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無関心なひとの心を変えること

ザンビアに来て、日本人の環境への意識の低さに顔を伏せたくなることがある。
どうして日本人はこんなにも環境への意識が低いのだろうか。

こんなことをいう私も、日本で暮らしていたときは、環境への意識の低さは底辺をさまようレベルで、完全に国際社会の流れから取り残された一人だった。

コンビニでもスーパーでも何の気なしに毎回ビニール袋を受け取っていた。たとえビニール袋が有料でもためらうことなく1枚3円のビニール袋を買っていた。
ゴミの分別も適当だった。駅で見かけた適当なゴミ箱にペットボトルでも缶でも紙屑でも適当に捨てていた。家庭ごみだって適当にビニール袋に詰めて、出せるときにゴミ置き場に出していた。
あらゆる家電製品を使って便利な生活を追求していたし、水も電気もガスも使いたいだけ使っていた。

地球の環境問題について知識がなかったわけではない。
奇しくも国際協力の分野にずっと興味をもってきたので、自然と話題に触れる機会は多かった。
でもどこか遠いところの話に思えてならなかった。個人の努力ではどうにもならない規模の大きい話に思えてならなかった。

確かに環境問題は、個人の努力では立ち行かなはいほど大きな規模の問題だ。
でもだからと言って環境問題から目を背けていいというわけではない。それなのに日本で暮らしていたころの私は目を背け、環境にいい行動と真逆の暮らしを送っていた。

どうして日本にいたころの私は、自分の行動が環境に悪いと知りつつ、行動を変えられなかったのだろうか。日々、日常の生活に追われ地球環境への意識が低かったのも理由のひとつかもしれない。でもそれ以上に、自分の行動が環境に及ぼす影響をこの目で見ることがなかったからなのではないだろうか。

ザンビアに来てから私の生活は大きく変わった。
それはものが手に入らないから、水が貴重だから、時間にゆとりのある生活を送っているから、という理由もあるがそれだけではない。毎日の生活で出るゴミ、乾季になり枯れゆく川、生活排水で汚れた水、それらすべてが日常生活のなかで否応なしに視界に入ってくる。

これはザンビアで暮らしていれば当たり前に見かけるゴミ捨て場の光景。
土にかえることのないビニール袋やペットボトルがどんどん増えていく。私の家ででたゴミは、ゴミ捨て場にはもっていかず敷地内の穴に捨てる。いずれ穴はいっぱいになり、また別の穴を掘る。その繰り返し。

ザンビアは雨季が終わり、乾季が始まった。首都に向かう途中、いつも通る橋から見下ろした川は見るたび岸が広くなり、浅くなっているのが分かる。

そんな場面に日々触れながら、日常生活を送るようになると、自然と自分の生活が変わっていった。ゴミはできるだけ増やさないように、食材は余らせないように、水は再利用して、家電も最低限度の範囲で、気づくと自然とそんなことを意識するようになっていた。

家にある家電はパソコンと電熱線クッカーだけ。ケトルは壊れてしまって使っていない。ゴミが増えるだけなので買い換えるのはやめておいた。
洗濯で使った水はためておいて、トイレを流すときに使う。
買い物に行くときはエコバックを持ち歩く。
使うものはできるだけ木製または紙でできたものを選ぶ。

それでもなかなかうまくはいかなくて、毎日たくさんのゴミが出るし、食器を洗うにも料理にも洗濯にもたくさんの水を使うし汚す。今日も仕事の帰り道にペットボトルに入った炭酸ジュースを買ってしまった。飲み干したあとの空になったペットボトルを見て心がチックっと疼いた。オーガニックのものは高くてボランティアの身分の私には手が届かない。少し迷って隣の安いコーヒーを手に取ってしまったし、いまだって化学繊維がたっぷり使われた安くて軽いパーカーを着ている。それでも日本で暮らしていた頃と比べれば、環境のことを考える時間はずっと多くなった。

だれに言われたわけでも、強制されたわけでもなく、こんな生活が当たり前になっていた。

日本では、自分のゴミがどこに運ばれ、どのように処理されているか知らなくてもいい。
水道の蛇口をひねれば水がでて、トイレのバーを下げれば自然に水が流れる。
下水もすっかり整備されているので生活用水がどのような過程で処理されているのか見なくて済む。

人が暮らすうえで出る不の要素はすべてきれいに隠され、直視しなくてもいいわけだから、環境にいい暮らしとか環境破壊とか言われてもピンとこない。

人の行動が変わるためには、原体験が必要なんだ。

日本人の無関心を変えるためには、もっと多くのひとがもっと多くの原体験をする必要があると感じている。

閉鎖的な日本で暮らしていたら見えないものがたくさんある。
快適さに目がくらんで、いやなもの、汚いもの、怖いもの、すべてが視界から外れてしまう。
日本が閉鎖的な社会であることさえ気づかない。

日本が一概に悪い社会だとは思わない。
日本人の気配り、勤勉さ、まじめさ、清潔さは世界に誇るべきすばらしいところだと思う。
私はそんな日本人らしさが好きだし、誇りに思っているら。だからアフリカで日本人らしく暮らしている。

でもその一方であらゆる世界の出来事に無関心で、閉鎖的であることも事実だ。
私たちは日本がずっと先進国、世界の大国の一つでいられると安心しきっているが、世界からの見方はどうやら違うようだ。アジアの大国は、中国、シンガポール、インドに変わり、日本は“かつて”の先進国、大国と認識されはじめている。

日本のなかでも原体験になるような体験を得られる機会はたくさんある。
もちろん日本の外から日本を見ることも大きな原体験になりうる。

とにかく日本人は危機感をもって、自分の行動を変えるためのなにかきっかけを探しはじめないといけない。

こんなことをいいつつ、日本に帰ったらあっという間に昔の生活に逆戻りしてしまうのかもしれない。そうはなりたくない。そんな自分への戒めとしてこんな強気な文章を書いて、公開している。

2年後、適当にゴミを捨てる私を責めてくれるひとがいるように
それが自分でも友人でも恋人でも家族でも、だれでもいい。私が進んで地球を壊そうとしていたら止めてほしい。そして、一緒にちょっとだけ環境に優しい暮らしをしよう。

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スキがアフリカまで届きました🌏️💗!
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み。

青年海外協力隊員としてアフリカで暮らす未熟な看護師の日々の記録。

青年海外協力隊🌍

2019.1~2021.1 ザンビアで暮らす2年間の記録
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