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喧嘩のあとに思うこと

毎週月曜日はクリニックで成長モニタリングの手伝いをしている。
私が活動の軸にしているのが成長モニタリング。

要請内容はクリニック周囲に点在する地域の健康課題を見つけ、支援すること。
主にアウトリーチ活動に重点を置いた要請内容だった。

アウトリーチでは、主に5歳未満児の成長モニタリングと予防接種を行っており、MCH(Mother and Child Health)の看護師と栄養士が活動のパートナーとなっている。

それに加え、配属先からECD(Early Childhood Development)に従事してほしいとの依頼を受けた。ECDは子どもの成長発達、栄養、病気の予防、病気への対処を4本柱にした活動で、ターゲットは子どもとその養育者、彼らの属するコミュニティーのエンパワメントとなっている。

要請内容と配属先から追加された依頼を踏まえ、活動計画を立案し、成長モニタリングを活動の軸にすることにした。

本来のカウンターパートは環境衛生士だが、一緒に活動するパートナーはMCHの看護師と栄養士になっている。

重要な活動のパートナーである栄養士とはいつも言い合いになってしまう。
仕事のやる気はないのにも関わらず、プライドばかり高く、加えてモラルがないうえ上司には媚を売る姿がどうしても気に障る。

いまは成長モニタリングの中でも、特に正確なデータ収集と分析、低体重児の拾い上げとフォローアップに力をいれている。

そのためにいままで使っていた政府の発行する記録用紙に加え、オリジナルのフォーマットを作成し使用を開始している。
いままで使っていた記録用紙には、個人を特定するためにChild No(出生後1回目の予防接種に訪れた際各ヘルスポストで振り分ける番号)を記載するのみで、そのほかは1~12か月未満/12~59か月、―2SD~―3SD/―3SD以下などと区切られたチャックボックスにチェックをつけていくものだった。なかにはChild Noの記載がなかったり、地域のヘルスボランティアが記録用紙の記載方法を理解するのが難しかったり、グラフの記載されていないノートにただ体重を記録しているだけで低体重のアセスメントができていなかったりした。そのため、その記録用紙からだけでは個人の特定や実際の体重の値、低体重か否かの正確なアセスメントができていないことが分かった。そこで、オリジナルの記録用紙を作成し、Child Noに加え、名前、生年月日、体重の実際の値を各々の成長モニタリングカードから転記することにした。その後私が一人一人の月齢と体重から成長発達のアセスメントを行い、数字に起こすことにしている。

これにより地域の低体重児の特定と程度のアセスメントが的確に行うことができ、フォローアップにつなげることができる。また、電子カルテに情報を入力して管理することでデータ管理を確実に行うことができる。

データの分析は私が担当することにしているが、電子カルテの入力に関しては栄養士が自ら行うと申し出た。そのためにデータを受け渡すよう言われ、3週間ほど前彼にデータを託した。日ごろの言動から彼に信用がなかった私は、絶対になくさないように、そう言って彼に託したのだった。

私はそのデータを活用して、フォローアップが必要な子どもの一覧を作成するとともに地域ごとに低体重児の割合を集計しグラフ化したいと思っていた。この国では慢性的な栄養不良の割合が高いとされる。低体重の子どもに私個人でできることはゼロに等しい。でも少なくとも成長モニタリングを継続し、フォローアップを行うことで病的なサインにいち早く気づき、早期に医療的介入につなげることが必要だと考えていた。また、地域ごとにデータを集計し、グラフ化したものを任期が1年修了したタイミングで行われる中間報告で配属先や地域のボランティアに示し、2年目の活動につなげたいと考えていた。

そのためにオリジナルのフォーマットを作成して、やっとデータが集まり始めていたのに、3週間たってもデータは私のもとに返ってこない。かれこれ2週間、栄養士に交渉を続けているものの、今日が明日になり、明後日、来週と延期が切り替えされている。

赴任した当初も家の建築のことで散々疲弊させられた日々を思い出す。延期されていることが不満なわけではない。人としての信用や信頼関係をないがしろにした態度が私を疲弊させる。

もういい加減にしてほしいと思っていた私は今日、彼に強い口調でどうして返してくれないのか、なぜ引き延ばすのか、なぜ言動が2転3転するのか問いただした。はじめはへらへらいつもの調子で受け流していた彼だったが、だんだん口調が強くなり「あのデータは俺のものだ。このクリニック唯一の栄養士は俺なんだ。データの収集ができているのはここに自分がいるからだ。」これが彼の言い分だった。持ってくるのを忘れているわけじゃなくて、私に渡すのが嫌だったらしい。そんな言い合いのあと、ホチキスを貸してほしいと言われたが、私がないと答えると「why?」と言われ、「なんで私に頼むの。」と冷たく言い放ってその場を離れようとした私に彼は私を睨みつけ「お前の態度が気に入らない。」と言った。私の態度が彼の崇高なプライドを完全に傷つけてしまったらしい。

たかがホチキス。されどホチキス。今まで彼には散々物を貸したが、かえってきた試しがない。数日前もホチキスを貸したら、そのまま彼はどこかに消えてしまった。そんなこと予想済みだったので貸した後も目を離さず、彼がいなくなったあと作業していた部屋に放置されたホチキスを回収しに行ったのだった。

彼の日ごろの私に対する度重なるセクハラ発言にもずっと目をつぶってきた。妊婦さんを指さして、「あんな風になりたくないの?」ファミリープランニングのためクリニックで配布しているコンドームを見せながら「これ使ったことある?」毎日のあいさつ代わりの「I missed you~」「You are my girlfriend. You marry me.」職場には彼の赤ちゃんを身ごもった同僚がいる。すべて私をからかった発言なのはわかっていた。でも一つのコミュニケーションの仕方だし、こんなことにいちいち騒いでいたらここでの私の居場所は失われてしまう。だから聞き流しているつもりだった。どれでもそのモラルの低さに嫌悪感を抱いていた。

仕事の場面でも、本来彼がクリニックで勤務するべき日に出勤せず私がひとりで代わりをすることがあったり、仕事中大勢のお母さんたちが赤ちゃんを抱っこして炎天下の中並んでいるにも関わらずふらっとどこかにいなくなってしまったり、貧しい家庭のお母さんを見下すような高圧的な態度をとったり。完全なる時代遅れなパターナリズムが同じ医療職者として不快でたまらなかった。

そんな小さな不満の積み重ねが、彼に対する私の態度にもでていたのだろう。彼のプライドの高さに気づきながらも、うまくやっていくにはそれを尊重しなければと思いつつも、日ごろの言動から彼を見下してしまっているようなところがあった。それに英語が流暢に話せない私のコミュニケーション不足もあった。こんなことがしたい、このフォーマットを使いたい、データを返してほしい、そのことばかり彼に伝え、どんな思いや意図をもってとっている行動なのか、詳しく伝えられていなかった。だから彼は、私がただデータを欲しがっていると思ったのかもしれないし、自分のフィールドに踏み込まれてくることが気にくわなかったのかもしれない。

これまで約8か月間、自分の未熟さや無力さは重々わかっていて、同僚たちの力なしでは私の2年間はないと思ってきた。だから彼らのやり方や考え方を尊重して、私は裏方に徹しよう、そう思っていた。それなのに、1年の終わりが近づくにつれ、なにか爪痕を残さなければと心のどこかで焦りを感じ始めていた。栄養士のプライドを踏みにじり、一番大切にしたいと思っていた日本人としての謙虚な姿勢、それを失ってしまっていたことに気づいた。そんな自分の姿に落胆しながら、こんな言い争いに消耗し、見下されたような態度やセクハラ発言に耐えながら、私はここでなにをしているんだろうと思ってしまった。

いままで何人もの低体重の子どもにであって、彼らとその養育者の置かれた困難な状況に胸を痛めて、そのたびに彼らのためにできることは何なのか、必死で考え悩んできた。彼らのことを考えながら活動計画を立てて、少しずつ実行しはじめていた。でも結局自分の国から12000キロも離れた異国に暮らす赤の他人。彼らのために私ができることなんてどんなにもがいたって0が1か2になる程度のことで、5にしたり10にしたりすることはできない。でもできることがあるのなら、やらないよりはやったほうがいい、そう言い聞かせながら周りの環境や自分自身と闘ってきた。見て見ぬふりをしてしまえば楽なことにも、目を背けず向き合ってきた。そのつもりだったけど、今日の一件でなんとか持ちこたえていた心の糸が切れてしまった。

別に彼だけのせいではない。ここ最近、郡保健局の車が出払っていて、アウトリーチに出かけられていない。本来バイク隊員で免許も持って、研修も受けているものの、配属先ではバイクは使われておらず、配属先がバイク隊員として要請をだしたのは配属先のスタッフの移動手段としてバイクが欲しかったからだとわかってから、バイクには乗っていない。それに地域では自分ひとりでは判断に迷うようなケースも多く、日本の医療知識が全く通用しないこの土地で私がひとりでかけていってもメリットが少ないと考えていた。でも今月は12個のコミュニティーがあるにも関わらず、1つも回れていなかった。先週巡回予定の地域には連絡がとれるボランティアがいたため、配属先の上司にタクシーを使ってひとりでコミュニティーを訪問することを申し出た。上司といつもアウトリーチに同行している看護師は少し話し合い、「タクシーは危ないからやめたほうがいい。ムズングは肌の色で犯罪のターゲットにされやすい。ひとりで行動するのはだめ。」そんな判断だった。心配してくれるのはうれしかった。よく他の隊員から、配属先の上司が隊員のひとり行動を嫌うという話を聞くが、彼女たちの判断は私の行動を制限するという意図ではなく本当に心配してくれていることが伝わってきた。だから私は彼女たちの決定に従った。でも私の振る舞いや語学力が未熟だからそんな風に心配されてしまうのかな、もっと私に貫禄があって信頼されていたらそんな心配されないのかな、そう思った。

謙虚であろう、彼らのやり方を尊重しよう、そう思う反面、自分の結果を求めてしまう。
そしてそのはざまで苦しみ、悩む。
水が出ない、電気がつかない、町を歩けば中国人への差別用語を浴び、同僚からのセクハラ発言に耐え、ほぼゼロに等しい成果のためにもがいている私はいったいここになにをしに来たのか。家族の心配をよそに、様々な恵まれた環境を放棄して日本を離れてここにきたのにそんな風に思ってしまっている自分が情けなくて泣けてしまった。

でもまだ2019年9月。私の任期は2021年1月まで続く。栄養士とひとしきり口論をしたあとは日本に帰りたくてたまらなくなったし、活動なんか放棄してふらふらしながら任期が終わるのも待とうか、そんなことまで頭をよぎった。

家に帰ってFBを見ていたら、明日で任期を終えて日本に変える看護師の先輩が任期終了の報告とともに満面の笑みで写った写真を投稿していた。彼女の投稿には「あらゆるプライドを捨てて、駆け抜けた2年間でした。」と書かれていた。私も1年半後、そんな風に堂々と胸を張ってこの地を去りたい。逃げるように日本に帰るのではなく、やり切った、そう思って胸を張って締めくくりたい。

本当は今日だって嬉しいことがあった。栄養士のブースで一緒に働く青年がいる。私が成長モニタリングの手伝いをはじめたころは、成長曲線への記入も適当、低体重児や体重の増加が乏しい子どももスルーだった。でも私が手を出すようになって、彼に通訳をしてもらいながら栄養指導やカウンセリングをしてきた。その結果なのか、いまでは彼の方から私が見逃した記入のミスや体重増加が乏しい子どもを指摘してくるようになり、栄養指導やカウンセリングでは私が伝えようとしたこと以上の内容を現地語で話してくれるようになった。栄養士の元で働くお手伝いさんから、能動的に考え行動するようにステップアップした彼の姿に感動した。

イヤなこと、悲しいことがあるたびこうして決意表明をしないと先に進めない自分が嫌になるけれど、こうやって決意表明を繰り返しながら1年半過ごしていくんだろうなと思う。そして周りで起こったうれしいできごとを時々読み返して、活動の糧にしていく。

帰り際、MCHの看護師が「明日はアウトリーチに行けるはずだよ!」そう言っていた。私がアウトリーチに行きたがっていたことを理解してくれていたんだな。だから折れた心を切り替えて、明日もクリニックに行く。

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