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悩めることは優しいこと

『揺れててもいいんじゃない?悩まないより、悩めるほうがずっと優しくて強いと思うけど。』

ふいに同期から受け取ったことば。なんどもなんども繰り返していることば。

本当に小さくてどうしようもないことで悲しんだり、喜んだり、悩んだり、そんな自分がみじめでたまらなかった。気にしなければ楽になれるとわかっているのに、一つ一つの出来事に向き合って苦しくなってしまう自分が情けなかった。

自分の信念をもって、自分を取り巻くあらゆる困難と闘っているひとが輝いて見えた。
私も揺らがない自分になりたい。
小さなことで喜んだり悲しんだりする自分を変えたい。
そう思ってもがき続けていた。

みじめな自分と向き合うのが嫌になって大切なひとと連絡を絶った。
寂しくて誰かからの反応が欲しくてつい気になってしまうSNSのアプリを消した。
2年間の自分の在り方を示したくて表現するための言葉を必死で探した。

自分で自分を満たせるようにならなければ。
揺らがない強い信念を持たなければ。
器用に自分の想いと付き合って気分の浮き沈みをなくさなければ。

自分で自分にそんな課題を課していた。

でも悩むことも揺れることも悪いことじゃない。優しくて強いこと。
そんな言葉が私をがんじがらめにしていた課題から解放してくれた。

悩みも揺らぎもその種はだれかを思いやるこころなのかもしれない。

ザンビアのこと、同僚のこと、住民のこと、大切なひとのこと

自分のことだけ、自分の想いだけを優先させていたら確かに悩まないし揺れることもないかもしれない。でも私はそんな風になりたかったんだっけ…

忠恕であること

ザンビアに来てから目指してきた姿。
誰かの心に共感して思いやりを持つこと。
常にそうありたいと思ってきた。

だれかに想いを馳せ、共感し、思いやりを持つ
そうである限り悩むし揺れる。
自分だけでは決められないことばかりだし、自分の力ではどうにもできないことばかりだから。

『揺れててもいいんじゃない?悩まないより、悩めるほうがずっと優しくて強いと思うけど。』

この言葉を受け取ってから強くなろうと思うのをやめた。
悩まないこと揺れないことを目指すのをやめた。
なにかに揺さぶられる自分をみじめに思うのをやめた。

この2年間はずっと悩んで揺れて、不器用に暮らそう。
そんな風に開き直ったら、一気に心が楽になった。

日本にいたとき、私は小さなことで悩む友達に
そんなこと気にしなくていいよ。
聞き流せばいいんだよ。
そんな言葉をかけていた気がする。
自分にも同じような言葉をかけてやってきた。

それを優しさだと、強さだと、認めてあげたことはなかったな...

ずっと強くて信念があるひとにあこがれていた。
目標があって夢があってそれにまっすぐ突き進むひとにあこがれていた。
活動でも積極的にアイディアを形にして、行動力があって、発言力があって、華やかな活動を実現しているひとにあこがれていた。

でもザンビアに来てから自分の目指す方向に進んでいかないことばかりで、自分がなにも成長できていないように思えてならなかった。

でも成長できていないわけじゃないのかもしれない。
方向が違うだけなのかもしれない。

前よりずっとひとの痛みが分かるようになった。
前よりずっと小さなことに感動したり悲しい気持ちになったり感情が豊かになった。
前よりずっとあらゆるできごとにちゃんと向き合って、ちゃんと悩むようになった。

ザンビアに来る前に描いていた成長とは違うけれど、これも立派な成長かもしれない。
確かに前より弱くなったし、不器用になった。
でもこれでもいいんだ、きっと。

悩むし、揺れる。
だから時には人を巻き込んでしまうこともあるかもしれない。
でも素直に苦しいときは逃げていいし、ほしいときには求めてもいい。

思わぬ方向にどんどん変わっていく自分に心がついていかにけれど、悪い変化じゃないかもしれない。
そう思わせてくれた言葉。
当の本人はこんな風に過大解釈されちゃってびっくりかもしれないけど、勝手にこの言葉に救われました。2年再会できたら私のおごりで焼肉でも食べにいきましょうね。

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