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6ヶ月が経って思うこと

1号報告書を提出してから3か月が経ち、2号報告書を提出するときがきた。
1月28日に日本を経ち、ザンビアに来て6か月が経った。
2年間の任期のうち4分の1が過ぎた。
早いような
遅いような
やっとのような
あっという間のような
そんな6か月間。

海外に出ることに抵抗はなかったし、国際協力に携わることはずっと前からの夢だった。
ある程度の過酷な状況は十分覚悟してきたつもりだったし、なにがあっても揺るがない自信があった。

でもいま思い返せば、毎日のように泣いていたし、自分でも驚くほど悩んで苦しんだ6か月間だった。
一人アフリカで暮らしているのだからこの程度の苦しみは当たり前だと思って耐えてきた。きっと2年間ずっとこんな調子なんだろうなと思っていた。1日1日が長くて長くて2年間が永遠のように感じられてならなかった。
でも気づいたときには泣かなくなっていたし、毎日があっという間に過ぎるようになっていた。

ここで暮らすようになってからもなかなか任地のことが好きになれなくて、早く2年が経ってほしいと思っていた。先輩が任期を終え、日本に帰るとき“寂しい”と言っているのを聞きながら、私はどんなにここで暮らしてもそんな風に思うことはないだろうなと思っていた。でも最近はなんとなく“寂しい”という気持ちが想像できるようになってきた。

家の一歩外にでれば、必ずだれかに声をかけられる。
今だにチャイナとささやかれることや、中国語もどきの罵声を浴びることもあるし、子どもに挨拶を帰せばお金をねだられることもある。
でも“ミナ~”と声をかけられることも増えた。少し任地を離れれば、“最近みかけなかったけどどうしたの?”と気にかけてくれるひとがたくさんいる。マーケットの活気、チテンゲをまいたビッグママたち、おまけをくれるおばちゃん、毎日前を通る近所の売店のおじちゃん、母のような同僚ナースたち、毎月成長を見守っている赤ちゃんたち、、、
あと一年半したら、この地を離れるときがきて、このひとたちにもう一生会うことはないのかもしれないのか…
そう思うと少し切ない気持ちになる。
任地のこと、この国のことが大好きかと言われれば答えに困る。
嫌いなところももちろんあるし、日本に帰りたいと思うこともある。
でも嫌いなところ、好きなところ、すべてひっくるめて愛着を感じる。
地元に20年間、東京に4年間、そしてこの地に2年間。
人生で3番目に長い時間を過ごす場所であり、はじめて海外を拠点として暮らす場所。
私にとって一生忘れない特別な場所になっている実感がする。

2号報告書と一緒に活動計画を提出することになっている。
任地に赴任した直後、止まらない焦りに任せて一度活動計画を書いた。
今見返すと、思いつく限り自分のできそうなことを書き並べたどうしようもない計画。
計画もまともに立てられないなかもがいて悩んで過ごした6か月。
ただひたすら毎日職場に行って、自分の存在価値を見出そうと頭をフル回転させながら過ごした日々。
あまりにもやることがなさすぎて、ただ赤ちゃんと戯れていることもあった。
そんな私の姿を見たナースから振られた仕事、Early Child Developmentというプログラム。
子どもの発育を、発達・栄養・病気の予防・病気の対処という4つの柱でサポートしていくというプログラム。
2010年ころに行われていた取り組みで、今はあまり大きなお金が動いているプログラムではないので、時々保健省のHPをチェックしていた私もこんなプログラムがあることは知らなかった。

子どもの栄養、発達、教育
若年妊娠、多産、貧困
目につく問題はたくさんあった。
すべてに共通して根本にあるのは、ひとつひとつのいのちに対する愛着の低さのように感じていた。

子どもを食べさせ教育を受けさせるお金がないのに家族計画をしない大人たち
まだ10代なのに妊娠して教育がうけられなくなる女子生徒

家族計画の方法を知らない、妊娠のリスクを知らない、子どもの養育の仕方を知らない

そんな無知が困難を生んでいるのか…?

妊娠するってことは、いのちを授かるってことで
親になるってことはそのいのちに責任をもつってことで
ひとつひとつのいのちは本来すごくすごく重たいもので親はできる限りのお金と知識と時間を使っていのちを守らなきゃいけないはず。
でもここでは、お金がなかったり障害があったり周りのサポートがなかったりするのに次々と妊娠する女性が大勢いる。家族計画に関しての選択肢は日本よりも多いし、クリニックでは注射薬、内服薬、コンドーム、インプラント、すべて無料で提供している。クリニックから遠い地域には出張にも行っている。もちろんジェンダーの問題や、文化社会的背景も影響しているかもしれないけれど、彼らにとって妊娠することや子どもを産むこと、そして生まれた子どもを守り切れないことがあまりにも当たり前になってしまっているように感じられてならない。


若年妊娠が多い背景も根本は一緒なんじゃないかな。
彼女たちは大勢の子どものなかのひとりとして生まれて、家計が苦しくなれば女の子から順に学校に通わせてもらえなくなる。
周りの大人たちは、妊娠すること子どもを産むこと生まれた子どもを守りきれないことを当たり前のように受けいれくらしている。
そんな環境で育った彼女たちが、家族計画、避妊、禁欲って言われたってピンとこないんだろうな。
自分のいのちもうまれてくる赤ちゃんのいのちも、大切にするってどんなことなのかわからないんだろうな。

もちろん子どもを愛していて、大切に想っていても様々な要因で救えないこともある。
お金、薬、医療施設、知識、食糧、足りないものは確かにたくさんある。
でも彼らの足りないものをすべてだれかが補うことはできない。最終的には彼らが自ら変化を望み、変容していかないといけない。

そのためには、彼らの“いのち”に対する認識が変わらないといけないんじゃないかってずっとずっと思っていた。

だから子どもにアプローチしたいと思っていて、包括的に関与できる方法を模索していた。
そんなところにEarly Child Developmentに関わるという役目が提案された。

調べてみると、子どもを取り巻く養育環境(地域)、子どもの養育者(母親)、子どもという3つの段階にアプローチすることで地域全体のエンパワメントを目指すという目的で始まったプロジェクトらしい。

すばらしい…完璧だ…
ああ、あのやるせない気持ちを押し殺しながら赤ちゃんと戯れていた時間も無駄じゃなかった…そう思えた。

活動計画はEarly Child Developmentのプログラムに沿ってたてることにした。

1.子どもの発達
•養育者に月齢ごとの子どもの発達について知ってもらう
⇒一人一人の子どもに関心を向けてもらう
•子どもの発達に応じたおもちゃ作りのワークショップを開催する
⇒遊びを通して子どもとの愛着形成を促す
•発達に課題のある子どもを早期発見して適切なケアにつなげる
⇒低栄養が招く脳の発育の遅れや後天的な障害を防ぐまたは食い止める

2.栄養
•正しいデータ収集と正確な記録
⇒ナショナルデータとなる保健局に報告するデータを正確に収集する。成長モニタリングカードに数値を正確に記入して正しいアセスメントをする
•低体重児の早期発見と確実なフォローアップ
⇒“作業化”している体重測定。アセスメントまで行ってはじめて意味を成す体重測定。低体重児を見逃さない、そして栄養士や看護師とともにフォローアップをしていく
•子どもの発育を大きく左右するとされている胎児期からの1000日間の栄養に関する正しい知識の提供
⇒知識を得ることを通して子どもの健康への関心向上を狙いとする

3.病気の予防と対処
•予防可能な病気とその予防法に関する知識の普及
⇒子どもの健康に関心はあるけれど知識が足りない養育者を減らす
•成長モニタリングを通して子どもの異常の早期発見と対処
⇒低栄養に陥る前に体重増加が芳しくない子どもを早期発見し養育者にカウンセリングを行うとともに必要に応じて医療機関につなげる
•正しい個人衛生と食品衛生管理の知識の普及
⇒体重が減少または増加しないとき多くの子どもが患っているのが下痢をはじめとする消化器症状。子どもの健康管理を切り口として、家庭や地域全体に正しい個人衛生や食品衛生管理が普及することを狙いとする

はじめにたてた計画では、“アンケート” “調査” “ワークショップ”そんな言葉ばかりが並んでいた。
目に見える形で、それらしい形で、ボランティアとして活動する必要があると洗脳されていた。だからデータが欲しかったし、自分の企画がしたかったし、そうしなければいけないと思っていた。

人間は数字ではないということと、人々は数値として扱われるのを嫌うということを忘れないようにしよう。情報集めをするときはいつも、あなたは自分の第一の関心を、個々人が何を望みどう感じているかということに置くことにする。

国際保健の分野で活動する人々のバイブル的な本。
デビット・ワーナーの“Where There Is No Doctor”に書いてあった言葉。
派遣前訓練が始める前、尊敬してやまない本田徹先生が贈り物としてくれた本。
派遣前にはよく目を通していたのに、ザンビアに来てから初めて開いた。
実際に自分が住民と直接関わる経験を通して、本に書かれている言葉が身に染みて理解できるようになった。

今回の計画ではワークショップの計画は1つしかないし、アンケートを取る予定も調査を行う予定もない。ほとんど今現在行われている月1回の成長モニタリングの機会を通して行う活動ばかりだし、住民から依頼がない限り自分からひとを集めてなにか企画を行うつもりはない。

これが正しいのかはわからない。
同期隊員のなかには、自分からフィールドを開拓して、企画を持ち込んで、新しいやり方や知識をどんどん売り込んでいるひともいる。


でも私は主役にならなくていい。
保健省、郡保健局、ヘルスセンター、地域ボランティア、住民、それぞれをつなげるパイプ役。
集団的なアプローチから零れ落ちたひとのための受け皿役。
それが私の役目だと思っている。

各機関に所属するプロフェッショナルたちのお手伝いをしながら、それぞれの知識やデータや思いをつなげる役割。

ザンビア人お得意な集団的アプローチは彼らに任せて、その集団的アプローチを知識面からサポートしつつ、そこから零れ落ちてしまった健康課題を抱える住民を拾い上げ、適切な支援とフォローアップにつなげる役割。

相変わらず大したことはしていないし、成果が見える活動でもない。
でも、どんなに彼らの健康をよくしたいと思っていても私は2年間でこの地を去る部外者。
6か月間この地に暮らして分かったことは、他人の幸せを決めることはできないし責任を持つことはできない。
だからこうしたほうがいい、このやり方が正しい、そう思うことがあってもそれがだれかに負の影響を及ぼすことでない限り変えようとすることはやめた。
最大限彼らのやり方、考え方を尊重することにしている。その範囲で自分のできることを探す。それが私の隊員としての在り方。

栄養士は対応が雑だし、
看護師が態度が横柄だし、
地域ボランティアさんが地域のなかで地位とプライドがあるひとたちだし、
正直やりにくいなって思うこともある。
でも部外者の私がこの地で暮らしていくためには、活動していくためには彼らの力なしではやっていけないし、彼らから学ぶこともたくさんある。
だから謙虚に学ぶ姿勢を忘れずに、残りの1年半活動していきたい。

いまでも自分の成すことすることなにが正しいのかわからないことがほとんどだし、迷うこともたくさんあるし、2年間日本を離れた選択が正しかったのか考える。

でも着実に時間は経っていて、自分なりに前に進んでいて、泣いても笑っても期間限定のボランティア。

下痢による死亡が頻繁に起こるのを防ぐには、便所や清潔な水や経口補水液だけではなく、もっといろいろなことが必要である。間隔をとって子どもを産むこと、よりよい土地利用、富と土地と力のより公平な配分、といったことが長い目でみればもっと重要であるということがわかるだろう。もしあなたが人々の幸福に関心を持つのであれば、分かち合うことや、協同して働くことや、前方に目を向けることとはどういうことなのか、人々が理解できるようにしてあげなければならない。

健康というのは、病気でないということ以上のものである。
身体的にも、心の面でも、社会的にも健康であるということは幸福であるということである。人は、健康的な環境の中でこそ、一番いい生き方をする。互いに信頼し、日々の必要に合わせて共に働き、困難なときも豊かなときも分け合い、互いに学び育つのを助け合える場所で各々持てる力いっぱいに生きていく。


2年間では難しいことも多いかもしれない。
貫禄も知識も経験も未熟な私には力及ばないことばかりかもしれない。

だから行動で示すしかない。
任地の人々と分かり合い、協同して働き、それを精一杯楽しみ、幸福とする。
そんな私の姿からなにかを感じ、変化してくれる住民がいてくれたらうれしい。

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