見出し画像

アフリカで生きるということ

今更ながら、今年度の東京大学入学式で読まれた祝辞を読み返している。

がんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。

ザンビアで暮らして、この言葉の重みがわかるようになった。

ザンビアの人口ピラミッドは見事な富士山型。合計特殊出生率は4.87人。これはあくまでも平均値なので、実際地方では子どもが10人以上いる家庭もめずらしくはない。

人々は口をそろえて、ザンビアはいい国だけど仕事がない、それが問題だと嘆く。

どこの町に行っても中心地にはタクシーらしき車が何台も止まっていて、人が通るたびに客引き合戦がはじまる。

町を歩いていれば、使用人として俺を雇わないか?と話しかけられることも日常茶飯事。 

子どもたちは町では物売りとして、村では家畜の世話係りとして家計を支える。

学費は無料でも制服や文房具を買うのにお金がかかる。親から退学を迫られ学校に通いたくても通えない子どもが大勢いる。

私の同僚の栄養士は、"政府から"8ヶ月間もお給料が払われていない。

クリニックの人手の半分以上がボランティアだ。彼らはなにかのためにボランティアをしているのではなく、仕事がないからボランティアとして働いている。

これが2019年のアフリカの日常。いま私が暮らしているザンビアで実際に起きているできごと。確かにみんな携帯電話を持つようになった。電気や水といったインフラにアクセスできる人の数は増え、安定して使える地域も広がった。一部の富裕層は高等教育を受け、車に乗り、ブランド品で着飾っている。それでも"がんばったら報われる"環境で生きるひとはごくわずかで、大半ががんばろうにもがんばれない環境で生きてる。

日本はまもなく年号が変わり新しい時代を迎えようとしている。合計特殊出生率が2を切って、大学進学率は約6割。保険料さえ納めていれば、すべての国民は国民健康保険に加入することができ、高額な医療費に対しては高額医療制度を利用し、その人が望むだけの医療が受けられる。生活扶助だってある。もちろん日本にも病気や障害、家庭の事情、虐待、さまざまな理由で困難を抱える人は大勢いるがザンビアとは事情が大きく異なる。

家族計画を推進して、子どもの数を減らせばいい。公共事業をして、雇用を創出すればいい。社会保障の仕組みを整えればいい。首都はあんなに発展してるじゃないか。お金持ちもいるんだから努力次第なんじゃないの?そう簡単な話ではない。

避妊を推奨してもコンドームが買えない。クリニックに行けば無料でもらえるけれど中高生はもらいに来ない。国は借金まみれで福祉だの社会保障だの言ってる場合ではない。ドナー国の都合がいいようにお金が使われ、富裕層と貧困層の二極化が強くなるばかり。「どうせわたしなんて」という思いが若年妊娠や多産を招き、貧困のループを引き起こす。貧困はさらなる貧困を生み、事の複雑さを増す。私の知識と文章力では説明できないくらい事情はもっともっと複雑で、簡単に負の連鎖を絶ちきることはできない。

一方の私は、頑張れば報われる環境で育ち、そんな恵まれた日本社会を飛び出してザンビアにやってきた。ザンビアでも頑張ればそれなりに報われると思っていた。自分次第でがんばれると思っていた。それなのに今週火曜日、水曜日、木曜日、組まれていたはずのスケジュールがすべて流れた。火曜日と木曜日はコミュニティーにでかけてお母さんにインタビューをするつもりだった。水曜日にはミーティングに出てヘルスボランティアさんにアンケートを取るつもりだった。毎晩前の夜にシュミレーションをして、段取りを考えて、毎朝気合いを入れて出勤するのに思い通りにいかない。日常生活では乗客が集まり次第出発するバスやタクシー、外にでるたびにチャイナ!チャイナ!チョンチョンリー!と罵声を浴びる。そんな毎日が繰り返される。

思い返せばいままで私が生きてきた25年間でこんなに思い通りにいかなかったことはなかったかもしれない。こんな風に思っている時点でいかに自分が未熟かってことを痛感させられる...

特別な家庭で育ったわけではないけれど、当たり前のようにがんばったらそれなりに報われる環境で生きてきた。

勉強も運動も音楽も才能があったわけではないけれど、頑張るチャンスがある環境にいつもいた。習い事、勉強、部活、進路選択だって、就職するときだって、自分で決めて、自分のやりたいように頑張った。家族はそのためのお金も時間も惜しまず私に投資してくれた。そして選択肢とチャンスが与えられていた。勉強も運動も1番にはなれなくても、それなりに努力すれば、それなりに自分のなかで納得できる成果が得られた。

中学時代のバレー部では一度もまともに試合に出たことはないし、高校受験では志望校に合格できなかったし、センター試験も上手くいかなかった。それでも自分が納得できる程度にがんばるチャンスと環境があった。

だからザンビアでも頑張るつもりだった。そのために看護師になって、臨床にでて、勉強をして、平和で安全な日本を飛び出してきた。

でもザンビアは違う。そしていま私が置かれている状況もいままでとは違う。

がんばりたくてもがんばりようがない。自分の手がつけられる範囲ではどうしようにもことが変えられない。もがきたくてももがけない。そんな環境に置かれたひとが大勢いる。そしていまの私はその端くれにおかれた気分だ。

世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

がんばっても報われない、がんばろうにもがんばれない。この言葉に含まれる困難は私の知る範囲を超えたものかもしれない。ザンビアだから、日本だからと住む場所、生まれた場所で語るのはお門違いかもしれないし、日本にもさまざまな事情で社会の仕組みの中では救いきれない困難の中でいきる人も大勢いる。私のいま置かれている状況はこの一部に含むにはとるに足りないレベルかもしれない。でもいまの私は"がんばろうにもがんばれない"状況に置かれているように感じていて、それは想像していた以上に堪えている。自分が無力で無能なように思える。 

がんばろうにもがんばれないザンビアの人々。そんな人々のためにがんばりたいのにがんばれない私。檻の中に閉じ込められたらような気分になる。今の私はこの檻の外に出たくて齷齪しているけれど、いつになったら出られるのか、この2年の間に出られるのか分からず不安にかられ焦っている。

2年間の任期を終えてどんな進路に進むかは分からない。日本なのか海外なのか。国際協力なのか違うことなのか。でも世界のどこかで”がんばろうにもがんばれない”ひとのための仕事ができたらいいなとぼんやり考えながら、ザンビアの人々のことを想う。早く檻の外にでて、一緒にがんばれる日が来ることを願って、思い通りにいかなくても小さなチャンスを逃さないように行動し続けるしかない、それがいまの私の精一杯。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?