でも今日は少しうれしいできごとがあった。

アウトリーチの帰りの車、ドライバーにいつものように「あなたは神を信じるか?」と聞かれた。私は「私はクリスチャンではないから教会には通わない。でもキリスト教の考えを理解しているし、リスペクトしているよ。」と答えた。それを聞いていた同僚の看護師が「彼女はリスペクトしてくれている。食事を一緒に食べるとき、必ずお祈りが終わるのを待ってみんなと一緒に祈ってから食べるもんね。」といってくれた。確かに彼らの宗教観や習慣を尊重することにとくに気を配って暮らしてきたけれど、そんな気遣いはだれにも気付かれていないと思っていた。でもちゃんとわかってくれていたんだ、届いていたんだと思ったらすごく嬉しかった。

環境、価値観、習慣、感性、すべてがあまりにも違いすぎて自分の心配や気苦労や努力がまったく届かない気がして心が折れそうになる瞬間が何度もあった。でも結局はにんげん同士で、思いやりを通した行動はなにかしらの形で相手の心に届く可能性があるらしい。だからこれからも日本人らしい気遣いや心配りを大切に暮らしていきたい。

時が経つのはあっという間で、日に日に暑さが増し、待ちに待ったマンゴーの季節がやってきて、野菜は大きくて味が濃くなってきた。雨季と乾期、2つの季節しかないこの国でもこうして季節の移り変わりを感じながらアフリカで"暮らしている"ことを実感する。

ひとりで歩くのが怖くてたまらなかった町なのに、いまではどこのだれだか認識しきれないほど私の名前を知ってくれているひとが増え、"チョンチョリ"と罵声を浴びることはだいぶ少なくなった。

あと2ヶ月したら一時帰国、日本から帰ってくるころには中間発表。もうすぐ折り返し。焦らず、投げ出さず、比較せず。地味に地道にをテーマにまずは2ヶ月。

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