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週末を村で過ごしながら考えたこと

任地から約4時間離れた村で週末を過ごした。
幹線道路沿いの近隣の町から車で約1時間半、悪路を行った先にあるモザンビーク国境の村。
日本で文化人類学の研究をされている教授が約30年前からフィールドとしている村で、マラウイからザンビア東部に暮らしているチェワ族が暮らしている。

普段、私は町で暮らしている。町と言っても首都からはだいぶ離れているし、スーパーマーケットやファストフード店はないし、規模も小さい。けれど、マーケットがあって、役所があって、病院やヘルスセンターがあって、暮らすには困らない。ザンビアではそのような町から車で何時間も離れた村に暮らす人々が大勢いる。

町に出るには車でも何時間かかるし、車をもっていない住民が大半なので自転車や徒歩で移動するので半日程度かかる。もちろん電気や水道は通っていないので、ソーラーパネルやろうそくを使って明かりをとり、毎日近くの井戸やボーホールまで水を汲みにいかなければならない。学校や近隣ヘルスポストまで行くのも一苦労。

町から離れた村での人々の暮らしを目にするたび、どうしてこんなところで暮らしているんだろう…町での暮らしのほうが便利だし、学校や病院へのアクセスもいいし、物もたくさんあるのに…

そう思えてならなかった。

確かに人と人とのつながりは強いし、村という共同体のなかで暮らす彼らは幸せそうだし、人の幸福は物の豊かさや便利さとは切り離して考えなければいけないのかもしれない。でも保健従事者として彼らをみたとき、人的・物的・環境的に医療へのアクセスが途絶された環境で暮らす人々の健康をどう支援したらいいのかわからなくなるときがあった。

「どうして彼らは町に出て行こうとはしないのでしょうか..」
そうふいにつぶやいた。

「確かに、町は便利かもしれないけれど、就学年数が低い彼らが十分な現金収入を得るのは難しい。町は物的には豊かかもしれないけれど、そこで貧しい生活を送ることは彼らにとって幸せなことではないんだと思う。それよりも、村のなかで役割を得て暮らすほうが幸せを感じるんじゃないかな。ひとはだれかに認められることによって満足するからね。」
一緒に村を訪問していた人生の大先輩がこう言った。

マズローの欲求5段階説が頭に浮かんだ。
第1段階 生理的欲求
第2段階 安全欲求
第3段階 社会的欲求
第4段階 承認欲求
第5段階 自己実現欲求
第1~4段階までが、欠乏欲求とされている。

マズローの理論に重ねて村で暮らす彼らの生活を見てみると、欠乏欲求は1~4段階まで満たすことができているように思えた。
町では、現金収入がなければ食料が手に入らないし、人の流動がある社会では犯罪も起こりやすい。村を離れることによって、帰属する社会集団の喪失、村長やチーフ、結社のリーダーといった役割の喪失が起こる。

村で暮らす人々が幸せそうに見えるのは、足りないと不満足が生じるとされる欠乏欲求が満たされた環境で暮らしているからなのかもしれない。

でも、医療へのアクセスが確保された地域で暮らすよりも病気や死のリスクは高い。それでも人生を悲観したり、命をぞんざいに扱ったりする様子はない。

この村の調査研究をしている先生が呪いの話をしてくれた。
不可解なことや、悲惨なできごとが起こったとき彼らはその出来事を呪いとしてとらえる。
呪いを避けるための儀式や祭りなどの土着の文化がいまでも根強く残っている。


環境的にどうしようもない悲しいできごとが起こることも多いだろう。
干ばつで食料の確保が困難だったり、医療へのアクセスが悪いために命が救えなかったり、そんなとき様々な理不尽なできごとから彼らを救ってくれるのは土着の文化や習慣、思想なのかもしれない。

悲しいこと、悪いこと、それの原因を人間の力の及ばない現象としてとらえることで彼らはその出来事を受け入れ、暮らしを営み続けることができているように思う。

それなら必死になって健康とか医療とか推進しなくてもいいんじゃないかな、そう思えた。

悲しみを乗り越えるすべがあるのであれば、彼らの習慣や生活を変えてまで、指標的な健康にとらわれる必要はないのかもしれない。だから、平均寿命とか5歳未満死亡率、施設分娩率、周産期死亡率、そんな数字はどうでもよく思えた。

そう考えると、健康をひとの幸せの視点でとらえたとき、比較的町に近いけれどヘルスセンターまでの距離が遠い地域の人々のほうが苦しい状況にあるのかもしれない。

私の配属先は、町の中心にあり、近隣半径20キロほどをキャッチメントエリアとしている。一番遠い地域だと、ラウンドクルーザーで30分ほどの道のりだ。エリアとしては、アーバンエリアにあるが、暮らしているのは電気・水道のない村で、すべての住民が農作物を収穫するための土地をもっているわけでもないし、町との人の流動もある。村で暮らしていても、農作物を収穫する土地の有無、現金収入の有無、自転車やバイクなどの交通手段の有無などによって格差が生まれやすい環境にある。生活の格差は、教育、健康、地位の格差を生み、それを拡大させていく。村という共同体のなかでも、裕福なひと、貧しいひとの区別が生まれ、下層の人々は欲求を満たすことが難しくなる。

私の配属先のキャッチメントエリアでまさに起こっている現象。医療や健康についても格差が生じる。お金や土地があり、教育機会のあるひとやその家庭は、ヘルスリテラシーが高く、健康を維持しやすい。一方で、お金や土地がなく、教育機会に恵まれないひとやその家庭は健康が失われやすく、死も身近。地方の村では、みんな等しく医療機関や情報へのアクセスが悪いため、土着の思想や人とのつながりを通して病気や死を受け入れることができている。その一方、格差がある村では、様々な周辺要因によって健康にも格差が生じているため、それは“呪い”という土着の思想で受け止めることは困難なように思う。

そう考えると、健康を人々の幸せのひとつの要素としてとらえたとき、健康指標はなんの役にも立たないように思えてくる。

健康になりたいのに、その方法が分からない。
子どもに元気になってほしいのに、どうしたらいいのかわからない。
健診に行きたいけれど、クリニックまでの交通手段がなくて行くことができない。

健康への意志があるのに、なんらかの障壁で健康が阻害されている。そんな状況のひとに手を差し伸べることが、クリニックやヘルスワーカー、私たちボランティアの役割なんだと思う。

検診に来てくれているひと、クリニックに来てくれているひと、彼らは健康への意志や欲求があって、その実現のために医療へのアクセスを望んでいる。だから彼らには誠意をもって接するべきだし、真摯に向き合う必要がある。

ザンビアの医療従事者がそんな思いをもって働くようになったら、必然と健康指標も向上するような気がする。でも私には同僚たちにそんなことを伝えられるパワーも、貫禄も、語学力もなくて悔しい。

アフリカのこと、ザンビアのことを知れば知るほど思うことは、外からの力で変えられることはほんのわずか、ほんの一瞬で、根本的になにかを良くしたり、実現したりするには内側からの変化が必要だってこと。

健康と文化人類学の視点はやっぱり切り離せない。フェスも花火も海もBBQも、日本の夏全部が恋しくてたまらなかったけれど、週末2日で電気も電波もない村で、文化人類学の先生から貴重な話を聞きながらお酒を飲み、子どもたちと遊び、土着の文化や習慣に触れることができるなんて一生のうちいましかないなと思ったら、日本の夏2回分も我慢できるなと思えてきた。

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