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原点に触れ思うこと

今日もアウトリーチは中止になった。クリニックにいても人手は足りているし、特にできることも見つからずアンケートの集計をしたり修正をしたりしながら時間をつぶすように過ごしていた。
なんのためにここにいるのかという無力感。
何もせずに時間だけが過ぎていく焦燥感。
物事がうまく進まないことへの虚無感。
そんな感情に心を覆われながら、気にしないように気を紛らわせながら。

そこにマラリア検査が怖くて泣いている女の子がやってきた。
マラリアの検査をするためには、指先に針を刺して血液を採る必要がある。
女の子は針が怖くて泣いていた。
背中をさすりながら、よしよしと気がまぎれるように話しかけていた。私にもたれかかりしばらく泣いたあと、落ち着きを取り戻し泣き止んだ。「検査できる?」と聞いたら、頷き頑張って検査を受けてくれた。

女の子が帰っていったあと、私の心は少し満たされていた。
ああこういうことがしたくて国際協力の道に進んだんだったなあ。
こういうことがしたくて看護師になろうと決意したんだったなあ。
そんなことを思い出した。
マラリアの検査を受ける受けないでここまで飛躍できる自分の感性に我ながら驚かされる…

世界を変えたい。
貧困をなくしたい。
紛争や戦争地域で一人でも多くの命を救いたい。

私が志していたことはこういうことじゃない。
なにかを変えたいわけではなくて、
だれかを助けたいわけでもなくて、
困っているひと、苦しんでいるひと、悩んでいるひとのそばにいってそっと背中をさすりながら彼らが納得できる決断にたどり着くまで一緒に悩み考える。そんなことがしたかった。
でも今はそれさえもできていない。せっかくそれができる現場に来たのに。寄り添うどころか、苦しみや困難の実態を知る段階で躓いている。
だから満たされないし、苦しい。
そういうことかと腑に落ちた。
それが分かっただけで少し心が軽くなった。

“忠恕“
自分の良心に忠実であることと、他人に対する思いやりが深いこと。(デジタル大辞泉)

上皇陛下が好きな言葉だそうだ。
元号が変わった実感はないが、こうして日本の象徴として30年間の務めを果たされた上皇陛下の考え方に触れる機会が多く、学ぶことが多い。

はじめて目にした忠恕という言葉。
アフリカで過ごす2年間、私を導く言葉になりそうだ。

悩みや苦しみを共有することは簡単なことではない、楽なことではない。だから時々逃げたくなる。
でも彼らの苦しみ悲しみ困難の実態を知り、共に暮らし、共に悩み苦しみ考える。そのためにアフリカに来た。
アフリカで暮らす日本人として、忠恕であり続けたいと思う。

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