見出し画像

停電のなかで思うこと

いま目の前にある人的・物的資源に限りはあるけど上手に使ったらもっともっとよくなるのに。アイディアはたくさんたくさん思いつくのに実行できない。
ひとを動かす力もお金も知識も経験もないし、それより一番はここで暮らす彼らの幸せに責任を持つことができないという自覚があること。そんな覚悟もできないし、そんな放漫さもない。

そんな悔しさと葛藤を毎日のように感じる日々。

自分の無力さは重々わかっているつもり。
なにかを変えることはあきらめたつもり。
なにかを変えることよりももっと大切なことがあると気づけているつもり。
どれもこれもつもりなだけで、できない自分とやりたい自分、目指す理想と目の前の現実の間でずっとじたばたしてる。

強みをみつけよう。
強みを伸ばそう。
強みを活かそう。
それが看護師である私の役目。エンパワメントすることが私の仕事。
そう思っていてもどうしてもできていないこと、だめなこと、弱みが目について仕方ない。

一生懸命、何度も何度も整理整頓してもあっという間にぐちゃくぐちゃに乱れる倉庫。
必死で工夫して、貼ったり書いたりしながら整理して保管している住民から預かっている書類もあっという間にばらばらになってるし、私の工夫や努力なんてだれの心にも届いていない。

期待はやめたつもりでいた。
彼らのできない、やらないことにこそ自分の力を発揮できると思っていた。
でもどんなに頭をひねっても、どんなに踏ん張っても、その努力が彼らの視界に入らないって結構堪える。

それが嫌なら頑張らなきゃいいのに、やらなきゃいいのにね。

一生懸命頑張ること、を美徳とする日本社会にどっぷりつかった私はそれでも肩の力が抜けないでいる。

同僚たちが先に帰っても、目の前に残っている仕事を放っては帰れないし、時間外でも住民に頼み事をされたら見放して帰ることはできない。
日本だったらみんな当たり前にやってることだし、働く身として当然のことだけど、ここではそうじゃない。こんなことしてるの私だけ。

別に認めてほしいわけじゃない。褒めてほしいわけじゃない。一緒にがんばってほしいわけでもない。

彼らと私の感覚は果てしなく遠くて、日本人の私がよかれと思ってした努力や工夫が彼らに届かない。そんなことが多すぎて時々心が折れそうになる。

もう頑張らなくてもいいかな。
もう考えなくてもいいかな。
そうすべてを投げ出してしまいそうになる。

もっともっとひとりひとりのいのちを大切にしてほしい。自分のいのちも家族のいのちもともだちのいのちもまわりのひとすべてのいのちをもっとお互いに大切にしてほしい。

それはずっとずっと先にある目標で、そのための小さな一歩として子どもたちの発育・発達のサポートがしたい、そう思って小さな脳みそひねっていつも必死で考えてる。

正確なデータ収集とアセスメント
そのためのフォーマットの修正と手順の見直し
地域とクリニックをつなげるための紹介状の導入

この数か月で何人もの重度な低体重児を発見して、栄養士のもとにつなげた。

コミュニティーで低体重の子どもをみつけるたびに、事情を知って心が痛むし私が介入することが正しいことなのか迷う。お母さんたちと話をするときには高圧的な印象を与えないように声色や表情にすごくすごく気を遣う。

あなたを責めているわけじゃなんだよ。
心配してるんだよ。

現地語はおろか、英語も拙い私は声色や表情で必死にその思いを伝えようとする。
そしてちゃんとクリニックに来てくれたときには、来てくれてありがと!というメッセージを必死で伝え、お母さんたちをねぎらう。

でも栄養士は人間性を疑うほど高圧的な態度でお母さんたちを迎える。
栄養士がいる日を案内してくるようにアドバイスしているのに、本来クリニックにいるべきはずの栄養士がいないこともある。
せっかくクリニックに来てくれたんだから、ちゃんとお母さんたちの話を聞いて、なにに困っていて赤ちゃんになにが起こっていて、なにを改善しなきゃいけないのか、どんな介入をしなきゃいけないのかアセスメントしなきゃいけないのに…
栄養士がするのはUNICEFから降りてきているRUFTという高カロリー経口補助食品を適当に配分するだけ。
本来、体重によって1日あたり摂取すべき目安が決まっているのにそんなことはお構いなし。
低体重の赤ちゃんとそのお母さんたちを一同に集めて、同じ数ずつ配って、5分足らずで終了。私が様子を見にいったときにはもうみんな帰されたあとだった。

「いくつ配ったの?」って栄養士に聞いたら、「14×7人だから~計算して?」そんな答えが返ってきた。

そもそももうすでに消耗状態にある子どもたちにとって、口から栄養を摂ること自体ものすごくエネルギーを使うこと。
だから与えるものを高カロリーにする以前に、食べることを助ける工夫が必要なはずで、食形態を工夫したり、量や回数を調整したり。
低体重になった背景だって様々で、もともと低出生体重児だったり、双子だったり、お母さんに障害があったり、お父さんが課題を抱えていたり。
その話をちゃんと聞いて、ちゃんと寄り添って、できること変えられることの範囲を把握したうえでアドバイスして、その上で高カロリーの栄養補助食品をクリニックに来られる頻度とか赤ちゃんの体重とか月齢とかに応じて処方する。
それが栄養士にしてほしいことなんだけどな…


やる気がないなら、ちゃんとやる気をなくしてほしいと思ってしまう。
しかるべき日にクリニックに来なかったり、適当に仕事したりするくせに、成長モニタリングでは体重だけじゃなくて、身長とMUACの測定に躍起になってみたり、ミーティングではあれがないとかこれがないとかいっちょ前に発言するし、プライドだけは高い。

この国の現状をみればそれにも納得がいく。
彼は高等教育を受けて、資格を持っていて、郡保健局の下で働く公務員。学校に通えなかったり、仕事に就けなかったりするひとがこんなにも大勢いるこの国で、公務員はかなり地位の高い仕事。だから彼のプライドの高さは理解できるし、私は彼らと一緒に働くうえで彼らを立てるべきだってこともよくわかっている。

“栄養士“として仕事についているひとがいるのに、外国人でありボランティアである私が彼の仕事を奪うことも、彼のやり方を無理やり変えることもできない。

日本とザンビアでの感覚や価値観ややり方には違うところも多いし、私の知識や常識をザンビアのお母さんたちに押し付けることもできない。
ザンビア人のためにザンビアで健康に関する指導をする上ではザンビア人の右に出るものはいないはず。

私の提案やアイディアを受け入れて採用してくれることもある。
フォーマットや紹介状の導入、オフィスに掲示するポスター、どれも快く受け入れてくれた。でも態度やカウンセリングの仕方や内容については口を出せずにいる。
根本的にかけ離れている私と彼の職業観や価値観をどうやってすり合わせたらいいのかわからずにいる。

何時間もかけてクリニックに来て、高カロリーの補助食品を渡されて終わりなんだったらクリニックに来るように案内しても仕方ないんじゃないかな…

コミュニティーで低体重児をみつけるたびにそう思う。
でも話を聞いてみると、お母さんの理解力に課題があったり、家庭が貧しかったり、すでに子どもの発育に障害が見られたり、私が地域のボランティアさんの通訳を介してアドバイスできることには限りがあるし、あまりにも無力だし、放っておけないと思ってしまう。

そんなときは一緒に行動している看護師に相談する。状況を説明して、どうしべきか助言を求める。そうすると彼女は決まって、「栄養士のところに来るように伝えなさい」という。

彼女とも高カロリーの補助食品だけでは改善しない状況にあることを話し合ったことがある。でも「もっとたくさん、長期的にあげるしかない」その答えで議論は終わってしまった。

一番信頼していて、住民にも親切で物腰が柔らかい私のカウンターパートは環境衛生士。ヘルスワーカーといっても、直接ひとを診る職種ではないし、クリニックに栄養士がいる以上、いつも彼のところに低体重児を連れていくわけにもいかない。

頑張っても彼らの心には響かず、理想の形は描けていてもどう現状を変えていったらいいかわからず、八方塞がり。

この前の週末、村で過ごしながらすっと考えていたこと。
私の活動地域とチェワ族の村はないが違うのか。

たどり着いた答えは格差だった。
格差がなくて、みんな同じように貧しくて同じように不便で、それでも欠乏欲求が満たせていれば幸せな暮らしが送れるのかもしれない。そんな思いが考えれば考えるほど確信に変わってきている。
食べ物があって、安全な暮らしがあって、所属する地域があって、信仰があって、所属組織や家庭のなかで役割があって、それでいて格差がない。

私の活動地域に格差を生んだのは、大きな幹線道路が通って、町ができて、そんな開発や発展がはじまりで、お金があるひとや町の近くで暮らすひとの暮らしは便利になって物的に豊になって病院や学校へのアクセスもよくなった。一方で町から離れた地域に住むひとは、その地域のなかでもお金や土地に余裕があるひとは、自転車やバイクを買って町に出られるようになって、町で農作物を売って現金輸入を得られるようになったけれど、土地やお金がないひとは貧しく不便な生活を続けることになった。それまでみんな同じように貧しくて不便で、それでも分け合い助け合いながら共同してくらしていた地域に格差が生まれるようになった。

開発とか発展は国や地域の人々全員に光をもたらすわけじゃなくて、影になるひともいる。

“健康支援”って開発や発展のなかでも格差を生みにくい、光と影の差が見えにくいと思っていた。みんなにとって必要なことで、みんなにとって利益があることだと思っていた。

でも現場に身を置く時間が長くなれば長くなるほどそんな確信も揺らいでくる。

高カロリーの補助食品を数回摂って元気になる子とそうでない子
アドバイスに従ってなにかを変えることができる家庭とそうでない家庭

じゃあなんのためにこんなに足掻いてもがいてるんだろ、私。

それでもやめるわけにも投げ出すわけにもいかないから、どうにもならなくても足掻いてもがくしか選択肢は残っていないんだけど。
だからこれからも無駄でもだめでも足掻いてもがくんだけど。

低体重児のお母さんたちのためのカウンセリング日を月曜日⇒水曜日に変更
月曜日に予防接種に来る赤ちゃんたちに同時に成長モニタリングができるような仕組みづくりを看護師・栄養士と相談
データ収集のためのフォーマットを加筆修正
要フォローアップな低体重児の情報をデータベース化
各コミュニティーの5歳未満児の栄養状態をグラフにして見える化

こうやって宣言でもしとかないと投げ出してしまいそう…

がんばろうね~私!

一緒の敷地に住んでる大屋さんの孫の男の子。
私がごみ穴に捨てたコアラのマーチの袋をずっと大事にしてるから、時々首都のチャイニーズマートで買ったお菓子をあげてた。コアラのマーチは、日本でしか買えないから今度日本から送ってもらえたらあげるねって話したら、最初はJAPANを国としても認識してなかったのに、最近は日本に行きたいっていうようになった。

「いつ日本に帰るの?日本がどんな国なのか見てみたい。」って言うから、2021年に帰るよ、一緒に来る?って聞いたら「お父さんに聞いてみないとな~」ってまんざらでもない顔するの。

ただひたすらにかわいいし、彼が日本に来ることをこれからも望み続けてくれるかはわからないけどこれからなにか機会にJAPANと見聞きしたとき私のことや日本に憧れた気持ちを思い出してくれるのかもしれないなって思ったら少し嬉しかった。

そんな小さな小さな喜びがいま私がここにいる理由になってる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?